気仙沼時代8 2014年07月29日(火)

 スーパーマーケットで働いていた事で話したいことがまだある。


 今回はコーチとのお話を書きたい。小学生時代に自分のサッカーを見ていてくれたコーチがスーパーに買い物に来るのだ。ずっと知らない振りをしていたけど、だいぶ経ってから「分かりますか?コーチ、○○です。覚えてますか?」と売り場で話しかけて名刺をもらった。


 すると今度家で一杯やろうってことになって誘われた事があったのだ。



 私は仕事が終わるとビールを職場で買って、コーチの家を訪ねた。


 コーチの家は汚かった。男の一人暮らしを絵に描いたような部屋だった。


 でも壁中にトロフィーが並んでいた。私が来ると言って出したもののようだ。


 冷たくなったオードブルがささやかに私を迎え入れた。それでサッカー談義に花を咲かせたのだ。


 丁度、アフリカワールドカップが迫(せま)っていた頃だと思う。


 奇特(きとく)にも日韓ワールドカップの記念500円硬貨をスーパーで使って行った人が居て、私はレジでそれを見つけて自分の持ってた500円硬貨と交換して持ち出し、宝物にしていた。



 コーチは大きくなった私に当時の種明かしをしてくれた。


 私が良かった所を三つ教えてくれたのだ。


 私は視野が広かったこと。ポジショニングが良かったこと。コーチングが上手(うま)かったこと。


 この3点は人より秀でた所だったらしい。


 特にシュートが上手(うま)かったとか、ドリブルが凄かったとか、点取屋だったとか、そういうことじゃないのだ。


 私は意外だった。視野広かったんだな。狭くなんないように気をつけていたけど、「君は視野が広い。」と褒められた事など一度も無かったからである。


 でも、身体能力で秀(ひい)でてる部分が無かった事や、一番練習させた世代だったって事を聞いた。練習させ過ぎたと言っていた。やっぱり小学生だから適量があるのだ。



 それから私が中学に進んだクラブで習ったサッカーの理念というか、「サッカーの楽しさを知るのが、サッカーの上達の秘訣だ。」とか、「良い人になるためにサッカーをするんだ。」とか、そういう事を一度大学生の頃体育の単位のために里帰りした事があって、コーチにはそんなことを持ち帰ったつもりでいたが、「そんなんじゃないんだ。」と諭(さと)された。


 もっと泥臭くて、闘志むき出しの削り合い。最初から「プロになるんだ。」って気持ちで海外の子供達はサッカーをしてる。「サッカーを楽しみましょうなんてお遊戯会(ゆうぎかい)じゃないんだ。」とコーチは教え子の中でスペインに行った人らの話を引き合いに出した。


 プロになる奴って言うのは、やられたら、やり返す奴だって言う。


 どうしたら試合に出られるか、うまくなれば出られるんじゃないと言う。


 競合してる選手が駄目になれば(怪我や故障で離脱すれば)もう出られるんだ。と言う。


 だから練習中わざと怪我(けが)させるなんて小競り合い(こぜりあい)に負けるような選手じゃ駄目なんだ。と言った。


 一度痛い目見たならやり返すくらいの奴じゃないとプロまで残らないそうだ。



 そんな話を聞いて、面白い事を聞いたなぁ、やっぱそういうもんなのかぁ、なんて思ったものだ。



 この頃私は本も時々読んでいた。私はそれでもやっぱり暗かったのだ。


 人生うまく行ってない時期だった。本に頼ったり、偏った見方に溺(おぼ)れたりした時期があった。


 丁度この頃だ。兄に憎悪の情を抱きつつ、なんとかならないかと思っていた頃は。


 それから、2ちゃんねるの影響で、どんどん右よりに思考も趣向(しゅこう)も傾(かたむ)いて行っていた。


 汚い言葉いっぱい読むのは最初は苦痛だった。でもだんだん平気になった。


 いつも読んでると、「面白い事言ってる奴いるな。」とか「異常に詳(くわ)しいよなこいつら。」とか「真面目(まじめ)に物を言ってる人もいるな。」とか「ウケる、このコメント。」とか、ニコニコ動画もそうだが、言葉の嵐に巻き込まれていた。半洗脳状態だったと言っても過言ではない。


 テレビも見てたが、ジャニーズ、吉本、創価学会で埋め尽くされるキャスティングにウンザリしてた。


 特に創価学会は反日で悪だと、相当嫌っていた。


 今回話すことはそれとは関係ないが、まぁ心のコンディションはいい時期じゃなかったのだ。



 まだもやもやしてた。夢を諦(あきら)める年齢でもない。夢を目指(めざ)せる年齢でもない。25、26才の悲しい恋に溺(おぼ)れた青年の実像(じつぞう)だった。


 金が欲しいとも思っていた。金さえあればと、嘆(なげ)くようになるのもこの頃かこの後だ。



 でも、そんなモヤモヤを紐解(ひもと)くような本に出会った。創価学会贔屓だと言われる講談社から出版されてる『毒になる親、一生苦しむ子供』という本だった。


 私はこれに感化されるあまり、何冊も買って、親にも読ませたし、兄にも読ませたかったし、その上で小さい頃した事を謝ってもらいたかったし、コーチにもSOSとして渡した。


 と言うのは、私は毒になる親の元に生まれた一生苦しむ子供なんだとわかったからだった。


 懸命(けんめい)な抵抗だった。本を読めば痛いくらい分かる、当てはまってることばかりだった。


 でも同時にその親である父親も毒になる親に育てられた一生苦しんでる子供なのだと分かった。


 私はこの頃、よく親と口論になり、親を叱った。私は元来(がんらい)気の強い方なのだ。


 特に親に対しては強く出ることが多かった。そうはできるくらいは愛された訳なんだが、私はこの本に触発されて、そういう固定化した悲劇のヒロインのような感覚に囚(とら)われていたのである。



 その後は、本田健さんという作家に出会い、虜(とりこ)になったかのように数珠繋ぎ(じゅずつなぎ)に関連書物を漁(あさ)った。


 本田健さんの本は読後幸せになれる良著が多かった。そうしていく度(たび)に、つまらない本に踊らされた自分が馬鹿馬鹿しくもなったし、けど、それも一つの真理なのだとも思った。



 というのはやっぱり、良い家庭で育ったのではないのだなと。それは客観的にもそうなのだろうと、今でも思わないではないのだ。


 専門学校時代に行われたテストで私はあと一つ回答が違えばネグレクトだった。ネグレクトと言うのは虐待された家庭で育った人の心理状況だ。


 今ひとつピンと来ないのは、普通だけど愛の足りてる家庭で育った人では無いと言う事だったのだ。


 大いに不満だった。イライラしていた。でもそれを吐き出す場所が無かったからネットに依存した。


 mixiにTwitterにアメブロも始めて、好きな事書いて、紛(まぎ)らわしていたのだった。

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