2/6 08:29 a.m.

 ――死に、追いやった?


 どういうことだ。真美という女性は故人なのか。

 そして、彼女の死こそ、犯人が瀧田さんを殺した理由――?


「…………もうイヤ」


 美和さんはぽつりと漏らし、涙で瞳を潤ませながら俺たちにくるりと背を向ける。そのまま足早に障子戸へ向かうと、瞬く間に客室から姿を消した。


 反射的に立ち上がる。見えなくなった彼女の姿を追ったことは、ほとんど無意識の行動だった。「池月くん!」と鶴見さんに声をかけられたような気がするけれど、振り返ることはしなかった。


「鳥飼さん!」


 718号室を飛び出し、廊下を行き交う警察関係者の間を縫って、俺は美和さんの背中を追いかけた。俺の泊まっている723号室の前を過ぎ、エレベーターの前まで来たところで、彼女は小さくうずくまっていた。

 丸まった背中を震わせ、声を殺して泣いていた。涙の理由は瀧田さんではなく、おそらくは真美さんという女性なのだろう。

 俺なんかが、と一瞬ためらったけれど、意を決して彼女の隣に片膝をつき、そっと背中に手を触れる。


「大丈夫ですか」


 ちょうど彼女が俺にしてくれたように、俺も彼女の背をゆっくりとさすった。身にまとっているラベンダー色のニットの上から触れてもわかる。彼女のからだは火照っていた。


「ありがとうございます」


 俺を拒絶することなく、美和さんはマスクをはずして言った。


「すみません……大変なことに巻き込んでしまいました」


 ごめんなさい、と頭を下げながら涙を拭い、ケホケホと咳をする。はじめて見る彼女の素顔は美人と形容するにふさわしく、その頬はほんのりと赤らんでいた。


「熱、あるんじゃないですか?」


 俺が問うと、彼女は「そうですね」と力なく笑う。


「少し、疲れました」


 絨毯敷きの廊下にぺたんと腰を下ろし、彼女は壁に背を預けて息をついた。真正面から見ると本当に綺麗な人だということがよくわかる。大学生だというのだから年齢は俺と大差ないはずだけれど、静かに目を閉じた彼女はとても大人びて見えた。


「優しいんですね」


 細く目を開けた美和さんは俺に言った。


「モテるでしょう?」

「えっ!? ……あ、いや、そんなことは……っ」


 わかりやすく動揺した俺を見て、美和さんは嬉しそうに笑った。


「おもしろい」


 からかわれたことに気づいた時には、美和さんはもう一度目を伏せていた。恥ずかしくなって、俺は彼女から目を逸らす。


「真美もね」


 何を言い返すひまもなく、美和さんはゆっくりと語り始めた。


「とても優しい子だったんですよ。明るくて、気遣いができて、なにより、よく笑う子だった。……生きていれば、今年で二十歳。私と海斗の同級生でした」


 二十歳ということは、ストレートで大学に入学していれば、彼女と沢代さんは現在二年生ということか。これまでの言動から推測して、西山さんと理沙子さんは瀧田さんと同じ三年生か、あるいは四年生。瀧田さんを「要せんぱい」、西山さんを「修司せんぱい」と呼んでいたゆかりさんは、美和さんや沢代さんと同級生ではないのでさらに下の一年生ということになる。

 聞きにくい質問ではあったけれど、俺はあえて尋ねてみる。


「……亡くなられたんですか?」


 えぇ、と美和さんは答えた。


「去年の同じ時期にも、私たちはここへ泊まったんです。その時は真美も一緒でした。でも……旅行を終えて東京に戻ったあと、真美は突然、私たちの前から姿を消したんです」


 遠い目をして、じっくりと思い出すように美和さんは語る。


「冬休み中ということもあったので、最初は青森の実家にでも帰っているんだろうと思っていました。ですが、いくら電話をしても出ないし、週に一度のサークル活動にも姿を見せず、みんなで心配していたんです。……四月になって、新学年での授業が始まった時、彼女が休み中に退学の手続きをしていたことがわかりました」


 まさかと思いました、と彼女はうつむく。


「先生たちが一目置いていたほど、彼女は才能あふれる画家でした。音信不通になったタイミングから考えて、広島旅行中、あるいはその直後に何かあったことは明白だったのですが、誰も彼もが知らぬ存ぜぬを貫き通すばかりで、彼女の退学理由は結局わからずじまいでした。それから三ヶ月ほどが経って、彼女のお母さんが、私たちのサークルに乗り込んできました。その時、私たちは……彼女が自殺したことを知りました」


 自殺。

 真美さんは、自らその命を絶ったのか。


「お母さんの話では、彼女の遺書には明確な自殺の理由が記されていなかったそうです。それで納得がいかず、同じ大学のサークルに所属していた私たちに理由を求めてやってきた……それでも結局、何もわからないまま今に至ります」

「じゃあ、さっき沢代さんが言っていた『真美を死に追いやったのは瀧田さんだった』っていうのは……?」

「想像の域を出ない、単なる仮説です。でも、確かに……瀧田さんが殺される理由として、真美の自殺が関係していると考えるのは妥当かもしれません。あの人は……瀧田さんは、真美のことが好きだったから」


 なるほど、恋愛関係のもつれが根本的な原因か。

 瀧田さんは真美さんに一方的に好意を寄せていた、あるいは周りが知らなかっただけで真美さんとは恋人同士だった。そこから派生した何らかの理由で真美さんは自殺、その原因が瀧田さんにあったことを知った誰かが復讐のために瀧田さんを殺した……。あり得ない話じゃない。


