第3話

「それにしても、ボクには何か足りないと思うんだよ」

「何が足りないのだ……!?」


 満夜が身を乗り出して訊ねた。


「萌えだよ。萌えがたりない! 我慢できなくなってきたよ! レッサーパンダちゃんが見たい!」

「この変態先生が……」


 満夜がボストンバッグのチャックを少しだけ開けると、そこから鵺がムニュッと顔を出して大きく息をついた。


「ぷっっはあああああ。いつまでこの中に入れておくつもりだ! おお!?」


 鵺が八橋に気付き、ヒュッと顔をバッグの中に引っ込めた。


「ああ! めっちゃかわゆい!! ムニュッて出たりヒュッて顔を引っ込めたり! やっぱりレッサーパンダちゃんは最高だよね!?」

「八橋先生、それよりも風土記の先を読んでくれへん?」

「あ、そうだったそうだった。ついついレッサーパンダちゃんの魅力に心を奪われるところだったよ」


 そう言って文献に視線を移して、八橋はそこに記されていることを読み始めた。


「平坂国の産物はヒエアワ米が主だったみたいだね。干ばつにもあわず昔から安泰の地として知られていたみたいだ。その代わり、平坂国を欲しがる武将が後を絶たなくて、たくさんの人が亡くなったみたいだね。城のあった丘には淵があって、その淵が血で赤く染まったらしい。そのときに血に染まった沼があって、そこは血吸い沼と呼ばれて誰も近づかず、何をしても実りがなかった……忌み地とは書いてないけど、郷土史に書いてあった忌み地ってここのことじゃないかな」

「血吸い沼……聞くだにワクワクしてくる名称だな! オカルト魂に火が付くぞ。やはり血を求める化け物が徘徊していたのだろうか!?」

「普通はゾクゾクするもんやないの」


 凜理が満夜の様子を見て呆れた。


「たくさんの人が亡くなった土地なんですか……幽霊が出ないなんて不思議です」

「幽霊が出ないかどうかはこの風土記には書かれてないな。そういうのはだれかの日記とかエッセイみたいなものに書かれてあるんじゃないかな」

「日記やエッセイてなんやの?」

「草子とかいうヤツかな。徒然草とか有名だよね。雑文を書いたやつだよ。中には耳嚢みみぶくろなんて変わったタイトルにする人もいたね」

「確か、怪異や不思議な話を聞いて書き綴ったものだな」

「満夜てなんでそういうことに関して博識なんや……」

「凜理、オカルト研究というものはな、常に古今東西で語り継がれている怪しい話などをこの脳内に蓄えておく必要があるのだ」

「なら学校の勉強もその中に加えてやってぇな」

「却下!」

「ところで、続けてもいい?」

「ごめんな、先生続けてもええよ」

「うん。そう言った日記には平坂について聞きかじった物事を書いてある可能性があるからそれを探したほうがいいかもね」


 そこで再び司書にそのことを話して、寄贈本の中にそういったものがないか調べてもらった。

 すると、運よく現代語訳した書物が個人所蔵として図書館に預けられているものがあった。


「おお、神の采配! 我々がいずれ平坂のことを調べるということをわかっていたのだ!」

「運がええなぁ……」

「なかったら、古文書を一冊一冊見ていかないといけなかったですね」


 オカルト研究部員は胸をなで下ろして、書架に案内された。


「個人所蔵のものですから、貸し出しはできません。コピーはできますから、必要なら申し出てください」


 司書はそれだけ伝えて自分の仕事に戻っていった。


「もうそろそろ六時を過ぎるな……」


 図書館閉館まであと一時間を切った。


「ボクは明日もここに来ても良いけど」

「ううむ。目の前に本があるのに読めないとなると心残りがあるな。こうなれば、コピーをしてもらって、オレが明日までに読み解く」

「見るからに旧漢字使ってて読みにくそうやないの?」

「安心しろ! この手の文字は父ちゃんの古門書で慣れている。多分辞書もあったはずだ」

「念のため、ボクの分もコピーしてくれたら、ボクも読んでおくよ」

「さすがはオレの手下だ! いくらでもオレに尽くすがいい!」

「手下ちゃうやろ! お礼くらいいわなアカンで!」


 凜理は軽く満夜の胸を手の甲ではたいた。

 結局、『平坂郷伝聞帖ひらさかごうでんぶんちょう』という、平坂町に伝わる諸々のことを書き綴った冊子をコピーしてもらった。


「それにしても開いただけで糸が切れそうな感じがしてドキドキしたね」

「ページがばらけてしもうたらどないしよて思うたわ」

「ばらけたらばらけたで、ページを順番に並べ直すのもドキドキするよ」


 どうもドキドキの質が、八橋と凜理とでは違うようだ。


「ロマンだなぁ」

「やっぱりこの先生、どっかおかしいわ」

「そんなことはとうの昔にわかっていたことだ、何を今更」

「そうですか? 今日は古文書を読んでくれて凄く頼りに思いました!」

「白山さんは優しなぁ」

「だって、八橋先生がいなかったら、多分読めなくて行き詰まりました」

「確かになぁ……」


 図書館を出て、四人は別れて家に帰った。

 別れた途端、もぞもぞとボストンバッグがうごめいて中から鵺が飛び出した。


「ぷっはあああ! 一体いつになったら出られるのかと心配になったぞ!」

「よう我慢してたな、途中で飛び出してくるかと思うたで」


 凜理が苦笑いながら鵺をみた。

 鵺は早速満夜の肩によじ登る。


「あの二人がいるときに外に出ておったら命がいくつあっても足りぬわ。ところで、血吸い沼のことを調べることにしたのか」

「おそらくこの沼に平坂高校が建てられたのではないかと考えている」

「血吸い沼とかいうのは知らぬが、わしがこの地を守り、侵入者を阻んでおった頃、争いで死んだ民草を湖沼地帯に放り込んでいたのは知っておる」

「なに!? ならばなぜすぐにそのことを言わんのだ」

「こんなものに封じられておっては言いたいことも言えぬわ!」

「気の利かん獣だ」

「獣ではない! 鵺だ!」

「まあまあ、落ち着いて。要するに、湖沼地帯の場所が平坂高校のある場所やてまだ決まったわけやないし、満夜がコピーしてもらった文献を見てから、考えるしかないんちゃう?」

「ぬう、凜理の言うとおりだな。帰ったら徹夜で読み解くぞ」

「うん、がんばってぇな」


 二人は二手に分かれて家路についた。

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