第9話

 淑子おばさんの家から数歩出たところで、俺はカバンからスマホを取り出し、電源を入れた。校内にスマホを持ちこむことは許可されているが、校内での使用は禁止されており、持っている生徒は校門をくぐる前に電源を落とすことが決まりとなっていた。もし使用しているところを見られでもしたら即没収。一週間生徒指導の先生に預けられた挙句、そのスマホの受け取りは保護者ということになっている。小学生でもあるまいし、自分の持ち物を親に取りに行ってもらうなんてごめんだ。

 そう言えば、タカがさっき琴葉からラインがあったと言っていたのを思い出した。つまり今日、琴葉は学校内でスマホを使ったということになる。琴葉がルール違反をした。コレはどこかで使えるかもしれない。俺はしっかり覚えておこうと頭にインプットする。

 俺は金髪ピアスの不良にはなったが、スマホの電源だけは忘れずに落としておいた。そして今、電源を入れた途端にピコン! と軽快な音がして、無料アプリ、ラインの着信音が鳴った。左肩にカバンをかけ、その脇にチョコレートの箱を挟み、右手でスマホを操作する。

「げ……」

 思わず声が漏れてしまう。

 ラインは、吹奏楽部部長でもあり、俺の幼馴染でもあり、俺の天敵でもあり、タカと望くんが恐れる荒川琴葉(あらかわことは)からだった。

『ヨッシーが謹慎になったせいでまともな練習にならないから、今日は練習は解散! みんなのテンション下げたのはヨッシーだからね! ヨッシーと話しがしたいから、緑ヶ丘公園に来るように! 逃げたら承知しないわよ!』

 いきなりの呼び出し。確かに俺はソロパートを担当しているし、トランペット部隊の隊長でもあるから、俺がいない分、みんなに迷惑をかけてはいるだろう。だけど、練習を休んでしまうほど大きな影響があるとは思えない。

 おまけに琴葉だ。話しがしたいと言ってはいるが、アイツのことだ。きっと俺に盛大に文句を言いたいだけに決まっている。

 それでも、俺が琴葉の誘いを断れるわけがなかった。

『分かった。今、望くんちを出たから、後十分くらいで着けると思う』

 俺が返信をすると、今度はスタンプが送られてきた。ウサギが頭上で大きな輪を作り、その中で『了解』がピョコピョコ動いている。

 後十分くらいで緑ヶ丘公園に着くのは本当だった。緑ヶ丘公園は、俺たちが通う高校のすぐそばにある公園で、実は我らが清章高校のカップルが必ず利用するデートスポットでもある。俺はまだマトモに利用したことはないのだが。 

 その緑ヶ丘公園に琴葉が待っている。そう思うと、俺の足は意識せずとも速足になり、本来なら十分で着くところを五分で到着するという快挙を上げた。

 緑ヶ丘公園はデートスポットとして利用されるだけあって、緑が多い。花壇にはいつもきれいに手入れされた花が咲き、噴水のある池も設置されている。そして恋人たちが語り合うための必需品でもあるベンチがふんだんに置いてあった。そしてここの最大のウリは、公園の一番奥まで進むと、町を見渡せる高台に出るところだろう。何といっても、夕焼けに向かって「バカヤロー」と叫べるのは、俺たち世代の醍醐味だ。

 「緑ヶ丘公園」と書かれている石碑の前には車止めがあり、そこからは徒歩でしか中に入ることは出来ない。俺は車止めを飛び越え、公園の中を進んだ。右側の道を歩いて行けば、ジャングルジムや滑り台が設置されたお子さまゾーンへ進むことが出来るのだが、おそらく琴葉はそちらではなく、左側の……

 俺の読みは正しかった。

 左の道を進んで噴水の方へ出ると、噴水池のそばのベンチに琴葉が座っていた。膝の上に本を広げている。俺を待つ間の暇つぶしなのだろう。陽の光りのせいもあって、透けるように白く肌が光っている。俯いているためにまだ俺には気づいていない。琴葉が文字を追っているその瞳には、たっぷりの長さとすごい量の睫があることを俺は知っている。最近は間近で見たことはないけれど。

「ごめん。待った?」

 俺が声をかけると、琴葉が顔を上げた。大きな瞳にはしっかりとした意思を感じる。

 琴葉は広げていた本をカバンに入れ、自分が座っているベンチの空いている左側をポンポンと叩いた。座れ。ということだと理解し、大人しく琴葉の隣りに座る。

「ねぇヨッシー、一体どうしたの? 何があったの?」

 座るが早いか、琴葉が俺に詰め寄るようにして聞いてきた。かなり距離が近い上に、琴葉のまっすぐな瞳に射すくめられ、俺の心臓が速くなる。どくどくどくどく、という脈打ちが、心臓ではなく耳にこだまする。そうしているうちに、俺の方が琴葉を見つめるのが辛くなって目を逸らした。

