第98話 森を抜ければ郷がある

 苔むした森の木漏れ日が朝靄に降り注ぎ、一条の道を照らす。

 人ひとりが立って載れる石を幾つか据えて並べ補強された道は、隙間に朽ちた落ち葉が詰まり細い草が一本二本と頭を出している。路傍の小草は露に濡れ、湿気を含んだ空気は思わず深呼吸してしまいそうなほど清々しい。

 昨夜の死霊騒ぎが嘘のようだ。

 気絶して目覚めれば朝となり、ノエルには謝られたが突き飛ばした理由は頑として口にしてくれなかった。イクシマは謝りもしないが気まずそうで、やはり理由は言わない。ヤトノがニヤニヤするばかりである。

 よって言及せぬ方が良いと判断しアヴェラは気持ちを切り替えた。

「いよいよエルフの里か……ついに本物のエルフに会えるのか、楽しみだ」

「それってどういう意味なん!? ここに我っていう本物がおるじゃろが!」

「お前はイクシマエルフの分類だからな」

「その言い方、よう分からんが……何か気に入らんのじゃって」

 不機嫌なイクシマが足元の地面を踏みつける。

 そんな事をすれば苔の生えた石で足を滑らせそうで危ないのだが――しかし声をあげたのはノエルであった。

「わわっと」

 前を歩くノエルが石の苔に足を滑らせ、両腕を振り回し身体を蹌踉めかせている。アヴェラが軽く手をやり、その背嚢を優しく掴んで引き留め、ようやく止まった。

 一つに結んだ黒髪を揺らし、ノエルは笑いながら振り向いた。

「ごめんね、ありがと」

「気にしなくていいさ。それより足を捻ったりはしてないか?」

「うん、大丈夫。注意して歩いていたけどやっぱり滑ったね」

 さすがに不運の加護を持つノエルだ。何かと運の悪い目に遭ってしまって当然なのだが、しかし足元の石は表面が苔むしている。これでは注意していようと足を滑らせて当然に違いない。

「でもさ凄いよね、道にこんなに石を並べるなんて」

「あまり一般的じゃないのか?」

「そっかアヴェラ君はアルストル育ちだもんね。私の村もだけど、普通は土を固めただけだよ。ここまで手を入れるのは珍しいね」

「苔の生え具合からすると往来は少なそうだ。おかげで、歩きにくくて困るな」

「それあるよね」

 森の中にある石の道というものは風情あるが、しかし放っておけばやがて自然に呑まれ消えていく。定期的に人の手を――この場合はエルフの手を――入れ、必要に応じ補修などをせねばならない。

 エルフには石の道を維持するだけの財力と労力と技術があるという事でもあった。


 感心しているとアヴェラも苔の上で軽く足を滑らせた。転ぶ程ではなかったが、上体を大きく揺らし荷物の金具がぶつかり音が響く。

 襟元にいた白蛇状態のヤトノが心配そうな声を出した。

「御兄様も油断されぬよう気を付けて下さい。真ん中辺りは苔が少なめですから、も少し右に行かれて下を見て確認して歩きましょう。あっ、そこは危ないのです。分かりました、ここは大事をとってヤトノが支えて付き添いましょう」

「なあヤトノ」

「はい何でしょうか」

「大丈夫だから静かにしてくれ」

「御兄様のいけず。もうっ酷い、大好き」

 拗ねたように言ったヤトノはアヴェラの肩に載っかったまま、尾の先を振り肩当てをペチペチ叩く。そんな様子をイクシマは鼻で笑い、スタスタ通り過ぎていく。

「小姑が小煩いってのは本当じゃの」

「なんて無礼な小娘、呪いますよ」

「ふふーん、やってみるがいい。アヴェラに怒られるんじゃって」

「この卑怯者っ」

「我の勝ちぞ。さあ、もそっと進めば森を抜ける。そしたら里の入り口なんじゃって。さあ、ついて参れ!」

 上機嫌なイクシマは軽やかに進む。その金色の髪が木漏れ日の中に煌めく様は、まるで森の妖精のようで――ずるっ、と足を滑らせた。もちろんヤトノが呪ったわけでもなく、単なる自業自得だ。

 アヴェラは転び掛けたイクシマの頭を鷲掴みにして支えた。ノエルを支えた時とは違って随分と雑な扱いだ。助けられた側もそれが分かっているらしい。

「お主ー、なんか我に対する扱い酷くないか?」

「そりゃまあ……」

「なんで口を濁す?」

 ムッとしたイクシマは手を振りほどき逃れると険のある目付きで睨んでくる。だが、まるで小さな子供が拗ねて怒っているような様子だ。

 アヴェラは余裕で笑う。

「なんだ、手でも繋いでやろうか」

「やかましい! お主は我を何と心得とる! ディードリ氏族が三の姫、イクシマなるぞ! もそっと敬ったらどうじゃー」

「あーはいはい。姫様、御手をどうぞ」

「心が籠もっとらん! 我は言い直しを要求する!」

 二人のやりとりをノエルは楽しそうに笑い、静かな森の道を賑やかしく歩いて行く。道は緩やかな登り坂となって、そこを上がりきればエルフの里だ。

 

