2016年【隼人】43 そんな軽いキスじゃなかったはずなのに

 握り締めた拳を地面について、ゆっくりと隼人は立ち上がる。


 簡単な動きでさえも、ひと苦労だ。

 うまく力が、はいらない。

 昨日の夜から殴られ続けた全ての痛みが、いままとめてやってきたようだ。

 それでも歯を食いしばり、拳を握った男は大地に立つ。


「加勢は必要ないぞ。浅倉はよく頑張った。ゆっくりしていろ。いま、ぼくはすごく嬉しいんだ。久我と付き合って、初めて彼女の役に立てるんだからな」


 不良の集団リンチよりも、撫子という個人の強大な力よりも、強力な攻撃を受けた。

 遥の彼氏に守られることが、こんなにもきついだなんて。


 体から力が抜ける。

 足がぐにゃっと折れ曲がったかのように、膝をついていた。

 地面がどんどん近づいてくる。


 前のめりに倒れているようだ。

 これで死ぬかもしれない。

 殴られて息絶えるのが無理ならば、打ちどころが悪くて死ぬというのもありだ。

 だが、柔らかい感触が隼人の顔面を包み込んだ。


「おい、お前には、話してもらいたいことがある。しっかりしろ、浅倉」


 顔をあげると、もたれかかっているのがコトリだとわかる。

 なんで、こいつなのだ。

 遥が受け止めてくれないというのは、どういう冗談だ。

 でも、コトリの巨乳だからクッションがわりになったのは否定できない。


「いまの話は、マジなの? ハルと別れたの?」


「別に、付き合ってはいなかったからな」


「そんな軽いキスじゃないだろ。あのときのは」


「うるせぇな」


 意地になって、隼人は一人で立とうとする。

 だが、思った以上にダメージが蓄積されている。

 どうしても、コトリを抱きしめるようによりかかってしまう。

 顔はいいと認めても、それでも嫌いな女に甘えるような行為をするのは屈辱だ。


 にしても、巨乳だな。

 リンチが終わって膝をつかなければ、こいつにフェラしてもらえて、プラスアルファもあったのだったか。

 いや、そのご褒美も別のなにかに、更新された。


 皮肉なことに、コトリが決めたルールに、このあと倉田と遥は従うのかもしれない。


「倉田の攻撃で、オレは膝をついた。だから、あいつと遥が、そういうことだろ」


「なにをブツブツ言ってるんだ。しっかりしろ、浅倉。おい! あさ――」


 隼人の頭の上で、コトリは息をのんだ。


「さて、君が最後の一人だね」


 倉田の淡々とした言葉に、コトリが震える。

 彼女の恐怖は、密着している隼人にはダイレクトに伝わってくる。


 こいつの性経験は知らないが、案外、処女を奪われたときもこんな風に震えていたのかもしれない。

 ムカつくけど、女の子なのだ。

 それから、遥をハルと呼んでくれる友達だ。


 しょうがねぇな。

 嫌いだが、遥の友達ならば守ってやるか。


 有沢が殴り倒されて、隼人はいやな気持ちになった。あんなものは、遥が知らなくてもいい感情だ。


 だから、遥のためにコトリを守る。


 意外と体は動くものだ。

 乳に癒されたのかもしれない。


 地面についていた膝を伸ばして、立ち上がる。

 コトリに背中を向けるようにして、相対した倉田を睨みつける。


 ぼんやりとした視界の中で、遥の姿を探すのだが、見つからない。


 ――なんだ、あいつUMAかよ。確実に存在しているはずなのに、見つけることができないなんて、どうなってやがる。もっとも、倉田の体が邪魔で見えないだけってのは、わかってるんだよ。てか、なんだ、なんだ。彼氏さんはオレが遥を見ることさえも許さないってのか。


 こいつをぶっ倒す。

 そんでもって、その向こう側の遥を目に焼き付ける。


 面白くなってきた。


 意地でも倒してやる。そうすりゃ、隼人にとってはもっとも価値のあるUMAが捕まえられるってことだろ。


 毎晩のオナニーで汚れにまみれた手を握り締める。

 こいつを倉田にぶち込んだあと、開いた手で遥に触れるのだ。


「どうした、浅倉。こわい顔をして? もしかして、ヒソヒソ話をしていたときに脅されたのか? でも、安心しろ。もともと女性を殴るつもりはないからな。浅倉が盾になる必要はないんだ」


 岩田屋中学校の不良集団と戦って無傷のままの男は、更に続ける。


「その悪い女には別の役目がある。連中が目覚めたら伝えておいてほしいことがあるんだ。これで懲りたら、もう浅倉には手を出すな、とな」


 隼人は倉田を殴ろうと考えていた。

 その頃、倉田は隼人のアフターケアーについて最善の手を考えていたというのか。


 負けた。

 もともと、勝てるとも思っていなかったけれど。


 遥――


 幸せにな。と、心の中で祝うことすらできなかった。

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