「別に……」

 そう言って俺が池の方へ目を向けようとすると、琴葉の両手が俺の両頬を挟み込み、俺の頭をぐいっと自分の方に向けた。頬が挟まれているから、俺の口が不細工に尖がってしまう。

「何にもないのにそんな髪になるわけないでしょ? ヨッシーったら、また何かくだらないことを思いついたんじゃないの?」

 何がくだらないことだ! 俺にとっては。俺の人生にとっては、何よりも最優先事項だ!

 けれど、素直に言うわけにもいかず、見よう見まねで、いわゆる「不良」と呼ばれてはいるけれど、かっこいい男子がよくやる「ふてくされた態度」を作った。ポケットに手をつっこんで、足を伸ばし、何気に澄ました顔をして。

 そんな俺を見て、琴葉がゲラゲラ笑った。

「ヨッシー、無理してるでしょ? 似合わないよ」

 琴葉の言葉にムッとする。

「そんなことあるか! 今日はいろんなところで俺の噂が持ち切りだっただろ? それにクラスの女子、それも吹石奈々にカラオケ行かないか? って誘われたんだからな」

 苦し紛れにそう言ってみるけれど、琴葉は全く動じない。

「ヨッシーは吹石さんに誘われたのがそんなに嬉しかったの? あの人たち、誰にでも声かけるじゃない。今日は金髪のヨッシーが珍しくて、おもしろそうだから声かけてきたんだよ。それくらい、ヨッシーなら分かってると思ってたけど?」

 琴葉は揺らがない。俺のことなんて、なんでも知ってるとでもいうように。

「とにかく、琴葉には関係ない。俺は昨日までの俺じゃあないんだ。琴葉も、もう俺に声かけてくるの止めろよ? 俺は新しい俺になるんだから」

 俺がベンチから立ち上がろうとすると、琴葉が俺の右手を掴んだ。その勢いで、俺はまたベンチにドスン! と腰を下ろしてしまう。

「ほんとにどうしたの? ヨッシー、おかしいよ? 新しいヨッシーって何? こんなのヨッシーじゃないよ」

 琴葉に見つめられると、俺の胸の中のずっとずっと奥深くにある部分が痛んだ。息苦しくなって、弱音を吐きたくなってしまう。俺だって、俺だって本当は。俺だって本当は、こんなことがしたい訳じゃない。でも、でも……

「ピアス、自分で開けたの?」

 琴葉の華奢な指が、俺の耳たぶに触れた。ピアスは昨日開けたばかりで、まだ開けた瞬間の痛みが残っていた。熱があるかのように、熱く、腫れぼったい気がする。その耳たぶに、琴葉の冷たい指が触れる。

「病院で開けた。自分ではどうしたらいいか分かんなかったし……」

 耳たぶを触られることがひどく気恥ずかしかったけれど、琴葉の指は振り払えなかった。俺はまっすぐな琴葉の目を見られず、横目で池の方を見ながら答えた。

「じゃあ、大丈夫だね。自分で開けたんだったら、病院に行って消毒してもらおうって言おうと思ってたの。自分で開けるのって、結構危険らしいから。ね、開けるの痛くないって言うけど、どうだった?」

 琴葉の指が、熱を帯びた耳に触れてくるから、俺はまた心臓が速くなる。

「なんか、ピストルみたいなので耳たぶ挟まれて、今、耳に挟まってるピアスを打ち込む感じ。バシュッって音がして、その瞬間焼け付くみたいな痛みがあったけど、そのあとは平気。とりあえず消毒はしなきゃなんないらしいけど、一か月くらいはこのままこのピアスを付けておくらしい。でないと、穴がふさがるらしいから」

 なんで俺は、琴葉にこんな説明をしているのだろう? どうして俺は琴葉に甘くなってしまうのだろう? こんなこと、いちいち説明する必要なんてこれっぽっちもないというのに。

「やっぱり痛いんだ。いつかはやってみたいと思ってたけど、やっぱり怖いなぁ」

 琴葉らしいと思った。琴葉は普段すごく強い女の子だ。でも、唯一苦手なのが「痛み」で、少しの血でも大騒ぎになってしまう、まぁ、琴葉の弱点と言えば、それくらいなのだけど。

