2/6 10:04 a.m.

 まさか、と中井が手で口もとを覆う。


「いや、でもおまえ……さっきおれがそう言った時は違うって言ってたじゃないか」

『違うとは一言も言ってねえよ。オレはただ「論理が飛躍しすぎだ」って言っただけだ。論理ってのは一から順番に、確実に積み上げていってこそのものだ。二段飛び、三段跳びで結論を急ごうなんてのはむしろ非論理的だぜ?』


 百瀬の言葉には、中井を黙らせるのに十分すぎるほどの説得力があった。いつだって論理的に物事を考えることができる百瀬だからこそ、真実にたどり着くことができたのだ。


「百瀬くんの言うとおりかもしれない」


 顎に手を添えた鶴見さんが、真剣な表情で言った。


「事件現場はまったく荒らされていなかったし、瀧田さんの遺体からも襲われて抵抗したような様子が一切見られなかった。布団の上に寝かされるように倒れていたのも、やっぱり瀧田さんが自らそうしたからだったんだね」

『まぁその点に関しちゃいくつか可能性が考えられるけどな。被害者が自分から寝そべったのかもしれないし、単なる偶然だったってこともある。あるいは犯人に押し倒されたのかもしんねえしな』

「押し倒されたって……」

『勘違いするなよ? ちゃんと理にかなった行動だ。被害者の腹部にあった刺し傷は複数だったんだろ? だとしたら犯人は少なくとも一度は刃物を腹から抜いていて、確実に返り血を浴びていることになる。被害者と犯人が恋人同士だったって線を採用するなら、部屋に入れてもらった時、セックスするフリをして服を脱ぎ捨て、被害者を押し倒した状態で刃物を突き立てるってのは決して悪くないやり方だ。服を汚さずに済むんだからな。被害者と協力して実行するというダミーの殺人計画では、部屋に閉じこもった直後に被害者を訪れる予定にはなってなかったはずだ……おそらくはなんらかの方法で互いにアリバイを作るための計画で、殺人の決行時刻は全員が寝静まったあとに設定していただろうからな』


 そこまで話してから、『ま、どうでもいい話だけどよ』と百瀬はあっさりと切り捨てる。


『本筋に戻すぞ。要するに犯人は、被害者の瀧田が自主的に自分を部屋へ招き入れてくれることを前提に殺人計画を実行した。他の四人が風呂に行っている隙を狙い、719号室を訪れて瀧田を刺殺。その時点で、例の中井を利用したアリバイトリックのための仕掛けを719号室の室内に施したんだ』


「室内に?」中井が尋ねた。『そう』と百瀬は同意を示す。


『さっきも言ったが、犯人の狙いは午後十一時の時点で瀧田が生きていることを第三者に印象づけ、のちに警察へ証言させることだった。だが実際には瀧田はすでに殺されてて、とてもじゃないが中井の証言どおり部屋の隅に立っていることなんてできない。じゃあ誰かに身代わりをさせたのか? 厳密に言えばそれも違う』

「だったら一体、おれが見たのは何だったんだよ?」


 中井が苛立たしげに問い詰めると、百瀬はさらりとした口調で答えた。


『マネキンだよ』

「ま……!?」


 マネキンだって? と中井が瞠目して声を荒げた。


「そんなバカな! だってあれは……!」

『中井』


 動揺する中井に、百瀬は冷静な態度を崩さず言う。


『おまえが見たっていう瀧田に似た男……動いたり、しゃべったりしてたのか?』


 くっ、と中井が言葉を詰まらせる。


「それは……っ」

『な、自信ねえだろ? 薄暗い部屋の中で、しかも離れた場所に立っていたのが、本物の人間か、それに似せた人形だったかなんて、誰にだって瞬間的には判断できねえよ。おまえと瀧田とはほとんど初対面で、おまけにおまえは当時犯人に殴られて意識が朦朧とした状態だった。なおさら見間違えたっておかしくねえし、誰もおまえを責められない。犯人も最初から利用する第三者がマネキンを本物の瀧田だと見間違えてくれることを想定していたはずだから、おまえは知らず知らずのうちに犯人の術中にハマっちまってたってわけだ』

「ちょっと待ってくれよ!」


 まだ納得できないのか、中井は再度百瀬に噛みつく。


「百歩譲って、おれが見たのが瀧田さんじゃなかったとしよう。でも、それがマネキンだったってのはやっぱり不自然だ。おれはちゃんと顔を見た上で瀧田さんだったと判断してるんだぞ? いくら遠目に見ただけだからって、マネキンじゃさすがに騙されないって!」

