2/6 08:23 a.m.

 718号室では、鳥飼美和さんを除く三人の大学生たちがゆかりさんの戻りを待っていた。きっと美和さんは警察に呼ばれて事情聴取を受けているのだろう。

 鶴見さんに支えられ、すんすんとはなを啜りながら部屋に入ってきたゆかりさんを見て、一番に立ち上がったのは西山さんだった。彼女の抱えていた缶の束をサッと受け取り、備え付けの座椅子へと彼女をいざなう。

 俺たちには迷いなく「ありがとう」と頭を下げ、誰に対しても紳士な態度を貫いた西山さん。羽田空港ではじめて出会った時に感じた、どことなく抜けていてぼんやりと頼りない印象は、今やすっかり消えてなくなっていた。


「だいぶ落ち着いたみたいだね、恩人くん」


 和室の入り口である障子戸の陰に佇んでいた俺と鶴見さんに中へ入るよう勧めてくれた西山さんは、俺たちが畳に腰を落ち着けるのを待ってから口を開いた。


「さっきよりも顔色がよく見えるよ」

「えぇ、まぁ……友達と話して、少し持ち直したってところです」

「そう。……なんだか悪いことをしちゃったね、せっかくの修学旅行だったのに」

「いえ、そんな」


 首を振りながら、これはいいチャンスなのではと気がついた。西山さんのほうから事件の話を持ち出してくれている。切り込むには今しかない。


「あ、あの」

「なんだい?」

「さっき、ゆかりさんから聞きました。皆さんと瀧田さんとの仲は比較的良好だったって」

「あら、あなたたち」


 少し離れた壁際に座っていた理沙子さんが声を上げる。


「本気で犯人捜しをするつもりなの?」


 ねめつけるような彼女の視線は、俺ではなく鶴見さんに注がれていた。その視線に応えるように、鶴見さんは毅然とした態度で言う。


「いけませんか」

「そうは言ってないじゃない。ただ本気なのかって訊いただけよ」

「だったら、教えてください。瀧田さんが殺された理由になにか心当たりはありませんか?」


 理沙子さんはあからさまに嫌な顔を作ったが、鶴見さんは怯むことなく続ける。


「今回の犯行は旅先で起こったものです。殺害方法が刃物による刺殺であったことからも、衝動的に殺してしまったというのはちょっと考えにくい。おそらく犯人は、最初から瀧田さんを殺すつもりで今回の広島旅行に参加したんだと思います。だとするなら、犯人と瀧田さんとの間には過去になんらかのトラブルがあった、もしくは瀧田さんが一方的に恨まれるような行動を取っていた……どちらかが動機だと考えられるでしょ? どなたか、瀧田さんともめていた人がいたというようなことに心当たりがあれば、参考までに教えていただけませんか」


 この発言に、俺は鶴見さんの頭の良さを改めて眼前に突きつけられることになった。

 瀧田さんの殺害が計画的なものだった、という推理は同時に、瀧田さんとは昨日が初対面である中井の犯行ではない、ということを暗に主張している。さらに言えば、犯人はあなたたち五人の中にいる、と断言したことにもなるけれど、自分たちが疑われていることは全員が承知しているところなのだろう、反論の声は上がらなかった。


「悪いヤツじゃないんだよ、決してね」


 西山さんが、少し哀しそうな目をして言う。


「勉強熱心だし、サークルのメンバーの中では誰よりも賢い男でさ。……まぁ、なまじ頭がいい分、ぼくたちを見下している節はあったかな。ただ、ぼくと違ってしっかりしていて、細かいところによく気がつくようなヤツでね。一つ大きな欠点は、酒が絡むとちょっと面倒くさいところかな」


「ちょっとじゃないわ」理沙子さんが顔をしかめた。「かなりよ。たいして強くもないくせに、浴びるように呑むんだから」

「そう……うん、そうだな。この間も、ゆかりちゃんに服を脱ぐよう強要してたしね」

「やめてください!」


 涙を拭いながらゆかりさんが言う。


「亡くなった方を悪く言うのはよくないです。要せんぱいは……とってもいい人で……っ」


 ついに声を上げて泣き出してしまったゆかりさん。西山さんが「ごめんね」と言いながら背中をさすってあげているけれど、彼もまた沈痛な面持ちで、いたたまれない気持ちになった。


