第7話

 タカが去った後、俺は言われた通りに弁当箱を持って生徒指導室へと向かった。もちろんそこには高塚が待っていて、俺たちは机を挟んで向かい合わせに座り、高塚は一方的に俺への説教を始めた。

「社会で生きていくには協調性が大事だ」

「せっかく成績が良いのだから、無駄なことに現を抜かすな」

「親が立派に産んでくれた身体に傷をつけるなど言語道断」

 そういう話しが繰り返し、繰り返し。そして繰り返すうちに高塚本人の気持ちが昂ぶって、机をバン! と叩く。

 俺はギシギシと鳴る椅子を揺らしながら一言も発せず、高塚の話しも聞き流し、ふてぶてしい態度を続けた。高塚の話しは俺の中に全く響かない。高塚は元の俺に戻るよう説教をしているつもりらしいが、この高塚の話しを聞いていると、絶対に戻るもんか! と反抗したくなる。

 そういう態度も含め、俺が反省していないことを理由に、午後の授業は受けさせてもらえず、そのまま俺は生徒指導室で放課後を迎えた。

 何度目かのチャイムが鳴り、それまで静かだった空気が変わった。明るい笑い声、階段を走りぬける音が聞こえる。運動場では野球部の練習が始まり、バットに当たるボールの音がやけに響く。 俺は、それぞれの部活が始まったことを悟った。

 ちなみに、俺は吹奏楽部に所属している。三年生が引退した後、俺は副部長となり、トランペットを担当している。男子が吹奏楽部に入っているというのは珍しいのだが、俺は小さな頃から楽器を演奏してみたいと思っていたので、高校に入学してようやく決意を固めた。それまで楽器なんて演奏したこともなかったので、先輩から一から教わり、最近ようやく形になりつつあるところだ。まぁこの状態では、部活に出ることも許可されることはないだろうが。

 高塚は、俺に説教をしても無駄だと思ったのか、自分が顧問を務めるバレーボール部の方が気になったのか、その判断は定かではないが、これ以上俺をここに留めたところで解決はしないと判断したらしい。

「明日は髪の毛を黒にしてこい。いいな!」という捨て台詞を吐いて、それまでの熱さがウソのように、呆気なく生徒指導室から出て行った。

 俺は伸びをしながらゆっくりと立ち上がった。俺の教室は二階にある。一度戻って荷物を取ってこなければならない。それをひどく面倒に感じたけれど、財布やスマホが入っていることを考えると取りに行くしかない。

「めんどくせぇ」

 俺がそう呟いたとき、高塚が出て行ったドアが再度開き、今度は和田バアが入って来た。和田バアは吹奏楽部の顧問の先生だ。バアと呼ばれていることからも分かるように、定年間近のばあちゃん先生。この年代にしては珍しくまあまあ背が高い。めちゃくちゃ太っているというワケではないが、ふくよかな方だろう。性格的には、ざっくばらんとした人だと俺は思っている。

「毛利、お前やってくれたねぇ」

 和田バアは、長年高校で音楽を教えてきた先生だ。そのせいもあって、俺たちのようなヒヨッコでは太刀打ちできない経験と言う名の強さを持っていた。和田バアは、俺だけでなく、どの生徒にも遠慮なく毒を吐く。それが嫌な毒ではないから不思議だ。

 和田バアは呆れた口調で言いながら、俺の前にカバンをドサリと置いた。俺が二階へ取りに行かなければと思っていた俺のカバンだった。ファスナーの部分にトランペットのキーホルダーがついているので、俺のカバンだとすぐに分かる。

「朱美先生に預かった」

 和田バアはそう言いながら、俺の髪の毛に触れた。背が高いばあちゃん先生だとは言っても、俺の方が断然背が高い。そのせいで、和田バアはスリッパに入れた足のかかとを精一杯上げて、背伸びをしていた。

「ほんとにまぁ見事な金色ねぇ。朝から職員室は、あんたの話題で持ちきりだよ? まぁ、頭がいいあんたが無意味なことをするとは思えないから、何か考えがあってのことだろうけど?」

 和田バアの目を逸らすことが出来ず、俺は和田バアを見つめてしまう。

「あたしは髪の毛が何色でも全然構わないんだけどね。この学校の校風や他の生徒への示しがつかないってことで、せめて髪の毛が黒になるまで部活に参加させるなってことになってさ」

「あー、はい」

 俺はいつもの調子でかしこまった返事をした。何でだろうな。和田バアと高塚では何かが違い、調子が狂う。

「だからさ、毛利は自主練してくること! いい? トランペットだけじゃなく、楽器は一日練習をサボると三日分遅れを取るんだよ。来月、コンクールがあるのは覚えてんでしょ?」

 背伸びをしながら、俺の頭をくしゃくしゃ撫でる和田バア。その手が不快ではなく、どちらかと言えば心地良い。

「あんた、トランペットのソロパートを担当してたでしょ? しっかり練習してこないと外すからね!」

「……はい」

 俺が頷くと、和田バアは満足そうに笑った。

「琴葉も心配してるように見えたぞ? 部長として、副部長が謹慎なんて話しにならないって怒ってもいたけどな」

 同じ学校、同じ学年、同じ部活に所属している琴葉。『最悪』という声が聞こえたことからも、タカにメールしていたことからも、琴葉が相当怒っているのだろうと覚悟は決めていた。

「お前も罪深い男だねぇ」

 和田バアは一人で意味深なことを言って、わははと笑った。意味不明だ。

 第一、部活謹慎という決定が下された俺に「髪の毛を黒にして来い」ではなく「自主練して来い」でいいのだろうか? 部活顧問としては、やはり謹慎処分を受けた生徒がいること自体、迷惑な話しなのでは?

 そう思う俺の腹に、いきなりドスッと一発、和田バアはパンチを食らわせた。突然の攻撃に、俺の口からは「ぐおっ」と変な声が出てしまう。

「相沢先生を泣かせたんだって? お前がどうしようと構わないが、相沢先生の件は許せないねぇ。これは、相沢先生からの鉄拳!」

「……あー、はい」

 それでもすんなり受け入れてしまう俺って、和田バアにどういう風に映っているのだろう? そして油断した俺の腹に、和田バアはもう一発パンチを繰り出した。

「おううっ」

「これはあたしの愛の鉄拳。ここに力入れて踏んばりな! 男だろ!」

 和田バアはやっぱり意味不明だ。でも、俺は腹を押えつつ「押忍!」と素直に答えていた。

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