第6章【アリスの狂愛、死神の歓喜】

 照準。

 発射。

 響く轟音。

 しかし、射出された弾丸はギザ歯のティースプーンによって弾かれる。


「あっはははは!! どうしました、まだこれだけですか!!」


 高らかに笑い声を響かせて、アリスはギザ歯のティースプーンを振り回す。ギザギザしたティースプーンの先端がユーシアの頬を掠め、ピリッとした痛みのあとに濡れた感触が肌から伝わってくる。どうやら血が出てしまったようだ。

 ユーシアは手早く排莢はいきょうすると、今度は薬室に銃弾を叩き込まないでアリスを照準する。照準器スコープを覗き込むと、少女の狂気に満ちた笑みがいっぱいに映った。


「――――ッ」


 引き金を引く。

 空っぽの薬室を撃鉄が叩き、カチンという間抜けな銃声が奏でられる。銃口から放たれた透明な弾丸は確かに真っ直ぐアリスへ飛んでいったのだが、


「あはッ」


 アリスは楽しそうに笑うと、くるりと踊るように射線上から姿を消す。いくら透明で、銃声も奏でられず、誰にも気づかれることなく永遠の睡眠へ誘われるユーシアの【OD】の異能力でも、さすがに追尾型としては機能しない。弾丸の如く真っ直ぐ突き進んだ無色透明の睡眠欲は、アリスの背後にいた名前も知らない男にぶち当たる。

 膝から崩れ落ちた男を見届けて、ユーシアは舌打ちをする。邪魔だとさえ思う。

 目の前にあの復讐相手がいるのだ。家族を殺したあの殺人アリスがいるのだ。早く殺したい殺してやりたい殺して殺して殺して殺して殺してやりたいのに!!


(――ああ、もう邪魔だ)


 そう、なにもかもが邪魔で邪魔で仕方がない。

 通行人も、悲鳴を上げる輩も、全てが邪魔で仕方がない。鬱陶しい。邪魔だ。全部が邪魔だ!!


「どうしました、まだ殺したりないですよね、ねえねえそうでしょう殺したいでしょう私の首はここですよここですよ早く殺してくださいよねえ殺したいでしょう殺したいでしょう殺してやりたいでしょうねえねえねえ!!」


 狂気に満ちたアリスは、絶えずユーシアに殺意を呼びかけてくる。

 そうだとも、殺してやりたい。ずっとユーシアはそれを望んでいて、今日ようやくその願いが叶いそうなのだ。呼びかけてくれなくてもやってやる。

 ユーシアは銃弾を薬室に込めて、照準器を覗き込む。

 長い時間を共にした純白の対物狙撃銃が、確かな重みを伝えてくる。照準器の向こう側では笑顔でティースプーンを振り回すアリスにしがみつく、金髪の少女がいる。幻影の少女は、ユーシアにしか見えない。彼女は仇であるアリスを守るようにして、夢見る少女に寄り添っている。


「……退いてくれ……」


 ユーシアは引き金に指をかけながら、幻影の少女に向かって叫んでいた。


「退け、エリーゼ!!」


 幻影の少女は、叫ばれてもアリスの側を離れない。それどころか、首を緩やかに横へ振って、拒否の姿勢を示しているではないか。

 ユーシアは構わず、対物狙撃銃の引き金を引いた。ほぼ苛立ちに任せた状態だったかもしれない。

 タァン!! と細く長い銃声が、アンダーグラウンドの街並みを轟く。ユーシアにしか認識できない幻影の少女を掻き消して、殺傷力が削ぎ落とされた弾丸はアリスの心臓を狙う。


「あはははッ」


 アリスは壊れたように笑って、ティースプーンを振り抜く。

 ガギギィン!! と鈍い音。呆気なく弾丸は弾かれてしまって終わった。


「こんなものですかぁ? 私が求めていたユーシア・レゾナントールとは違いますねぇ?」


 ぐらぐらと酔っ払いのように頭を揺らして、アリスは血走った瞳でユーシアを見据える。ギザ歯のティースプーンで素振りをしながら、少女は「おかしいなぁ」などと言う。


「『白い死神ヴァイス・トート』と恐れられたユーシア・レゾナントールさんはどぉこ行ったんですかねぇ?」


 カックンと首を傾げたアリスは、引き裂くような笑みを浮かべて「そうだ」とまるで遊びを思いついた子供の如き口調で言う。


「あなたの大切を壊しましょう? ねえ、その方がずっとずっと楽しそうです」


 そう言って、アリスはティースプーンをユーシアに突きつけた。

 正確には、ユーシアの後ろで身を寄せ合っている少女たちに。

 ネア・ムーンリバーとスノウリリィ・ハイアット。

 彼女たちの存在を思い出して、ユーシアの狂気が現実に引き戻される。目の前にはアリスがいて殺してやりたくてその笑顔を引き裂いてやりたいと思っているのに、不思議と今その瞬間だけ、理性が働いた。

 ユーシアは対物狙撃銃に銃弾を込めながら、


「リヴ君ッ!!」

「了解でーす」


 どこからともなく聞こえてきた、青年の飄々とした声。

 次の瞬間、ユーシアの視界に真っ黒な人影が躍り出る。

 その正体は真っ黒なてるてる坊主のようで、黒い雨合羽レインコートと黒い革手袋などで肌を完全に覆い隠している。ぶかぶかの袖から大振りなサバイバルナイフを引き抜いた凶悪なてるてる坊主は、疾風の如くアリスに牙を剥く。