「で? どうしてピアスなんか開けようって思ったの?」

 話が振出しに戻った。俺は、ため息をつく。琴葉のことだ。それなりの理由がわからない限り、解放してはくれないだろう。俺は自分の中に秘めている一部分だけを話すことにした。

「先週だったかな? 望くんに会ったんだ」

「のんちゃん?」

「うん。その前日にアメリカから帰ってきたとか言ってて」

「で?」

「俺のこと見て、相変わらずだなって」

「それで?」

「金髪にしてみろよ? 世界が変わるぞ?って。ついでに、ピアスも開けてみろ! 何かいいことあるぞ! って」

「……」

「俺は詳しくないけど、新しいことを始めるには、穴を開けるといいらしくてさ。穴を開けると、別の人生が始まるらしい」

「……」

「琴葉? 聞いてる?」

 俺が真剣に話しているというのに、琴葉の反応がない。俺の話しを好意的に受け取っているわけではない。眉を寄せて俺を見ている表情からして、呆れているのだろう。

「ヨッシーって、頭がいいのか悪いのかわかんないわね」

 そう言って大げさに手を広げ、「信じられない」のジェスチャーをする琴葉。

「穴を開けていいことがあるんだったら、世界中の人が穴を開けまくってるわよ。体中、穴だらけになる人だって出てくると思うわ。考えてもみてよ? そんな人いる?」

 俺はグッと言葉に詰まった。琴葉の言うことはイチイチ正論で、反論する余地がない。でも、だからって、琴葉の言うことがいつも正しいわけじゃない。俺はそう思う。だからこそ、俺は金髪にし、ピアスを開けたのだから。

「だとしても、いいことがあるかもしれないって言われれば、試してみたくもなるだろう? 自分を変えられるチャンスだったら、やってみたいと思うのも、人としての性ってもんだろ?」

 俺はついムキになってしまった。そしてすぐに墓穴を掘ったことに気付く。

「つまり、ヨッシーは、自分を変えてみたいと思うようなことがあったってことね」

 俺も学年では常に十位以内に入っているけど、その俺のライバルなだけあって、琴葉の頭の回転はすこぶる速い。

「ここまで話しておいて、まだ秘密にする気? もう全部話しちゃいなさいよ? すっきりもするだろうし、こんなバカなこと止めようって気にもなるだろうから」

 琴葉が更に距離を詰めてくる。俺は自分でも気づかない間に、琴葉から距離を開けようとしていたらしい。俺の尻がベンチの端っこに到達したことを知らせた。

 くそっ。どうして俺は、昔から琴葉に勝てないんだろう? 走るのだって、暗算だって、吹奏楽にしてもそうだ。後から入部してきたくせに、どうしてあんなにも後輩に慕われて、男子にも人気があって……

 俺は、もうどうにでもなれ! と思った。どうせ琴葉のことだ。俺のウソなんて見抜いてしまうに違いない。

「俺の……」

「うん。何?」

「俺の好きな子がさ、望くんのこと『かっこいい』って言ってるの聞いてさ。望くんみたいになったら、もしかしたら俺の方を向いてくれるんじゃないかと思って……」

 俺としては、勇気を出しての告白だった。

「えっ! ヨッシー、好きな子いるの!?」

 琴葉が心底驚いた声を出す。

 心外な。俺にだって、好きな子がいるくらい当たり前だろう。俺だって、健全な男子高校生なのだから。というより、驚くところはそこですか? 俺は何とも言えない気持ちになったけれど、再チャレンジすることは躊躇われた。そして、もう全部言ってしまえ! とばかりに、ここ一カ月ほど抱えていた思いを吐きだした。

「今まで特になんとも思ってなかったんだ。真面目に毎日を過ごすことも、ガリ勉ってバカにされてても、そんなの全然気にしてなかった。でも、俺の好きな子は、望くんのラフな格好とか、自由な生き方を『かっこいい』と思ってるみたいでさ。俺と望くんて真逆だろ? だから、俺も望くんみたいに、何かに縛られるのを止めて、ラフで自由な生き方をしてみようと思ったっていうか……」