『相変わらず頭の固いヤツだな。よく考えてみろよ、相手は美大生なんだぜ? 瀧田の顔を模した仮面とか、ドロボウ映画とかで見かける変装用の特殊なマスクみたいなものとか、美大生ならそういった小道具を作る技術を持ってたって不思議じゃねえだろ』

「そ、そうだとしても……じゃあ、マネキンについてはどうなんだよ? マスクは持ち込めても、マネキンなんてバラバラにしたってかなり嵩張かさばるはずだろ?」

『知らねえか? マネキンってのは結構いろんな種類があって、風船のように空気を入れることで人型を形成するタイプのものもある。エアーマネキンとか、上半身だけのものだとエアートルソーとかって言うらしいな』


 なるほど、と言ったのは鶴見さんだ。


「それなら小さく畳んだ状態にしておけば鞄に入れておいても怪しまれないね。でも、そんな便利なものがあるなんて……わたし、全然知らなかった」

「そうだよ!」と中井が加勢する。「おれだって知らなかった! そんな都合のいいもの、そう簡単に準備できるものなのか?」

「……いや、できるかもしれない」


 とある事実に思い至って、俺は控えめに声を上げた。全員の視線が俺に集まる。


「なぁ、柏木」

「うん?」

「おまえ、言ってたよな? 鳥飼さんは大学で舞台芸術のセットや衣装について勉強してるんだって」

「あ、あぁ……うん、確かそう聞いた」

「そっか、衣装ね」


 鶴見さんが納得したようにうなずいた。うん、と俺もうなずき返す。


「衣装を作る時、少なくとも縫製の段階でマネキンを使うことは十分考えられる。鳥飼さんなら、大学の授業に限らず、たとえば自宅作業用とかでエアーマネキンを持っていてもおかしくはない。そいつを持ち込んで膨らませ、瀧田さんの服を着せたあと、顔にはマスクを、髪はカツラで作れば……」


 薄暗がりの中で中井を見事に錯覚させた、瀧田さんそっくりの人形が完成するというわけだ。


『エレベーター前の防犯カメラを確認すればわかることだが』


 百瀬が静かに、俺のあとを引き継ぐ。


『ひょっとすると犯人は、今池月が言ったマネキンの仕掛けに使った小道具をまだ手もとに残してるかもしんねえぞ? 外出するタイミングがなければ処分のしようがねえからな』


 確かに、その可能性は十分ある。いくら畳んだ状態に戻したとはいえ、成人サイズのマネキンとなればハンドバッグがいっぱいになるくらいの嵩には最低でもなるはずだ。ポケットなんかに入れて持ち運ぶことはできそうにない上に、彼女は現在体調不良で動けない。彼女のために薬を買いに出かけたのは沢代さんだし、その前に全員分の飲みものを買いに行ったのもゆかりさんだった。おそらくはまだ、処分できないままでいるだろう。


『防犯カメラと言えば、もう一つ』


 さらに百瀬は、鳥飼美和犯人説の決定打となる事実を打ち出してくる。


『犯行時刻である午後九時から十時の間、一階の大浴場に行っていた四人が七階の客室フロアに戻っていないことをカメラ映像によって証明すれば、いよいよ鳥飼の犯行ってことで結論づけることができる。こいつは余談だが、犯人もカメラをアリバイトリックに利用することは考えていたはずだ……つまり、午後十一時以降に七階のフロアを離れた人間がいないことをカメラ映像によって証明してもらえれば、犯人の狙いどおり、全員にアリバイがない状態が確定するんだからな』


 なるほど、そのとおりだ。犯人はこれまで努めて他の四人と同じ行動を取ろうとしてきたわけだから、全員が薬によって眠らされている午後十一時以降にひとり抜け出してトリックに利用した小道具を処分しに行くなんてこともまずしないだろう。小道具さえ見つかってしまえば、いよいよ美和さんは言い逃れできなくなる。


『まとめるぞ』


 嫌な咳を挟んで、百瀬はやや苦しげに声を絞り出す。


『午後九時、瀧田が自主的に719号室へ閉じこもる。直後、犯人である鳥飼美和以外の四人は一階の大浴場へ向かい、鳥飼は719号室を訪れて瀧田を殺害。その際、アリバイトリックに利用するための人形を準備する。時間を見計らいつつ719号室のルームキーを持ち去って718号室に戻り、備え付けのポットに睡眠薬を仕込んだのち、シャワーを浴びて他の四人の帰りを待つ』