「あらー?」


 予想外の乱入者に、アリスはあっけらかんと言う。

 振り抜かれたサバイバルナイフを飛び退いて回避した彼女は、真っ黒てるてる坊主――リヴ・オーリオの存在を認識して「あはッ」と笑った。


「死神さんのお友達じゃあないですかぁ。こんなところで奇遇ですねぇ」

「白々しいですね、やっぱり死んでください。三回ほど」

「お断りですぅ。あなたに殺されたくありませんので」


 ニヤニヤと微笑む様は、まるでチェシャ猫のようだ。雪の女王と戦って敗れたあの桃色の髪の少女が脳裏を過ぎるが、それも一瞬のこと。

 ユーシアは対物狙撃銃の銃口を、紺碧の空へ向けた。

 狙うは一つ――空に輝く、歪んだ笑みを浮かべたあの月だ。


「――――落ちろ!!」


 ユーシアは対物狙撃銃の引き金を引く。

 タァン!! という銃声と共に弾丸が射出され、生物ではない標的は幻影の少女の守りもない。真っ直ぐに飛んでいった弾丸は、的確に月に描かれた鼻っ面を射抜く。

 すると、窓ガラスが割れるようなパリンという音がアンダーグラウンド全体に響き渡る。ユーシアの弾丸を受けた月が粉々に砕け散って、地上に巨大な破片を大量に降り注がせる。

 他の通行人は「月が割れたぞ!!」「逃げろ!!」などと叫んで、蜘蛛の子を散らすように方々へ逃げ出す。


「あらら、あららららら」


 アリスはギザ歯のティースプーンを振り回して降り注ぐ月の欠片を払い落とし、やはり何故かケラケラと楽しそうに笑っている。こんな危ない状況の中でも、傷一つつけられないとは恐ろしい。


「興が削がれてしまったので、この辺でお暇しますよ。――次に会う時は必ず殺してくださいね、ユーシア・レゾナントールさん。楽しみにしていますので」


 慇懃いんぎんな態度でお辞儀をしたアリスは、人混みの中に姿を消した。


 ☆


「――珍しいですね、シア先輩がアリスを前にして正気を取り戻すなんて」

「俺もびっくりしてるよ」


 リヴの言葉に、ユーシアは本気で頷いた。

 こんなことは初めてかもしれない。今までずっと『アリス』と聞いただけで目の前が真っ赤に染まって、誰彼構わず殴って狂ったように叫んでいたのだから。

 だから、本物のアリスを前にして正気を取り戻すことができたのは奇跡に近い。

 阿鼻叫喚の地獄絵図と化したアンダーグラウンドの裏路地に避難して、ユーシアはライフルケースと一緒に引きずってきた一抱えほどもある肉の塊を持ち上げる。


「あーあ、ユーリさん死んじゃった」

「随分と軽いんですね」

「腕はよかったんだけどなぁ」


 ユーシアの腕の中には、知り合いの生首が抱かれている。

 格安で【DOF】を完璧に調合してくれるなんて、彼以外に存在しない。調薬の腕がよく、魔薬の他にも二次元でよく見るお薬をたくさん開発するという危ない趣味もあったが、まあいい奴だった。

 それがこうもあっさり死んでしまうとは、少しばかり寂しいものがある。


「おにーちゃん、そのひと、どうするの?」

「多分、どこかに落ちてるだろうこのお兄さんのお身体と一緒にするよ。その方が、この人も浮かばれるでしょ」


 スノウリリィに「ばっちいですよ」と止められながらも、ネアは死んでしまったユーシアの知り合いの生首に手を伸ばす。出会って間もないからそれほど印象に残っていないのか、少女はまるで他人事のように「かわいそうだねぇ」と言う。


「おからださんとはなれちゃって、かわいそうだねぇ」

「そうだね。戻してあげようか」

「うん」


 ネアはしっかりと頷くと、ユーシアから生首を掻っ攫った。「ねあがもってったげる」とまで宣言してくれるなんて、とても優しい女の子である。

 鮮血で衣服が汚れることも厭わず、彼女は知り合いの店まで行こうとする。バタバタと慌てた様子で駆け回る人々の間を縫うようにして、スノウリリィから「こっちですよ」と案内を受けながらネアはしっかりと首を運んでいく。

 そんな彼女たちの背中を追いかけながら、ゲームルバークきっての悪者であるユーシアとリヴは彼らにだけしか聞こえないほどの声量で囁く。


「アリスの【OD】ですが」

白兎シロウサギだったね」

「最初から怪しいと思っていましたが、やはりそうでしたか」

「リヴ君。今回は殺してってお願いしないよ」


 ユーシアは翡翠色の瞳に確かな殺意を漲らせて、


「だって、あいつを殺すのは俺だから」

「……分かってますよ。そこまで野暮なことはしません」


 やれやれと肩を竦めたリヴは、


「復讐が完遂したら、アンタは一体どうするおつもりで?」

「そうだねぇ――」


 砕け散ってしまった月の欠片を、さらに踏み砕きながらユーシアは言う。


「その時に考えるよ」

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