 坂の終わりが見えてきた。

 視線を上げその先に広がる景色に思いを馳せるアヴェラは、坂の途中にある構造物に最初少しも気付きもしなかった。否――気にもしなかったと言うべきだろう。

「ん?」

 近づいてようやく存在に気付いた。

「石の柱か」

「何でこんなとこで立ち止まるんじゃー!? 危ないじゃろがー」

 追突した背中で騒ぐイクシマの声にも反応せず、アヴェラは目の前にある物を見つめたままだ。

「なんだこれは」

「ぬっ? それか我がエルフの里の領域を示すものぞ」

「なんで石なんだよ」

「なして文句を言うのじゃって、昔っからそういうものなんじゃぞ」

「石と言ったらドワーフ、エルフと言ったら木と昔から決まってるだろ。つまり、これも石ではなく木製にすべきだ」

「勝手なこと言うな。そんなん決まっとらん!」

「なんて嘆かわしい」

 アヴェラが頭を振れば、イクシマも同じ事をしている。

「嘆かわしいのはお主じゃろって。とっとと進まんか、ほれほれ」

「おいっ、押すなよ。危ないだろ」

「我の前で止まったお主が悪いんじゃぞー」

 少しふざけたイクシマに腰の辺りを押され、坂を上がっていく。そのまま鳥居に似た構造物の付近に到達。道は少し先で坂が終わり、左に曲がって森を抜ける。

「さあ、あとちょっとじゃぞ」

 いつの間にか後ろから抱きついているイクシマと一緒に石柱の間を通り抜け――瞬間、鋭い光と弾けるような音が迸った。

「なんだ?」

「ふむふむ、これは結界だったようですね」

「結界だって?」

「はい、そうです」

 ヤトノはヒョッコリ顔を出したまま訳知り顔で頷いた。

「この先に力ある存在を入れさせぬ代物ですね。ですが低俗な連中はともかく、わたくしの前には何の意味もないのですけど」

「はっ!? そういえば我、聞いたことがあるんじゃって。里に邪悪な者を入れぬ結界があるとか何とか。つまり、やっぱし邪神!?」

 わなわなと指を突きつけられた白蛇ヤトノはムッとした。そして口を開けカプッといった。

「あんぎゃー! かーまーれーたああああっ!」

 イクシマは悲鳴をあげてを振りまくった。その途中でヤトノが噛むのを止め、空中でヒラリと回転し白い袖をなびかせ優雅に着地した。

「誰が邪神ですか誰が、呪いますよ」

「お主じゃ!」

「しゃーっ!」

「がぁーっ!」

 両者は威嚇しあうが、アヴェラは腕組みをして悩んだ。結界が弾けた先に進むという事は、進入防止区域に入るという事で、クエストがあるので行かねばならないがあまり気の良い話ではない。


 視界の端で一つに結んだ黒髪が跳ね、ノエルが軽い動きで石柱に近づいた。何か理由があってではなく、ただ興味を惹かれただけらしい。最初は指先でつんつん慎重に、そして次に大胆にペタペタ叩いて触りだした。

 少し小首を傾げると、悩むような声を上げている。

「うーん、これってどうなんだろね。入ったら駄目って事かな?」

「さて……まあ、大丈夫なんじゃないか」

 アヴェラは自分の考えに決着をつけて頷いた。とりあえず気にせず進むしかない。何か結界があって拒まれかけたとはいえ、自分には悪意はないのであるし、大人しくしていれば問題ないはずだ。

「誰か兵士とかがすっ飛んでくる様子もないみたいだし、そこまで管理してなさそうだ。でも早く通り過ぎた方がいいのは間違いない」

「どうして?」

「もし何かあるのなら、ここに居ない方がいいだろ。誰か来る前に現場を離れた方がいいじゃないか」

「その考えはどうかなって思うんだけどさ」

 ノエルは両手を腰にやって、呆れた様子で口を引き結ぶ。真面目な性格なので、アヴェラの意見はあまり感心しないものだったらしい。

「我も早う行った方がいいと思うんじゃって」

「イクシマちゃんまで?」

「いや、だって仕方なかろ。もし何かあったら、父上に怒られるんじゃぞ。今の黙っておるんじゃぞ、よいな我との約束じゃぞ。ささっ、早う行こまいか」

「もう仕方ないんだからさ」

 皆の手を引っ張るイクシマに、あははと笑ってノエルは歩きだす。

 アヴェラも歩きだすが、ふと気になっていた。結界は厄神の加護を持つ自分にも反応していたのだろうかと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る