第26話:精霊の歌

「これは、カンバと言ってミヤのところのレタスみたいなものだが、少し硬くて苦味がある。それからこれは、コモ。たんぱく質が豊富で栄養価も高い」

「カンバはどちらかというとケールみたいね。コモはじゃがいもっぽい」

「この黄色いのはファズと言う野菜。根野菜だから育てやすく魔性になりにくい」

「なるほど、人参みたいなのかな」

「コモ、ファズ、それからスピナはこちらでは定番の野菜で入荷も簡単だ」

「スピナは玉ねぎみたい」


 マロッカミルクで作った酒に氷を浮かべて、二人はキッチンで食材の研究をしていた。マロッカミルク酒はクリームリキュールのような味がして、濃厚だ。いくらでも飲めるような味わいだが、実はアルコール分が高いので氷を浮かべてチビチビと飲むことにした。


 ミヤコはカンバを一口大にちぎり、オリーブオイルにレモンジュースと塩を入れ、カンバに振りかけて混ぜた後、オーブンに入れカリカリに焼いた。カンバチップスの出来上がりである。


「うまいなあ」

「ケールチップスっていうのがあって食べたんですよ、留学してた時。カンバはケールに似てるからいけると思って」


 二人はひとしきりパリパリとカンバチップスを頬張ってから、暖炉の前に陣取った。


「ミヤの力について考えていたんだが」


 クルトが少し声のトーンを落としてミヤコの顔を覗き込む。どうやら真面目な話らしい。ミヤコはソファに浅く腰掛け聞く体制に入った。



「ミヤの昨日の『緑の砦改革』には目を見張るものがあった。精霊が君にひどく協力的だったことにも驚いたよ」


 クルトはそう言って、精霊を呼び寄せた。


「僕の精霊を呼び寄せる力はね、緑の砦に来てから使えるようになったんだよ。薬草の研究を始めてからだ。でも僕ができるのは呼び寄せてお願いをするだけで、彼らをコントロールすることはできなかった」


 精霊は、特に何をお願いするわけでもないクルトに興味を失ったのか、ミヤコの周りにフヨフヨと浮き上がり消えた。それを見ていたミヤコはポツリポツリと話し始めた。


「…わたしね、おばあちゃんっ子だったんです。両親にとってわたしはいらない子で。だからよくおばあちゃんの家にお世話になって、農家の手伝いをしていたの。8つの時に両親が離婚してから、おばあちゃんがわたしを引き取ってくれて。それからずっと畑とか園芸に夢中だったんです。植物は、可愛がれば可愛がっただけ育ってくれて、可愛くて楽しかった。喋らないけど、わたしを癒してくれた。友達とか両親とかいなくても平気って思えた。

 今思えばあの時、精霊がいてくれたのかも。ここで精霊に囲まれていると、あの時の気持ちがわっと戻ってきて。そういうこともあるのかな、と」


 ミヤコはそう言って笑った。


「さっき歌を口ずさんでいたでしょう、食堂で」

「そうでした?」

「……あの歌はどこで?」

「え?…えっと…?」


 どんな歌だろう。無意識に歌っていたのかもしれない。ミヤコは歌っていたことさえ覚えていなかった。


「こういうメロディの…」


 クルトが静かに口ずさむ。


「あ、それ」


 ミヤコが少し眉を寄せて、どこで聞いたんだっけと記憶の糸をたぐる。


「多分、おばあちゃんに教わったんだと思いますけど…」

「あれは、僕の国に伝わる精霊の鎮魂歌レクイエムだ」

「えっ…」


 なんでおばあちゃんがクルトさんの国の歌を知ってたの?わたしはどこでその歌を聞いた?ずっと幼い頃…おばあちゃんと、どこで。クルトの歌に寄せられてか、精霊達が集いキラキラと黄金にあたりを染める。まるで風になびく草原のように。ぼんやりとその様子を見つめるミヤコ。


