第2話
***
「「「この像がいざなみ?」」」
バスの中で、摩耗した四角柱の像を見せられた、凜理と姉妹が驚きの声を上げた。
「そうだ。文献で教授がはっきりとこの像はいざなみである、祠に祀り、平坂の地を守るために作られたと書いている。だが、オレにはわかった! オレくらいの知識がなければ——」
「それで?」
満夜の言葉を遮って誰ともなく声が上がった。
「むぅ……しかし、いざなみは女神だ。女神がこのような姿をしているはずがない。そこでオレは考えた。これは九頭龍でもあるいざなみの姿を具現化したものだ」
「たしか前にそないなこというてたな」
こればっかりは満夜の得意とする分野だ。誰も口を挟めない。
「じゃあ、昔からいざなみ教ってあったんですか?」
「白山くん、安心したまえ。いざなみは大昔から信仰の対象なのだ。いざなみ教など、その信仰の歴史に比べれば受精前の卵のようなものだ」
「それはなぜ?」
「美虹くんも不思議に思うのか? 自明の理だ。いざなみはいざなぎなくして単独では信仰されにくい神だからだ。しかも黄泉に行ってしまった神をわざわざ祀る神社は相当な深い闇があるぞ」
「確かにいざなぎだけ祀った神社もよう聞かんな」
「なぜ、六芒星の一点にいざなみを祀る祠があったかがキーワードだ」
まるで答えを明かしたかのようにふんぞり返った満夜の頭の上を鵺がペシペシ叩く。
「本来ならば、わしの後付けで龍の像が祀られたのではないか。やはりあの祠はわしを祀る場所であったに違いないぞ」
「この自己顕示欲の塊が! 銅鏡がない今、そのような結論に至るのは早急なのだ! オレは祠をこの目で見るまでは答えを出さない」
「この石頭めが!」
そう言って、鵺は何度も足で満夜の頭を叩き続けた。
「……自己顕示欲の塊が、鵺のことをよう言えるわ……」
二人のやりとりを呆れためで凜理は眺めたが、満夜のいうことには一理ある。
いざなぎ神社の由来を知る凜理からすると、確かにいざなみだけを祀る神社は存在しないことになっている。日本で一番有名な神社は、多賀神社と聞いているけど、ここでもいざなぎと一緒に祀られているし、しかも、ここでいざなぎが余生を過ごしたことになっている。
いざなみはいざなぎと別れてしまった後、この多賀の地に来ることはなかったと思うのに、いざなみも一緒に祀るのはなぜだろう。
「夫婦神だから、離婚したら、離婚神になって困るからだ」
心の声が漏れていたようで、それを聞き漏らさなかった満夜がのたまった。
「外聞が悪いちゅうことなん?」
「まぁ、そういうことだ。だが、いざなみを祀って明治時代に廃止されて消えてなくなった神社や祠はごまんとあるだろう。平坂大学の山の頂上にある祠もそうやって忘れ去られたのだ」
「壮大な歴史ロマンだねぇ」
「じゃあ、いざなみを祭神にしているわたしの家はやっぱり闇が深いんでしょうか?」
美虹が感嘆している横で、菊瑠が不安そうに訊ねてきた。
「白山くん、不安になるのも無理はない。いざなみは古事記では最終的に
「離縁したかったいざなぎからしたらええ迷惑やな」
「本当にいざなぎの隣にいるのがいざなみなのか誰にもわからんがな……ふふふふふ……」
「そうだね。もし、いざなみがいざなぎの隣にいたら、なんの問題もなかったかもね」
そうこうするうちにバスは平坂大学前に到着した。
大荷物を担ぐオカルト研究部の面々は民俗学科学部棟を目指したのだった。
学部棟の前に付くなり、一番大荷物を持っていた美虹と菊瑠が荷物を地面に置いて大きく息を吐いた。
「ふぅ! 重たかった」
満夜は不思議そうな顔をして姉妹を見た。
「何を持ってきたのだ?」
「満夜くんは何も食べずに夜まで過ごすつもりだったの?」
「わたしたち、お夕飯の材料を持ってきたんですよ!」
「おお、食べ物か。すっかり失念していた。凜理、見ろ。彼女たちの気の遣いようを!」
「うちはお菓子を持ってきたんやけど、満夜はいらんみたいやな」
口をとんがらせた凜理が自分の持っていたボストンバックの中身を見せた。ポテトチップスやチョコレートがいくつか中に入っている。
「結局何も持ってきてないのは満夜だけなんちゃうん」
「ぬう。これは優秀な部員を持ったことを喜ぶべきなのだろうな。皆のもの、でかしたぞ!」
「自分の不覚をごまかさんといて」
「だがな、オレはこれを持ってきているのだ! じゃーん」
満夜がポケットから銀色のとんがったものを取り出した。
「にゃにゃあーーんっ」
途端に凜理の頭から耳が生え、スカートの裾からはしっぽがポロンした。
「にゃーん、ごろごろ」
煮干しを前にして、クロと化した凜理がご機嫌な顔をして満夜にまとわりついてくる。
「薙野先輩どうしたんですか!?」
菊瑠が驚いて凜理を見た。
「凜理は煮干しやらが大変好物なのだ。こうして見せると、ご機嫌もまっすぐになるのだ。覚えておきたまえ」
「はーい」
美虹だけがニヤニヤと普段見せない笑みを浮かべている。
「なんだ、美虹くん」
「ううん、何でもないよ」
意味ありげな笑みを浮かべる美虹を満夜はいぶかしげに見ていたが、みんなから手渡された荷物を持つと学部棟に入っていった。
研究室のドアを叩き中に入ると、資料とレポートの山に埋まった八橋がいた。
「あ、いらっしゃい。レッサーパンダちゃん〜」
メロメロな顔つきで寄ってきて抱きしめようとする八橋の顔に、両手を突っ張って近寄らせまいとしている鵺を無視し、ボストンバッグから満夜は白い箱と文献を取り出した。
「読んだぞ」
「それで、わかったことはあった?」
「推測だが、この像は龍で、いざなみを模しているのだと思われる。銅鏡との関係性はわからないが」
「ボクは大いにあると思ってるよ」
「それはなんだ?」
「君が教えてくれた六芒星だけど、全部、鵺の体を封印してある場所だよね? その一つにこの大学も含まれていた。でも本当は銅鏡のあった祠じゃないのかな?」
「うむ。ご明察だ」
「なぜ、鵺を封じた銅鏡といざなみの龍の像が一緒にあったか……それは鵺がいざなみを封印していたからじゃないかな」
「封印が封印するのか!?」
「いや、わからないけど」
「やけに気弱な推論だな。持論など自信を持っていうに限るぞ!」
自信だけはやけに有り余っている満夜は像を見つめて考え込んだ。
「ということはだ……鵺のいうことも理解できるな……キサマ、体を封印される前は平坂の地を守護していたといったな!」
「そうだ。わしがいる限り、平坂の地は安泰だった」
「鵺の体を封印している場所、いざなみの像……そうか!」
いきなり満夜が手を打って叫んだ。
周囲にいた四人がビクッと飛び上がる。
「な、なんやの?」
「まだ確証はないが、それぞれの場所に関係するのは黄泉だ。鵺の体はいざなみを封印しているのだ!」
「千本鳥居や古墳もですか?」
「理屈ではそういうことだ」
「でも……千本鳥居で出てきたのはヨモツシコメです」
「いざなみじゃないんだ?」
「……う、ともかく、千本鳥居と平坂大学の祠に関してはいざなみと関係していると思う」
満夜の自信たっぷりな持論はどうやら打ち砕かれたようだ。
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