「すみません」


 咳き込みながら、美和さんは言った。


「若い方には、刺激の強すぎる話でしたか」

「若いって……そんなに歳変わんないじゃないですか、俺たち」


 そうですね、と彼女は肩をすくめた。

 色白で小さな彼女は、今にも消えてしまいそうなほどはかなげな空気をまとっていた。どうにかして彼女のことを支えられないかと、俺は必死に考えてみる。

 一番に頭に浮かんだのは、四ヶ月前の出来事だった。


「……俺も」


 美和さんの隣に腰を落ち着けると、膝を抱えて俺は語った。


「去年の十月に、幼馴染みが死んで」


 彼女は驚いたように目を大きくする。俺は諦めたように笑った。


「ずっと好きだったんですよ、その子のことが。でも……結局なに一つ伝えられないまま、あいつは死んでいきました。体裁としては殺人事件の被害者ですけど、真相がわかると、あいつはほとんど自分から死ににいったようなもんだったんで、なんていうか……すごく、悔しかった」


 今でも思う。

 美姫のやり方は間違っていたと。

 後悔したって遅いのに、おまえが死ぬ必要なんてなかったじゃないかとふと叫びたくなる時がある。届かないとわかっていても、自分を抑えられなくなる時が定期的に巡ってくるのだ。


「そうだったんですね」


 美和さんは柔らかな声で相槌を打った。


「私も、悔しいです。あなたとは抱いていた感情の種類が違うのでしょうが、私も真美のことを大切に思っていましたから……友達として」


 その想いは、俺にも十分すぎるほど伝わってきた。というより、純粋に共感してしまったのだろう。

 大切な人を失う痛みは、言葉じゃとても言い表せない。

 まとう空気にそっと混じって、音もなく自身の周りを漂っているものだ。


 やがて彼女は、穏やかな表情を湛えて俺を見た。


「お名前は?」

「あ、えっと……池月です」

「ファーストネーム」

「あぁ……祥太朗です。池月祥太朗」


 祥太朗くん、と繰り返した美和さんは、どこか哀しげな笑みを浮かべた。


「あなたがすごく羨ましい」

「え?」

「幼馴染みさんの死から、すっかり立ち直っているように見えます」


 俺は少し目を大きくした。その一言は裏を返せば、彼女は未だに真美さんの死を引きずっているということだ。

 どうかな、と俺は苦笑いで肩をすくめる。


「前に進まなきゃ、とは思いますけど、実際にそうできているかって言われたら怪しい気がする」

「大丈夫ですよ。誰かに優しくできるということは、それだけ心に余裕があるということですから」

「それを言うなら、鳥飼さんだって……」


 言いかけてから、猛烈に恥ずかしくなってきた。彼女から目を逸らし、口もとを抱えた膝の中に隠す。


 ――あなただって、俺に優しくしてくれたじゃないですか。


 また俺は凝りもせず、大事なところで弱虫になる。

 わかっているのに。

 口に出して伝えられれば、あるいは彼女だって、前に進めるようになるかもしれないのに。


「おーい、しょーたろー!」


 その時、少し離れたところから柏木が声を上げながら駆け寄ってきた。


「できたよー見取り図!」

「おぉ、さんきゅ」


 俺が立ち上がると、美和さんも一緒に腰を上げて「ありがとう」と俺に言った。


「あなたとお話しして、少し気分が晴れました」


 言葉とは裏腹に、彼女の体調は徐々に悪化しているように見えた。潤んだ瞳に赤らんだ頬。発熱しているのは間違いない。


「……部屋で休んだほうがいいですよ」


 めちゃくちゃ心配しているというのに、そんな頼りないアドバイスしかできない自分が腹立たしくて仕方がなかった。けれど彼女はふわりと笑って「そうします」と言ってくれて、結局俺のほうが彼女の優しさに救われることになってしまった。


 ゆっくりと部屋に戻っていく彼女の背中を、俺は柏木とふたりで見送る。彼女に声が届かなくなる頃、柏木が「ほえぇ」と気の抜けるような言葉を発した。


「あの人、あんな美人さんだったんだなぁ」


 感心したように言う柏木に、俺は思わず笑ってしまった。


「俺もさっき、まったく同じことを思った」


 だよなぁ、と相槌を打った柏木は、少し言いよどんでからこう続けた。


「雰囲気は全然違うけどさ……なんつーか、會田ちゃんにちょっと似てる気がする」


 唐突に飛び出した美姫の名に、俺はぴたりとその場に固まってしまった。「あぁっ、ごめん!」と柏木は凍りついた俺に慌てて両手を振って謝る。


「深い意味はないよ! うん、その……なんていうか、ほら……っ」

「いいよ、俺に気を遣わなくて。それに……」


 実は俺も、柏木とまったく同じ思いを抱いていたのだ。

 どこが、とか、なにが、とか、具体的なことはうまく言えないのだけれど。

 ただ漠然と、彼女は美姫に似ているなと、そう感じていたのは確かだった。


 柏木とともに723号室へ戻ろうとすると、ズボンのポケットでスマホが震えた。百瀬からの着信だった。柏木が一緒だったので、スピーカーホンにして応答する。


「百瀬?」

『おい、池月』


 聞こえてきた声はあきらかに不機嫌で、なにも始まらないうちからケンカ腰だった。


「あー……どうだ? 体調は」

『んなこたぁどうだっていいんだよ。それより、おまえ』


 俺の気遣いを一蹴した百瀬は、不機嫌なまま一つ質問を繰り出した。


『柏木って誰だ』

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