仙台時代 2015年01月18日(日)

 全部母に救ってもらったのである。度重(たびかさ)なる転居も住まいも家賃も家具も全て。


 仙台に越して来たのは28才の年末であった。18才で上京して19才の誕生日を迎える頃に彼女に一目惚(ひとめぼ)れをしてから、28才の冬近くまで彼女と夢を追いかけてた。


 丸十年とはならなかったのであるが、9年半の初恋だった。



 仙台でモールのアパレルショップの求人に応募したり、年末年始に服の墓場となっている倉庫での仕事もする。


 面接すると服が好きならと三日だけ試しに働かせてもらえたのだ。


 セカンドストリートとかジャンブルストアから送られて来るゴミ同然となった服を大きな袋から出して、プレス機で圧縮(あっしゅく)して保管するのが仕事だった。


 そのうち何割かは商品として海外で再起するが何割かは焼却場(しょうきゃくじょう)に持ち込まれ焼かれる運命にある服だった。


 仕事は単に服を集めて大きな俵型(たわらがた)の袋に押し込んでそれを二階に運んだり逆に一階に下ろしたりするだけの仕事だった。


 ピッキングやら古着の分類など一切なかった。魅力の無い力仕事である。


 そうして服の最後の砦(とりで)を見させてもらうと、服に対する仕事ももういいなと思うのであった。


 服はこうやって一纏(ひとまと)めにされて死ぬんだってのがわかったのである。


 私の目にも捨てられる服が魅力的に見えることも、もったいなく感じることもなかった。


 ゴミ同然の服である。死んだ服。死んだ服の集まり、何の感慨(かんがい)もなかった。



 三日間、少し仕事ぶりに小言を言う厳しい人も居たが、久しぶりの仕事を全うした。


 もちろん、ここで働かせて下さいと言うつもりもなく、退社した。


 久しぶりに入った自分の金、私はその日のうちにホテヘルを呼んで楽しんだ。


 正確に言うと楽しめているのかはいつも疑問符(ぎもんふ)がついた。毎回どんな女の人が来るのか賭(か)けである。


 ただ、私は色好みなんだろう。その後(ご)もずっと、自分で働いたお金が入ると見境(みさかい)なく風俗で遊び回った。


 ヘルスに飽きればキャバクラに行き、それも飽きたらフィリピンパブで女を触った。


 それも飽きたらまたヘルスに行って、そんなんの繰り返しだ。


 一向(いっこう)に金が貯まらない。一向に母の援助(えんじょ)を断ち切れなかった。不甲斐(ふがい)ない無様(ぶざま)な男だ。



 私はそれからすぐにコンビニで仕事を始め、5月を迎えると29才になった。


 そして、去年の2月にコンビニを辞め、時給1200円のパチンコ屋のホールでの仕事を始め給料のアップを叶えた。そして5月を迎え30才になり、そのパチンコ屋を辞めて今に至る。


