気仙沼時代 2014年07月13日(日)

 親の実家である気仙沼に帰郷した私だったが、ここでの数年は矢のごとく過ぎ去ってしまう。


 帰りついたのは24才も半年過ぎた年末だった。


 今30才だから、それから6年もたったのに、この間私の中での体内時計はたった2年くらいである。


 というのも、何もかもが上手く行かず、半分引き蘢(こも)ってパソコン弄(いじ)ってただけだったってこともあるし、その日暮らしにしかならない時給で勤めるバイトを転々としてたこともある。


 それから、学生時代とは違う生活に入って交友関係がめっきりなくなったのもあるし、震災があったのもあるかもしれない。


 ここから書こうとしてるのは震災が起きる前の3年と震災が起きてからの3年なのだが、両方とも瞬(またた)く間(ま)に過ぎてしまった、青年後期である。


 特に、震災が起きた後の3年は病気も発症するし、前後関係が曖昧な記憶が多くなり、何が何だかわからないうちに年だけ食ってしまったような3年であった。


 だから、事実は少し違うかもしれない。曖昧な記憶を頼りに、書かなきゃと思った項目が25個くらい、整理してみるとあった。


 それから病気のことも詳しく書きたいが、書いてるのを読まれても、何の事を書いているのかわからないってことも多くなると思う。


 鵜呑(うの)みにしないで欲しいってことだ。


 本当は病気で、私の頭の中で起こった出来事で現実とは違うってことだ。



 出来不出来(できふでき)はもう、ここまで書いて来てどうでもよくなって来てしまった。


 ここまでは順当に書けたからかもしれないし、ブログを書く前に決心してたことが最近の生活の充実で、特に拘(こだわ)る事でもないと思ったからかもしれない。


 単に老けたのかもしれないし、これから書くもう一山(ひとやま)は書ききる自信がないくらい曖昧な記憶を呼び起こして行く作業なのだ。


 それでも私の人生だ。私が私である理由。


 私の人生の節目。書く必要がある。


 とにかく、書くことにする。わかってもらえても、もらえなくても、後(あと)から読み返して、どう思うかわからなくても、あと一山(ひとやま)、私の人生の告白を読んで頂きたい。



 それで、私はきっと、世の中の人に伝えたいことがなくなる気がしてる。


 きれいさっぱり自分の過去を洗い流したい。


 そりゃあ、私だってドラマティックに最後の演出をして直木賞作家の小説みたいに、自分の半生をまとめたい。


 でもそれができる自信はないんだ。


 とにかく始めたことだから、ここから現在に至るまでを書ききることとする。

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