第二章 容疑

2/6 07:01 a.m.

「…………っ」


 目の前に広がる凄惨な光景から、目を逸らすことができなかった。あまりの恐ろしさに声を失う。

 頭が真っ白になった。けれど、彼――瀧田さんが絶命していることは疑いようもない事実だと、それだけはどうにか理解できた。


 立てていた膝を崩し、俺は床にへたり込んだ。まもなくして、背後からドタドタと複数の足音が聞こえてくる。


かなめ……!?」


 部屋に入ってきたのは、瀧田さんの仲間である美大生たちだった。要、と彼をファーストネームで呼んだのはオカルト好きの髪の長い女性だ。

 彼女と並んで、落とし物名人さん、見た目中学生の眼鏡女子・ゆかりさん、そしてマスク姿の女性が、それぞれ青ざめた顔で瀧田さんの遺体を見下ろしている。これだけの出血だ、足が竦んでしまったのだろう。誰ひとり遺体に近寄ろうとはしなかった。

 そしておそらくは誰もが、瀧田さんが絶命したことを理解していた。


「しょ、祥太朗……?」


 入り口の扉にくっついて中の様子を窺っていた柏木が、おそるおそる近づいてくる。


「ねぇ、なにが……」

「来るな、柏木!」


 精一杯絞り出した声で俺は叫んだ。


「ダメだ……見ちゃダメだ、絶対」


 そう言う俺は、血を流す男からいまだに目を離せずにいる。あまりに衝撃的な急展開に、からだがうまく動かない。


「き、救急車、呼びますっ!」


 ゆかりさんが悲鳴にも似た声を上げ、息を弾ませながら部屋を飛び出していった。自分たちの泊まっていた客室に携帯が置いてあるのだろう。


「ホテルの人にも知らせましょう」


 オカルト好きの女性が言い、瀧田さんの遺体にくるりと背を向けてテレビの横に設置されていた内線の受話器に手を伸ばした。


「待って、理沙子」


 すると、落とし物名人さんがオカルト好きの女性――理沙子さんに声をかける。


「たぶん、この部屋のものには無闇に触らないほうがいいと思う。だって……瀧田は」


 落とし物名人さんは、理沙子さんから瀧田さんのほうへと視線を移す。しかし、彼の目に映っているのは遺体ではなく、その脇……布団の上に投げ出されるように落ちている一本の刃物だった。


 ――うそだろ。


 言いかけた落とし物名人さんの言葉の続きはおそらくこうだ――瀧田は、誰かに殺されたのだから。


 全身の震えが止まらなかった。

 この状況……否応なく思い出す、およそ四ヶ月前の出来事。


 刃物による殺人。

 美姫が殺されたのと、まったく同じ方法だ。


「大丈夫ですか」


 瀧田さんの遺体を見つめたまま呼吸を乱している俺のもとへ、誰かの影が近寄ってきた。マスクをつけたボブヘアの女性だった。


「あなたも、見ないほうがいい」


 彼女は俺の視界をふさぐように、瀧田さんを背にして俺のすぐ脇にしゃがみ込む。そっと俺の肩に触れ、からだの向きを変えるよう促してくれた。

 視界から瀧田さんの姿が消えると、それだけで息が楽にできるようになった。いつの間にか、彼女は俺の背をさすってくれている。彼女のまとう穏やかな熱が、震える俺を優しく包み込んでくれるようだった。

