彼女の街で5 2015年01月11日(日)
彼女の街でおとなしく過していたのかというと違うのである。
夜は肌寒さと寂しさに負けて遊んで歩いた。
家に居てもすることがないと、私はいつもそうやって見知らぬ女にお金を注いだ。
彼女の声が言うのである。「いっといでよ、楽しんでおいで。」とけしかけるのだった。
そうして彼女へ不義理(ふぎり)が立っても彼女は怒りはしなかった。「楽しかった?」と逆に聞いて来るのである。
「みんなそうだよ。男はそうだよ。」と問題なく私を許すのであった。
ある日私は、彼女の家の前を通った時、心臓(しんぞう)が飛び出そうだった。
彼女の父親らしき人が仕事をしていたからである。
私は影に隠れて、その辺をウロチョロしてたのだが、意を決して話しかけた。
「すいません、○○です。○○さんは元気でしょうか?」
すると彼女の父親は一瞬考えたような顔をしたが、
「あぁ、おまえが○○か、今度なんかあったら警察(けいさつ)に突き出してやろうと思ってたんだ。こっちはもう、縁(えん)切りたいから。」
そういうと、後(あと)は、何も答えてくれなかった。
私は必死の思いで身を縮(ちぢ)めながら、「○○さんとご家族共々(かぞくともども)元気に暮らしてらっしゃるんですよね?」と同じことばかり何度も聞いた。
父親は曖昧(あいまい)に頷(うなず)くだけだった。「今度なんかあったらだよ。」と警察(けいさつ)には相談しないようなことを私に言い、「大変だったんだ。」と付け加えてくれた。
それから彼女は「もうこの家にはいないから。」と言った。
私が気がかりだったのは、というのは今でも気がかりなのは彼女の弟さんのことだった。
幻聴の中で、彼女とセットになって何度も登場したからである。
彼女の無事はいいとして彼女の弟さんたちまで全員無事(ぜんいんぶじ)でいてくれなきゃ安心できなかったのだ。
だからこういう言い回しになった。いつものように5円参りをした後(あと)の出来事(できごと)だった。
「大変だったんだ。」の一言は、私が変な通報をしてしまったからかも知れないのだった。
だからか、彼女も家を出る羽目(はめ)になったのかもしれないと思うと私は私が生きることで彼女に迷惑(めいわく)を及(およ)ぼしたのがどうしても許せなかった。
電車で自分の住むアパートまで帰るはずだった。
でもなぜか、私は電車に乗らなかったのだ。
そうして電車から降りて来る人の中に彼女を見つけたような気がして急いでその人を追って改札(かいさつ)を出た。
しかし、その人の姿はもう見えなくなってたが、ふいに彼女が現れるのである。
駅を降りてすぐのコンビニだった。そこから彼女が子供の手を引いて現れたのである。
私は駆(か)け寄(よ)って名前を呼んだ。しかし、彼女は終始無言(しゅうしむごん)だった。
「ねぇ、覚えてない?○○って?大学で一緒だった。」
「クラスとか同じだった人?」
「いや、学年は一個下で文化祭で一緒に頑張った○○だよ。」
そういって数秒(すうびょう)経(た)ってから、あっと合点(がてん)がいったように頷(うなず)いて彼女は、「なんで来たの?」と怪訝(けげん)そうに言ったのだった。
私は、あなたに会いに来たんだよ。あなたも気仙沼まで来てくれたじゃないか。
とは言えず、黙っていると、「観光?」と聞かれ、「そうそうそう。」と嘘っぽく言うのが精一杯(せいいっぱい)だった。
同時にこれが今生(こんじょう)の別れなのだと悟(さと)った。
「結婚されて、子供もいるんだね?何才なの?」と聞くと彼女は極めて事務的(じむてき)に、「1才半。」と答えて私は「お幸せに。」と最期(さいご)に付け加えるので精一杯(せいいっぱい)だった。
彼女は鮸膠(にべ)も無く歩き去ったがその1才半だという子供が私に振り返って、手を振って、別れのポーズをしてくれたのだった。
なんにせよ。不実(ふじつ)の多い片想いだった。これは片想いなのである。
恋愛ではない。恋ではあるだろうが、二人の間に交わし合った愛など無いのである。
偏愛(へんあい)だった。私はきっと、彼女以外の全ての女性が私の手に入っても足りなかった。
その他の男共(おとこども)全員を奴隷として従(したが)えても足りなかった。
しかし、彼女から愛されさえすれば、私は満ち足りたはずなのだった。
そうして胸に鈍い痛みが伴(ともな)うのを半(なか)ば甘美(かんび)な気持ちで迎え入れた。
その胸の痛みだけが、彼女が好きで好きで堪(たま)らなかった証である。
誰に笑われようと、非難(ひなん)されようと、否定されようと、抗(あらが)うことなく胸に痛みが走る。
それは、この9年半に及ぶ恋の成仏(じょうぶつ)であり、彼女が大好きだった私の証明であった。
昔、大切に胸の奥に仕舞(しま)われた情熱の結晶はやがて鈍色(にびいろ)の塊(かたまり)になり時を経て、この時砕け散った。灰となった塊(かたまり)は甘い死の香りがした。
じんじんと静かに長く、確実に胸に響(ひび)いた悲しみは、辛(つら)くもあるが愛おしさそのものであった。
2、3日は続いたが、死にたくもなったが、死ぬ勇気なんてなかった。
駅の改札(かいさつ)で響(ひび)く地鳴(じな)りのような足音を聞いただけで足が竦(すく)んだ。
しかし、このことがあってから、私の病気は快方(かいほう)に向う。
幻聴であったことと現実のズレがはっきりしたことで幻聴も聞こえなくなっていくのだった。
幻の彼女の声は最期(さいご)も私を愛してくれた。
「あなたが私のこと嫌いになったって、ずっとずっと好きなんだから。」
それが幻の彼女の最期(さいご)の言葉である。
とにもかくにも、彼女の無事は確認できた。
それよりなにより彼女は私のことを覚えてもいなかった。
そして彼女は演技しているようには見えなかった。
だから、私が彼女に与えたことは彼女の人生には何も影響してないことになる。
それは幸か不幸かは別として私を安心させる材料にもなった。
たくさん迷惑(めいわく)をかけたと思っていたが、彼女は私を鼻にもかけていないのだから。
これで私の病気は快(よ)くなっていくのだが社会的な地位も、金も権力も、周りにいる仲間も、そして彼女との関係も全てうまくいった経験をしたのが私の病気による体験だったのだ。
統合失調症という病に冒(おか)された訳だが、それは私にとっては至高(しこう)の体験でもあった。
この後から、私は抜け殻(ぬけがら)にでもなったようで、洋服に対する夢とやらも同時に失くしてしまった。
金もないが、本当、特に言うべきこともない、体(てい)の悪いタダの若者に成り下がったのである。
残りのお金を歓楽街(かんらくがい)でパーッと使ってキャバクラ嬢の34に振られたと言って慰(なぐさ)めてもらい、オッパブで35に思いっきりキスしてた。
夜の街ですることもしたら彼女の街に居る理由もなくなって、私はまた母に頼んで「仙台で暮らしたい。」と、母も「これで最後だからね。」と了承(りょうしょう)して中高と住み慣れた街(まち)仙台に腰を据えることになったのだ。
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