彼女の街で3 2015年01月07日(水)

 入院したのは6月末のことである。28才の6月末。一夏の入院生活だった。


 秋口になれば私は退院したが入院中も退院して通院することになっても、幻聴は聞こえていた。


 入院中印象深かった幻聴は彼女が、「書いた。書いた。」と満足げに語ったことである。


 これまでの複雑怪奇(ふくざつかいき)だった幻聴で過した私との毎日を記録したってことだと思った。


 それを聞いて、私は後(あと)は世間に認(みと)められるまで日が経てば、それだけで良くなると考えて肩の荷が降りたのを覚えている。


 私の方でも、それまでにあった不思議なことを全部入院中に紙に起こしていた。


 入院中は娼婦(しょうふ)の甘い囁(ささや)きや、人が死んで行く音を何度も聞いた。


 ストンピングで競い合う覇権(はけん)のような争いがあって、バタバタバタ、ガタガタガタ、ゴトンって、いっつも誰か一人死んで捨てられてくような音が聞こえていた。


 そうして私は入院中、もう誰一人死んでくれるな。


 私の愛した人たちは皆(みな)無事だろうか?とそんなことばかり考えていて、暇な時は紙風船(かみふうせん)を折っていた。


 命の紙風船(かみふうせん)なのだ。平和を祈って、折って折って折りまくった。


 退院する時には入院ベットの脇(わき)に備(そな)え付けられてる簡易戸棚(かんいとだな)は紙風船(かみふうせん)でいっぱいになった。



 それから、入院中、私は結婚してると患者同士(かんじゃどうし)のやり取りで嘘をついた。


 結婚してるから、彼女の街に一緒に暮らすためにやってきたのだと嘘をついてた。


 私の頭の中では嘘ではなかったのだが、出過ぎたマネをした感は否(いな)めない。


 入院は2ヶ月弱だったとはいえ、母は何度も見舞(みま)いに来た。


 母が見舞(みま)いに来ないと外出許可も下りず、従(したが)ってタバコも吸えなかった。だから母が見舞(みま)いに来てくれることは嬉しかった。


 母は必要なものを何でも揃(そろ)えてくれた。暇だった私は読書年間(どくしょねんかん)だったことをポスターで見て、よく小説を買ってもらったのだ。


 この頃、読書熱(どくしょねつ)に火が点き入院中だけで10冊以上読んだ。年末にかけてこの年だけで20冊近く読んだ。こんなに読んだのは人生で初めてかもしれなかった。



 退院に向けて、母と彼女の街や他の観光地も回って、退院後に住む部屋探しもして6畳一間の家賃3万円のアパートを彼女の街の近くに借りて、仕事も探して自活するつもりだった。



 入院中良かったのは、色んな人と出会って話せたことだった。


 先生は、「彼、性格いいよね。」って私の事を言ってくれたみたいで嬉しかった。



 入院費やベッド代などは、先生が治験医療(ちけんいりょう)に差し替えてくれたおかげで、全部(ぜんぶ)製薬会社(せいやくがいしゃ)持ちとなり無料どころか、アルバイト代まで出て、先生に自分に合う新薬を見つけてもらうことに成功した。


 それは本当に感謝すべきことだった。そのおかげで今日の私がいる。


 晴れて退院して、彼女の影を追う生活がまた始まるのだった。

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