第6話

***




「それで、課題は少しは進んだのん?」


 満夜が荷物を持って白山宅を出て行こうとした矢先、心配したのか朝早くに訪れた凜理に訊ねられた。

 玄関先で出会い頭にそう言われて、満夜は自分を掴む美虹の手に抵抗するのをやめた。


「帰ってからやる」


 何事もなかったように、お泊まりセットと七つ道具を入れたバッグを背負い、気を取り直すためにパンパンと胸の辺りを払った。

 しかし、背後霊のように背中には美虹がくっついている。


「くっ、重いが気のせいだ……」


 この重さは鵺が肩に乗っているためだと言い聞かせるように満夜はつぶやいた。


「美虹さんは何で満夜にくっついとるん」

「お姉ちゃんは芦屋先輩のことが好きなんです!」

「は?」

「昨日発覚したんです。まさか、お姉ちゃんに恋の季節がやってくるとは思わなかったです」

「どういうこっちゃ」

「前世からの因縁だよ」


 美虹が「ふふふ」と不敵に笑いながら言った。


「気がついたの。あ、この人だって。今まで何か足りないと思ってたんだけど、それはこの人が足りなかったんだって思ったわけ」


 美虹が満夜の背中にぺったり張り付いたまま、目をキラキラさせた。


「前世からの因縁……」

「凜理、確かに誰にでも前世はあるが、美虹くんとオレとの前世は存在しないのだ!」

「別に年上でも恥ずかしゅうないんちゃうん」

「オレはまだ承諾した覚えも受け入れた覚えもないぞ!」

「好きとは違うんだよ、愛なんだよ」

「重い!」


 それは体重が重いのか、愛が重いのか、誰にも判断が付かない。


「それより、満夜は課題を済ませな、もうタイムリミットは二日やで」

「そうなんだが、この調子なので何もできないのだ」

「うーん……白山さんとこがダメなら、うちに来る?」


 いつもえらそうで横柄な満夜がいつになく困り果てていると感づいた凜理は気を利かせてそう提案した。


「それはいい! 凜理にしては良い考えだ。早速おまえの家に行くぞ。さらばだ!」


 といいつつ背中の美虹と格闘し、ついに引っぺがすことに成功した。




 菊瑠たちに玄関で見送られて、胸をなで下ろしている満夜を見た凜理が、満夜の顔を覗き込む。


「大丈夫? なんやあったのん?」

「う……それは……いや、何もないが……」


 まさか昨夜のあれやこれやを凜理にありのまま話して、美虹たちを悪魔とかなんとか言うのは気が引けたようだ。


「ふーん……満夜が焦っとるとこ見るのは久しぶりや。それに美虹さんが急に満夜のこと、好きになるのんも不思議な話やな」

「うむ」


 こればかりは満夜にも謎だった。ただ普段から自分には異性を惹きつけるだけの十分な要素があるとは思っているが。

 凜理が聞いたら鼻で笑いそうなことを考えている満夜に、凜理が念を押した。


「それはそうと、満夜、あと二日や。二日でなんとかせなアカンで」

「う、うむ」

「うちもついとるから、二日は徹夜で課題をこなすんや」


 毎年夏休みの最終日になると、この試練はやってくる。満夜の課題をしなさすぎるところを凜理は寛大にも受け入れた上で、一緒にクリアしようといってくれた。


「持つべきものは手下だな」

「手下ちゃう! それを言うなら持つべきものは友や!」


 ぼそっとつぶやいた満夜の言葉を聞き逃さなかった凜理が目くじらを立てた。


「それはそうと、少しは進んだのん?」

「ううむ……あまり成果はなかった。己の力だけでやりおおせようとは努力してみたのだが」

「できるヤツからやろ。できんヤツは後回しや」

「そうだな」


 課題だのテストだのになると、いつも態度のでかい満夜が殊勝な様子になるので、なんだかおかしくなって凜理は含み笑った。


「なんや、満夜らしゅうないなぁ」

「どこがだ」

「いつもなら、オレにこんなものは必要ない! てゆうとるやん」

「必要ない。オレは術師になるのだから、こんなことをしている暇があったら日々術師になるための修行を続けねばいけないのだ」

「でも、素直に課題をやっとるやん」

「それは卒業はしないといけないからだ」


 意外にまともな言葉を聞いて凜理は目を丸くした。


「高校を卒業するつもりやったん?」

「つもりだったとはなんだ、聞き捨てならんな。卒業くらいせねば父ちゃんに示しが付かん」

「お父さんのためかぁ……」


 満夜の死んだ父は術師だったが、ちゃんと仕事を持っていた。大学を卒業した父は経営者として祖父の手伝いをするために、不動産の勉強をしていたのだ。といっても、不動産運営は専門家に任せて、自分はコンサルタント的なことをしていた。