 肩で息をしている様子が見えるような、荒い呼吸音が聞こえる。


『午後十一時、全員が寝静まったのを確認してこっそり718号室を抜け出し、719号室へ移動。部屋を薄暗くした状態で扉の下にドアストッパーを挟み、わずかにできる隙間から廊下を覗き見ながら誰かが通りかかるのを待つ。さっきホームページを確認したが、今おまえらがいるホテル、一般客への配慮のために修学旅行生の宿泊予定を一覧にして載せてんだ。そのあたりも考慮して犯行計画を立てたんだろうな。あとで確認してみるといい、ホテルの予約を入れたのはたぶん犯人の鳥飼だ』

「それ、間違いないと思う」俺が言った。「昨日、カウンターでチェックインの手続きをしてたのは鳥飼さんだった」

『決まりだな。部屋の指定はできなくても、修学旅行生が泊まる部屋のタイプを予想して同じタイプの部屋を押さえることはできる。まぁ別になにがなんでも修学旅行生を利用しなくたっていいわけで、なんならホテルの従業員とかでも……そのあたりはどうとでもなるようなことでは……あるんだが……っ』


 激しく咳き込んでしまう百瀬。あいつ、本当に大丈夫なのか?


「そこへたまたま通りかかったのが陽太だったってわけね」


 ろくに話もできそうにない百瀬に代わって、鶴見さんが語り始める。


「午後十一時を少し過ぎた頃……犯人はエレベーター前から自分の客室に向かって歩いてくる陽太の姿を発見した。これは犯人にとってかなりラッキーな状況だったはず……午後九時の時点で瀧田さんと柏木くんがもめ事を起こしてくれたおかげで、エレベーター前から見て陽太の部屋が719号室よりも奥にあることを犯人はあらかじめ知っていたんだから」

「そうか」中井が鶴見さんの発言を引き継ぐ。「時間的にかなりバタついた状態での犯行になっただろうからどうかなって思ってたけど、つまり犯人はおれが確実に719号室の前を通ってくれるという確信があったからこそ、慌ただしくもおれに狙いを定めて事に及んだってわけか」

『それもあるが』


 百瀬が息も絶え絶えに話に割り込んでくる。


『ほとんどすれ違っただけと言ってもいいくらいの状況ではあったものの、中井は瀧田と面識があった。だから犯人は中井を利用したんだ……〝午後十一時の時点で生きた瀧田を目撃した〟と警察に証言させるのにうってつけの存在だと考えてな』

「そうね」鶴見さんが感心するような口調で言う。「咄嗟の判断ながら、すごく理に適ってる。陽太は男の子にしては小柄で、女性でもどうにか引きずって歩くことはできそうだから、なおのこと狙われたのかもしれない。事実、後ろから殴られた陽太は犯人によって719号室の中に引きずり込まれ、無理やり顔を上げさせられて瀧田さんに似せた人形を目撃させられた。その後、薬によって眠り込んでしまい、一夜明けた今日、瀧田さんの遺体と一緒に発見された……」


 そういうこった、と百瀬が言った。


『中井を眠らせたあと、犯人は人形の仕掛けをバラして回収し、ルームキーを室内に残した状態で718号室に戻った。719号室には瀧田が閉じこもっていると誰もが思い込んでいるから、部屋の中に鍵が残っていれば、誰が出入りしたのか、あるいは瀧田以外の誰も出入りしていないのか、そんなことはぱっと見ただけじゃわかりゃしない。現場の状況としては密室っちゃ密室だが、タネがわかればそれと言うにはあまりにもお粗末だな』


 スラスラと語り終えると、百瀬はふぅ、と息をついた。


『オレの話は以上。あとはそっちでなんとかしてくれ』


 ぴしゃりと話を打ち切った百瀬。俺たち四人の間には、なんとも形容しがたい煌めきのようなものを帯びた空気がふわりと漂う。


「…………すっげえ」


 瞳をきらきらと輝かせた柏木が声を上げた。


「百瀬! おまえってやっぱすげーんだな! 感動したよ、おれ!」

『あ?』


 ゲホゲホと今にも死んでしまいそうな老人みたいな咳をして、百瀬は『別に』と柏木の褒め言葉を切って捨てる。いかにも百瀬らしい照れ隠しに、俺は思わず笑ってしまった。


「ありがとう、百瀬」


 改めて、俺も百瀬に礼を述べる。


「ごめんな、しんどいところを引っ張り出して。けど、やっぱり正解だったよ、おまえに頼って。さすがだな」


 本音をまっすぐに告げると、百瀬は大きく舌打ちした。


『ひとつ貸しだぞ、池月』


 絶対返せよ、と百瀬は言った。

 それはつまり、俺はこれからも、百瀬と同じ時間を過ごすことを許されたということ。


「あぁ、もちろん」


 穏やかに笑って、俺は答えた。


「必ず返すよ」


 俺の言葉を待っていたかのように、百瀬は黙って電話を切った。

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