 説明しながらも歯切れが悪くなる。俺の好きな子。つまり、琴葉を目の前にしてのなんという無様さ。

「で? その相手の子は、ヨッシーの方を見てくれたの?」

 俺は、また言葉に詰まった。お前のことだよ! そう笑って言えたらどんなに楽だろう。

「それは……知らない」

「はぁ?」

「だって、直接そんなこと聞けないじゃないか? 俺、かっこよくなった? なんて、言えるか!」

「意味なーい」

 琴葉がバカにしたように言って、笑い出した。そんな琴葉を見ながら、俺は今日感じたことを言ってみる。

「でもさ、金髪にして、ピアスを開けてみたら、なんか世界が180°変わったよ。わかんないけど、昨日までの俺より堂々としてられるっていうか。バカにされることもないし、俺自身が気を遣うこともない。『不良』とか『普通じゃない』って思われても、それはそれで楽な部分があるなぁって」

 琴葉は首を傾げ、ちょっと考える風の顔になった。

「分かるような、わからないような……?」

「かっこいいとかじゃなくさ、自分のありのままでいられるような気がしてさ」

 これは、俺の本心だ。今日、金髪ピアスで過ごしてみて思ったのだ。昨日までの俺は、まわりにどう見られるかをすごく気にしていたような気がした。まわりの空気を壊さないように、まわりから浮かないように、必死になって目立たないように自分を作っていたように思う。

 そんな俺に、琴葉はあっさりと言い放った。

「でもさ、ヨッシーに金髪は似合わないよ? あたしはいつものヨッシーがいいな。のんちゃんはまぁ、のんちゃんだし。それに、学校でヨッシーのまわりに女子がたむろしてると、あたしも話しかけずらいしね」

「……そう?」

「うん。まぁ、あたしは……だけどね。でも、まあ、ヨッシーの気が済むまでやってみればいいんじゃない? 金髪もピアスも、若気の至りで、『今しか出来ないこと』かもしれないし」

 そう言って、琴葉が立ち上がった。

「ヨッシーの金髪ピアスの理由が深刻なことじゃなくて良かったぁ。あたし、すごく心配してたんだからね? このまま本気で不良になっていくんじゃないか? とか、警察にお世話になるような大人になるんじゃないか? とか。でも、とりあえず、今のヨッシーを見てると、今までのヨッシーと何にも変わってないってわかって、安心したわ。心配して損しちゃった」

 琴葉はニコッと笑った。

「タカにメールしても、理由は知らないって言うし、のんちゃんは知ってても教えてくれなさそうだし。久々に『脅し』を使わなきゃダメかな? って思い始めてたとこよ」

 俺は何も言えなくなってしまう。

 琴葉、恐るべし! なんでこんな女が好きなのか、自分でも謎だ。

 さっきも言ったように、琴葉の弱点は『痛み』だけで、小さな頃から琴葉はオバケなどの怖いモノもへっちゃらな女の子だった。

 そんな琴葉に誘われて四人で出かけた花火の日。町内ではお化け屋敷が開催されていて、顔馴染みの魚屋のおじちゃんが、俺たち四人をタダで中に入れてくれた。そして悲劇は起きた……。

「まさか、ねぇ、お化け屋敷で、三人同時におもらししちゃったなんて。ねぇ?」

 漏らしただけならまだいい。その後、琴葉は俺たち三人の替えのパンツを各家々を回って集めて来てくれた上に、泣きじゃくる俺たち三人の着替えを手伝い、慰めてもくれた。この中で一番立場がないのは、五つ年上の望くんなのだが。

 それ以来、俺たち三人は琴葉にいいように使われてきた。例をあげればキリがないほどに。

 望くんが外国へ行ってしまうのも、実は琴葉から逃れるためではないかと俺は思っている。そんな三人の中で唯一琴葉のそばに残った俺は、家来のように使われながらも、それが嫌ではないことに気づいた。家来のように使われることは嫌ではあるけれど、それで側にいられるのなら。なんて思ってしまうのだ。

 琴葉はというと、俺のことを弟のように思っているらしく、今でも何かと世話を焼く。三人の中では俺が一番大人しかったこともあって、望くんやタカが俺に何かしようものなら、琴葉は二人を相手に容赦なく挑んでいく。それは今も変わらない。

「じゃ、ヨッシー、また明日ね! 明日は部活に出なさいよね? 副部長がいないんじゃ、一年生に示しがつかないんだから」

 琴葉は俺の『理由』が分かって安心したのか、言いたいことだけを言って、颯爽とその場から去って行った。公園の入り口の方へ駆けて行く琴葉のポニーテールが左右に揺れ、俺はそのポニーテールを複雑な心境で見送った。

「今までのヨッシーと何にも変わってないことがわかって安心した」

 琴葉はそう言った。

 金髪にしたのに? ピアスも開けたのに?

 俺はしばらくそのベンチに座って、池を見つめていた。琴葉の言葉が頭の中で回る。そうして、俺はある結論に達し、立ち上がった。


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