「父ちゃんのようになれなくとも、高校を卒業して偉大な術師になれば、父ちゃんも草葉の陰から喜んでくれると思っている」

「てゆうか、高校卒業だけやのうて、大学も受験したらええやん」

「平坂大学か……」

「そうや。せっかくおもろい先生もおるんやし、いっそのこと民俗学科を目指してみたらええんとちゃう?」

「ううむ」


 凜理の言葉が果たして満夜の心に届いたかは謎だが、それを聞いた満夜は顔をしかめた。


「いずれ答えを出す」

「えらそうにいうとるけど、まずは学力がついてこなアカンで。入ると決めたら絶対に今後赤点とらんようにせな!」

「ぬぅ」

「頑張れ! 満夜!」


 道々、凜理に励まされながら、二人は凜理の家に向かったのだった。




 その日の午後から、やる気満々の凜理に満夜は尻を叩かれながら課題に向かい合った。


「古典はなんとかなったが、現代国語はどうにもならん!」

「小難しい漢字は読めても主人公の気持ちが読めんてどういうこっちゃ。なんでそこでそないな感情がでてくるんや!?」

「仕方がないだろう! この主人公の考えることは愚かなのだ。なぜ、このように軟弱なのだ!? 訳がわからん!」

「訳がわからんのはおまえだ!」


 ギャンギャン言い合いをしながらそれでもページを進めていくうちに夜になり、やがて夜中の十二時に時計の針は回った。


「はぁはぁ、なんで課題を解いてるだけなのに、体力までつこうとるんやろか」

「それはおまえが声を張り上げてごちゃごちゃと抜かすからだ」

「満夜が余計なこといわんといたら、うちもこないに怒鳴らんですむんやで」

「では怒鳴らないでくれたまえ」

「それが余計なことてゆうんや!」


 コンコンと凜理の部屋のドアが叩かれる。


「凜理、もうそろそろ遅いから」

「あ、お母さん」

「おお、おばちゃん」

「満夜くんも凜理もいい加減に寝なさいね」


 美千代が優しくそう言ってドアを閉めた。


「おばちゃんはあれほどに優しい女性なのに、おまえはなぜ似なかった」

「やかましわ。それもこれも満夜のせいやないの」

「どこがオレのせいなのだ……」


 満夜はぶつくさ言いながら、廊下に出てパジャマに着替えた。階下の座敷に布団を敷いてくれているはずなので、鵺と一緒に階段を下りていく。

 階段をトントンと下りていく途中で、だれかに背中を触られた気がして足を踏み外してしまった。


「とおっ!」


 階段を転げながらもバランス良く両脚で着地する。


「なんなんだ!?」


 慌てて背後を振り返ったが、ライトに照らされた階段には誰もいなかった。


「どうしたのだ? 何をおかしなかっこうをしておる」

「いや、誰かに背中を触られたような気がしたのだ」

「誰もおらなんだぞ」

「ううむ」


 満夜は腑に落ちない表情で階段を見上げた。




 結局、睡眠時間二時間で突貫して課題をやり遂げたが、数学だけは登校日の朝まで頑張っても終わらせることは無理だった。

 げっそりした面持ちの満夜と凜理は、美千代と竹子に見送られて、敗北者然としたていで、登校したのだった。


「そういえば、初日の夜に変なことがあったぞ」

「なんなん?」

「階段を下りていたら、背中をだれかに触られたのだ。危うく大けがをするところだった」

「気のせいなんやないのん?」

「いや……オレが気のせいで階段を踏み外すわけがない。この第六感がオレに何かを告げたのだ。何を告げたか探らねばいかん」

「わしが見たときは何もおらなんだが」

「キサマの目があまりに小さすぎて何も映ってなかったのだろう」

「好きにほざいておれ。いずれこのあぎとでおまえを食らうつもりだからな」

「てゆうか、なんで鵺も付いてくるのん? 学校やで」

「わしが何もできぬただの獣と思うてか! 娘、わしは好きなときに姿を消すこともできるのだぞ」

「そうやったん!? なんで、今までせんやったの」

「さすがに多勢に我が姿を拝ませるわけにはいかん。一人二人に我が姿を見せるのとは訳が違う」

「そうなんや……」

「とりあえず、姿を見せる見せないは置いておいて、オレの頭から下りろ」

「従者のくせに生意気なわっぱだ」

「この糞レッサーパンダが!」


 こうして、学校生活という日常が満夜と凜理と鵺に戻ってきたのだった。

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