 彼らを見ていると、つい思い出してしまう。

 四ヶ月前、美姫の通夜で数年ぶりに集まった俺たち六人の幼馴染みの、誰もが深い悲しみに顔を暗くしていた光景を。


 いつもの七人が六人に、そして今では五人になって。

 二度と戻らない笑顔を思うと、今でも胸が締めつけられる。


「池月くん」


 隣から聞こえてきた声にはっとして顔を上げると、鶴見さんが心配そうに俺を覗き込んでいた。


「大丈夫?」

「あ、あぁ……うん」


 いけない。つい思考が脇道に逸れてしまった。

 とにかく今は時間がないんだ。目の前の事件に集中しないと。


「お酒と言えば」理沙子さんが顎に手をやりながら言った。「昨日はちょっとヘンだったのよね、要」


「ヘン、とは?」


 鶴見さんが問うと、理沙子さんは少しだけ顔をしかめて答えた。


「いつもより量が少なかったのよ」

「お酒をのんだ量、という意味ですか?」

「えぇ。はっきり覚えているわけじゃないけど、生ビールのジョッキを一、二杯あけた程度で昨日はすっかり出来上がっちゃってたのよね。疲れているとアルコールのまわりは早いって聞くけど、それにしても昨日の要は少しヘンだったと思う」

「その違和感、もう少し具体的に表現できませんか」

「うーん、そうねぇ……なんていうか、わざとらしかったのよ」

「わざとらしい?」

「そう。ほら、あなたたちのお友達と廊下でぶつかっちゃったときも」


 あぁ、と言ったのは俺だ。確かに、中井や柏木の話を聞く限り、昨日の出来事はあきらかに瀧田さんから柏木に体当たりしてきた風だった。


 仮に。仮にだ。

 もしも昨夜のあの騒動が、瀧田さんの酔っ払った演技によって起こされたものだったとしたら?


 考えてみたものの、どうにも腑に落ちない。彼らが食事から戻るタイミングで中井と柏木が廊下に出ていたのはまったくの偶然だったはずだ。出会うかどうかもわからない中井たちとの遭遇を最初から計算に入れて演技をしていた? そんなバカな。

 だとしたら、何のために瀧田さんは仲間の前で酔ったフリをしていたのだろう?


 シュッ、カタンと、障子戸の開く音がした。

 警察からの事情聴取を受けていた美和さんが、718号室に戻ってきた。相変わらずマスクをしているのでその表情はわかりにくいけれど、とても調子がよさそうには見えない。

 西山さんの「おかえり」の声に小さく頭を下げた彼女は、部屋の隅で膝を抱えている沢代さんに視線を投げた。


「海斗」


 美和さんの声に、沢代さんはわずかに顔を上げる。


「行って。廊下で刑事さんが待ってる」


 次に事情聴取を受けるのは沢代さんのようだ。しかし彼は膝を抱える両腕の力を強くするばかりで一向に立ち上がろうとしない。


「…………ねぇ、美和」


 やがて沢代さんは、今にも消えそうな声で美和さんの名を口にした。


「刑事さんに話した?」

「? ……なにを?」

真美まみのこと」


 耳慣れない名前が飛び出したその瞬間、美和さんの瞳が大きく揺らいだ。彼女だけでなく、理沙子さんと西山さんもサッとその表情を変える。

 室内の空気がガラリと変わった。暖房が効いているはずなのに、ぐんと温度が下がったような気がする。


 ――真美?


 瀧田さんを含めて、今回の旅行に参加している大学生は六人。その中に〝真美〟という名の女性はいない。

 そして、その名前が出た途端に流れ出した、冷たく、とげとげしい空気。触れてはいけないものに触れてしまった、そんなどこかざらついた感覚が素肌を撫でる。

 反射的に、俺は鶴見さんを見た。鶴見さんも俺と目を合わせ、かすかに首を傾ける。


「……みんな、わかってるんでしょ」


 ゆっくりと沢代さんが立ち上がる。震える吐息を混じらせながら、彼は絞り出すように言った。


「やっぱりあの人だったんだ……真美を死に追いやったのは、瀧田さんだったんだよ」

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