気仙沼時代4 2014年07月21日(月)

 スーパーマーケットで勤め始める前にこんなことがあった。


 目黒で開催されるさんま祭りに一緒に行かないか?と父に薦められたのだ。


 その前にも気仙沼港祭りで交通整理員として日雇いのバイトもやった。


 この頃からだ。公務員って何にも張りつめてなくていい仕事ばっかりしているなぁと、公務員を良い意味でも悪い意味でも興味を持ったのは。



 今高校生に戻れたなら受験勉強も公務員試験もちゃんと準備して、地方公務員になるのが将来設計になるだろう。そうして一生安泰(いっしょうあんたい)ってのが一番いい生き方なような気がする。


 実際今は公務員になれた奴が勝ち組って言われる時代だ。


 良い人材が民間に流れて活力にならないのだから時代の方が悪いと思うのだが、それが現実だから仕方(しかた)が無い。



 私が父の誘いに乗ったのは2500円で東京まで行ける事と、通って居た大学が近くにあったから、少しは覗(のぞ)きに行くことができるんじゃないかと思ったからだ。


 実際は大きな炭焼きで網(あみ)の上にサンマを乗せて、目が白くなってきたら裏返すというだけの作業。


 でもキャンペンガールなんかが来てオープニングを盛り上げたりもしてた。


 サンマを焼く前に、同行した代議士の方が「今年はサンマ漁で8人が死にました。」なんてことを盛大に大声で言っていた。悲しそうに言ったのではない。


 どこか開催を喜んでるように言ったのだ。言わない訳にはいかない事実だろうが、何もこんなふうに言う事ないのにって思った。私はそのサンマを暑い思いしながら焼くだけ。


 祭りに来た人は並んで待ってそれを食べるだけ。


 そんなことのために8人死ななければならないのかって思わずにはいられなかった。



 久しぶりに東京に行くと14に連絡を入れた。でも連絡は返ってこなかったし、遊びに来たりなんて奇跡は起こらなかった。


 けど、兄が来た。沖縄で喧嘩して以来、口も利(き)いてなかったが、父がくれた仲直りのチャンスだった。


 私はもう怒ってないし、兄もまた怒ってはいなかった。


 少し祭りの時間を抜け出して、私はタバコで一服(いっぷく)しながら路地裏で語り合った。


 この頃だった、Twitterが流行(はや)ったのは。当時ドラマで『素直になれなくて』が放送されて、一気にTwitterの認知度が上がった頃で私は2000件(けん)目一杯(めいっぱい)フォローしてたから800件(けん)強のフォロワーが居た。兄とそんな話をして、兄は当時出たばっかりのi-Padを自慢(じまん)げに見せてくれた。移動中もメールとかの仕事ができると買ったそうだ。



 帰りに、大学まで走って行ってみた。けどそんなことしても何が変わるってわけじゃなかった。


 少しだけ感傷(かんしょう)に浸(ひた)って、近くの教会で寄付をしてロウソクに火を灯(とも)して帰って来た。


 仏教での線香みたいに、私はそのロウソクをよく使った。


 少しだけ大学の頃を思い出して、高速バスで帰る車内、父とも久しぶりに話をした。



 私は気仙沼に帰ってから、父の生まれだけでなく祖父の過去や祖母の家系のことを父や母から努めて聞くようになった。自分のルーツが知りたかったんだ。


 自分を見つめ直すことで、就職の道も拓けないかと、就職というよりは将来が拓けないかと思わないではなかった。



 それで随分(ずいぶん)と家のことを知るようになる。父の見え方も母の見え方もだいぶ変わって行く。


 まぁ仕事が決まる前にそんなこともあったって話である。



 そして、いよいよ書き始めるスーパーマーケット時代。ここが気仙沼時代で一番濃くて色々あった時期である。仕事の事もプライベートの事も書きたいことが多い。


 次回を楽しみにしてください。

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