 このブログはそのコンビニで一年近く働いて、正月休みを取り、実家に帰って父に借金をしてパソコンを買い求め、約1年かけて自分の半生を振り返ったものである。



 パチンコ屋を辞めてしまったのは誤算(ごさん)だったし、20万も給料があったのに遊んでしまい、いつも通り母からの援助(えんじょ)で暮らして来た。


 母のお金も元(もと)を正せば父の金である。両親が元気で年金生活していなければ、私は家賃も払えないへたれなのだ。


 遊ぶ金は稼いだ金だった。


 でも半分の生活を援助(えんじょ)してもらい、半分の自分の金を遊びに使ってたら、自分の金で暮らしてはいるが、母に貰(もら)った金で遊んでいたっても言える。


 そこの境(さかい)は今でも曖昧(あいまい)で、女性と会わずしては暮らして行けない放蕩(ほうとう)ぶりである。



 28才の冬から私は死んだも同然だったのだ。何もしたくない。何もやる気が起きない。何をしたいのかわからない。何も楽しくない。


 そんな生活を忘れるために、学生の頃からの金の使い方がまだ直ってないのである。


 こんなんだから、父に恋人を寝取られたんだろうか。いや、いっそのこと、ずっとこうやって暮らして、父の年金を全部(ぜんぶ)掠(かす)め取ってやろうか。


 こんな所まで落ちぶれても尚(なお)、父が居なきゃ生きて行けない自分がイジマしい、腹立(はらだ)たしい、情けない。


 そう、前回まで書いて来た恋の顛末(てんまつ)があってからは、私は生きてるようで生きてないのである。


 そんな空虚(くうきょ)な世界を彷徨(さまよ)っている。それからの人生なんてなんの説明も要(い)らない。


 生きてないのと同じなのだ。逆に言えば、彼女に恋していた自分、夢を諦めなかった自分だけが輝いて生きていたのだ。それを失ってからはもう、どうもこうもないのである。


 もう、めっきり友人関係もなくなった。自分から遠ざけて、それでも私に用がある人なんて居なかったのである。


 仙台にいるキャバクラ嬢(じょう)だけが友達の、親がヒモになってるニート。


 これからなんの見込みもなくて、これまでも何か成し遂(と)げたのかと言ったらそうじゃない。


 ただ、28才の冬まで頑張ったのである。頑張っただけだったんだ。ただ自分の中では頑張ったとは言えるのである。


 それからはもう、何も頑張りたくないのである。



 こんな無い無い尽くしの人生になると思ってなかった。


 パチンコ屋で働いてる時分など時給も良くて若い人が集まって、このまま良い友人になれないかなと思った人も何人も居た。


 尊敬できる上司も、気になる異性も居た。楽しくなり始めた頃だった。


 それなのに4ヶ月で終わってしまい、いや終わらせてしまい、無念である。


 パチンコの景品に自分で作ったTシャツを置いてもらえないかな、なんて淡(あわ)い夢もあったのに。



 パチンコ屋を辞めてから、障害者認定(しょうがいしゃにんてい)をもらい、障害者年金(しょうがいしゃねんきん)が下りるようになり手続きに3ヶ月くらいかかり、年末に向けて4社くらい当たってみた。


 それでも次の就職先(しゅうしょくさき)は決まらない。


 このままどうにかなってしまうんだろうかと自棄(やけ)っぱちになりながらも地道に仕事を探すだけである。


 お金の使い方を改めて、せめて母に苦労させないで生き直したい。


 でも、生きることには目的を失って、父が死ぬのをひたすら待っているような状態だ。


 幻聴が聞こえなくなってから、ますます父が憎(にく)くて仕方なくなった。


 しかし、それさえもどうでもよくなってきている。


 というのも、不思議(ふしぎ)なものであれだけ恋い焦(こ)がれた彼女に何も抱(いだ)かなくなってきたからだった。


 Mr.Childrenの歌の歌詞に、『心配ないぜ時は無情(むじょう)な程に全てを洗い流してくれる』という一節があるが、まさにそうなのである。



 パチンコ屋で働いてる頃、遮二無二(しゃにむに)頑張ったが、頑張ると彼女が現れるというジンクスはこの後(あと)にもまだあったのだ。


 河川敷(かせんじき)を散歩して帰って来る時に公園に寄った時のことだ。


 彼女が子供をあやしている場面に遭遇(そうぐう)した。1才半だったあの子供ではない。


 もう一人生まれたのだろうか。私の頭は違う誰かだと言う前に先にそういうことを考えた。


 もう目の前で起きてることが信じられなくて口をあんぐり開けて彼女を何度も振り返って確認した。


 でも声をかけることはできなかった。日が暮れてしまい、もう一度勇気を振り絞(しぼ)って公園に行ってみたが、もうそこには誰もいなかった。


 まさか父の子を産んだと私に見せに来たのだろうか。それとも笠ノ宮の最後の子供なのだろうか。


 私は逆算しても分からないのだ。その時があって、十月十日経って、産まれてどのくらいだとか男にはわからない。


 計算も碌(ろく)にできないのだ。十中八九(じゅっちゅうはっく)彼女の夫の子供だろう。


 でもそんな妄想が頭から離れなくて、酷く暗い気分で何ヶ月か過さなきゃならなかった。



 彼女の街で彼女と会った時も、仙台で本当かどうかわからないが見かけた時も育児を頑張ってのことだろう。


 彼女は疲れていそうだった。


 そうして彼女に一目惚れした頃のような輝きも、彼女からは放たれて来なかったのである。



 世界一恋した人である。でももう、普通の人に見えた。



 そうして、考えを巡(めぐ)らせた。彼女の父親にもあんなふうに言われたんだし、彼女は私のこと覚えてもいなかったんだし、もう交(まじ)わることのない人生。


 私は彼女が生きてるかどうか、確認する手段もなく、私が死んだとして、それを彼女に伝える手段もない。伝えても彼女は何の事だかわからない。


 それでも、彼女の幸せだけを願って、日々(ひび)暮らして行くしかないんだと、胸に誓(ちか)った日があった。



 するとどうだろう。しばらくしてから、彼女のこともどうでもよくなっている自分がいることに戸惑(とまど)った。


 もうそこまで落ちぶれたのである。腐(くさ)ったって事だろう。



 この感情の変化がどうして起きたのかはわからない。それでも父を許そうとも思えない。


 それでも、私はこのブログで書いた私の30年の人生をここで一括(ひとくく)りにして人生の第一章を終えようと思う。


 ほとんどがひたむきに頑張って夢を追う人生だった。


 初恋で約10年棒(ぼう)に振った。それもこれも、経済力(けいざいりょく)のある家庭に生まれたからできることだった。


 家族を愛せはしないが、両親がいなければ輝いた時間も惨(むご)い思い出も存在しなかったことは明らかである。


 感謝しなければならないんだろう。それでも素直に感謝はできない。


 その辺がイジマしいが、私はこれから過去には想いを馳(は)せず、過去を切り離して歩んでゆくつもりだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る