 その瞬間、覚醒される記憶。


 幼い記憶。


 祖母に連れられてきた黄金の草原。あれは…。


「あ」

「どうした?」

「あ…ああ…そうだ」

「ミヤ?」


 ミヤコが両手を恐る恐る宙に差し出すと、そこへすかさず精霊が集まってくる。ミヤコはそれぞれの手に乗った精霊を見てからクルトに向き直り、ふんわりと笑う。


「わたし、ここにきたことある」

「え?」


 夢で見た。祖母と一緒にきた黄金の草原。


 あれは、この緑の砦だ。


 ミヤコは夢で見たように歌を口ずさんだ。


 静かに、透き通る声であの日、祖母と歌った唄。


 精霊が踊り、植物が揺れる。風が優しく髪を撫でる。


 目を丸くしたクルトが心配そうにミヤコに触れると、ミヤコは微笑みながらクルトの手をとって歌い続ける。


「…愛し子」


 クルトがつぶやく。


 精霊の加護。


 精霊王の帰還。


 精霊王の愛し子。


 そんな文献が残っていたのではないか。ミヤコに手渡された鍵は誰からか。なぜ、ミヤコの家と緑の砦が繋がったのか。


 全ては用意されていたかのように。


「ミヤ、君は…」




 *****




「この国に伝わる文献だ」


 クルトは転移魔法で緑の砦の自室に戻ると、何冊かの本を手に戻ってきた。


「もう千年も前の話だ。あまり資料も残っていないのだが…。ミラート神国というのが僕たちの国なのだが、昔は緑多く肥沃な大地と精霊の恩恵に恵まれた国だった。ミラート神は大地と制約を結び、精霊王からの恩恵を受けた。その制約の一つに精霊の愛し子の保護というものがあった」


 クルトは本を一冊取り出すと、イラストの挿入された美しい本をミヤコに見せた。


「精霊王は大地に姿をあらわす事はせず、全てその精霊に力を託す。水を司る精霊、風を司る精霊、土を司る精霊といった具合に。精霊は気まぐれだから、気に入った人や動物、植物についたりして統率力がない。そこで、精霊王は人間から愛し子を選びその愛し子が精霊を統率したんだ。ミラート神は精霊の恩恵を受ける代わりにその子の保護を約束した。闘争や、人間の欲に塗れないように、巻き込まれないようにと」


 そこまで言ってから、クルトはマロッカミルク酒を口に含んだ。ほう、と味わい息を吐く。そうしてもう一冊の本を取り出す。それは黒い皮で覆われ、金の縁取りが施されていた。


「それは何百年も守られ続けてきたのだが、ある時、聖女と名乗る女が現れた。聖女は人々の病を治し邪気を払う力を持っていて、魔物や魔人を押さえ込み、闇へと追いやったのだ。人々は喜び、聖女を奉った。だが、そのうち聖女は結界を張り、聖女が決めた邪悪なるものを結界の外へ放し、薬草は邪悪なものとして扱われた。数年のうちに薬草に関する文書は燃やされ、薬師は姿を消した。その代わりに魔術士や魔導師が現れ、聖女の癒しの術を学んだんだ」

「薬草が邪悪」


 ミヤコは眉をしかめてクルトの言葉を反芻した。


「精霊の愛し子は自然を愛し、邪悪なものなど自然界にはないと主張した。食物は人を健康へと誘い、薬草は自己治癒力を高めるための自然からの恵みだと訴えた。だが王は愛し子を蔑ろにして、追放した。邪魔だったんだよ、愛し子の存在がね。当時の国王は聖女を使って権力と名声と富を欲しいがままにし、ミラート神殿を聖女の場所とし幽閉した。だが、それが精霊王の怒りに触れた。それ以来この国は精霊に嫌われ瘴気を作る植物が増え、ダンジョンができて魔物と魔性植物で溢れ返っている」

「どこの世界も権力者っていうのは汚いんですね」


 クルトはちょっと驚いたようにミヤコを見て、パラパラとページをめくる。


「この文献によると、精霊王は自然と共に歩まないものには一切の恩恵から外すと明記した。薬学の知識を捨てたこの国はそれから聖女の力を伝承していったが、聖女の力自体は衰えていく一方だった。

 大聖女から数えて十代目の現聖女は、政治的立場に居座り王妃として王国を支配している。不満を持った国民が聖女を王妃の座から引きずり降ろそうとクーデターを起こしたことが数年前にあってね。ほら、モンファルト王子の話をしただろう?あの時代は本当に混乱の時代だったよ。それ以来、現聖女は結界を作ることをやめた。…もちろんやめたのか、作れないのかは定かではないがね。そして神殿に隠れているんだ」


 クルトは苦々しく笑い、パタンと本を閉じた。そうしてじっと閉じた本を見つめ、いうべきかどうか悩んだように視線を泳がせてから、目を伏せた。


「現王は、現聖女を妃に娶って守ろうとしたが、本当にそうする価値があったのかは疑問だ。王子の件もあるが、彼女は結界を維持できず、癒しの魔法さえもうまく使えていない。解毒なんてもっての外だった……だからこそ僕は薬学について調べ始めたんだけど」


 クルトはテーブルに肘を乗せて顎の前で手を組んだ。


「もう一つの文献に精霊王の愛し子というのがある。いつの時代も愛し子は生まれ、この世界のどこかにいたという。最後の愛し子が確認されたのは20年ほど前らしい。アイザックという村に精霊の恩恵が降りて、愛し子が食物と薬草の知識を人々に与えたということだった。その資料がこの砦に残っていてね。僕が回復薬を作れるのもそのおかげだ。けれどそれが東の魔の森イーストウッドの発端になった。愛し子の歌がこの森を作ったというんだ」

「ええ?でもイーストウッドって魔性植物の森でしょう?」


「そう。だから、わからないんだ。愛し子がどうして魔の森を作ったのか」

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