 しかし、それも束の間の安息だ。俺の目の前には今、行方不明だった同級生・中井陽太が倒れている。


「おい、中井!」


 ようやく我に返った俺は、うつ伏せ状態の中井の肩をバンバンと叩いた。


「中井! 大丈夫か!?」


 幸い、中井のからだには出血している様子が見られなかった。口もとに顔を近づけてみると、かすかだが呼吸の音が聞こえる。

 上半身を抱き上げ、左腕で頭を支える。右手で中井の頬を叩きながら、俺は必死に声をかけた。


「おい、中井! しっかりしろッ!」

「…………っ」


 努力の成果が実り、中井が小さなうめき声を上げた。はっとして、俺は中井の体を揺り動かす。


「中井! 大丈夫か!?」

「…………い、け……づき……?」


 うっすらと目を開けた中井は、俺の名前を口にした。あぁ、と俺は安堵の声を漏らす。


「よかった……! おまえ、なんでこんなところに……!」

「こんな、ところ……」


 俺の言葉を繰り返すと、中井は自らの首筋に手を当てた。


「誰かに……殴られて」

「殴られた?」

「首の、後ろ……痛くて、目の前が真っ暗になって……」


 未だに痛みがあるのか、首筋に当てている中井の右手に力が入るのがわかった。


「どこかの部屋……薄暗い部屋の中に引っ張られて……なにか、飲まされた」

「飲まされた? なにを?」

「わからない……錠剤、だったような……」

「錠剤? 薬ってことか?」


 答える代わりに、中井はぎゅっと目を瞑って体を捩った。殴られた箇所が痛むのか、その顔は苦悶に満ちている。


「お水、取ってきます」


 俺の背後で、マスクの彼女が立ち上がった。


「水分を摂れば、少しは落ち着くかもしれないから」


 颯爽と部屋を出て行く彼女に、俺はありがとうの一言すら言えなかった。去りゆく背中を見つめているうちに、中井が自力で上体を起こした。


「くそ……頭が痛い」

「大丈夫か? もうすぐ救急車が来るから」

「――ちょっと」


 その時、オカルト好きの理沙子さんが怖い顔で俺たちのもとへと近づいてきた。


「まさか、あんたがやったんじゃないでしょうね?」


 彼女の冷たい視線は、中井だけに注がれている。「はい?」と中井は何の話だと言わんばかりの目をして彼女を見上げた。


「要のことよ! あんたが要を殺したんじゃないかって訊いてるの!」


 ビシッと右腕を伸ばし、理沙子さんは瀧田さんの遺体を指さした。そこではじめて中井はここが殺人現場だということに気がついたらしく、血に染まる遺体を見た瞬間、ひっ、と小さく息をのんだ。


「……ち、違う! おれじゃない!」

「誤魔化しても無駄よ! 要と一緒にこの部屋の中にいたなんて、どう考えたっておかしいじゃない!」

「落ち着きなよ、理沙子」


 落とし物名人さんが、興奮する理沙子さんの肩にそっと手を置く。


「恩人くんとの会話が聞こえてたけど、彼、誰かに殴られたって言ってたよ」

「そんなの、嘘をついているだけかもしれないでしょ!? この部屋は昨日の夜から要がひとりでずっと閉じこもっていたのよ? そんなところにどうして一緒にいたのよ、この子は!?」

「それはわからないけど……。でもさ、ぼくらでさえ部屋に入れてもらえなかったのに、この子はどうやって部屋に入ったんだろう? あの瀧田が見ず知らずの高校生をホイホイ部屋に招き入れるとは考えにくくないかい?」

「見ず知らずじゃないでしょ。この子、昨日要に絡まれてた子よ!」


 覚えてるわ、と理沙子さんは胸を張って中井を見下ろす。事実、彼女の言うことは間違っていない。


「ほら、黙ってないで本当のことを言いなさいよ!」

「違う! 本当におれじゃないっ!」

「じゃあなに? あんたがこの部屋に入った時にはすでに要は死んでいたとでも言うわけ?」


 理沙子さんに問い詰められると、中井はなにかを思い出したように表情を変えた。


「……いや、生きてた」

「生きてた?」俺が問うと、中井ははっきりとうなずいた。


「おれが殴られて部屋の中に連れ込まれた時、あの人……そっちの窓際に立ってた」


 中井が指さしたのは、和室の一番奥、南側に面した大きな窓だった。今はカーテンが閉められていて、外の景色を臨むことはできない。


「顔を見たのか?」再び俺が尋ねると、中井は「たぶん」と今度は曖昧な返事をした。


「後ろから髪を引っ掴まれて、無理やり顔を上げさせられたんだ。薄暗かったけど、カーテンが開いてて外からの光が入ってきてた。知らない人だったら覚えていられなかったかもしれないけど、昨日柏木に絡んできた人によく似てたから……。そのあと、錠剤みたいな何かを口の中に押し込まれて、水と一緒に飲み込んで……それから先のことは覚えてない」


 中井が話し終えると同時に、マスクの彼女と、電話をかけに行っていたゆかりさんが戻ってきた。マスクの彼女はまっすぐ中井のもとへ向かい、新品未開封のミネラルウォーターの蓋を開け、中井に手渡した。


「よくわかんないっすけど」


 これまでずっと口をきけずにいた沢代さんが、四つん這いでズルズルと布団の上から畳に降りてきた。


「今のその子の話が事実だとしたら、その子を殴ってこの部屋に連れ込んだやつが、瀧田さんを殺したってことになるんじゃないっすか……?」


 彼の指摘に、俺を含めた全員が小さく息をのみ込んだ。


 沢代さんの言うとおりだろう。

 中井を襲い、瀧田さんを殺した犯人は、事件当時、このホテルの中にいた人物。


 なぜ中井が事件に巻き込まれたのかはわからないけれど、少なくとも犯人は、瀧田さんのことを殺したいほど憎んでいたということは理解できる。


 俺はぐるりと、五人の美大生の姿を見回した。誰も彼もが視線を逸らし、他の誰とも目を合わせようとしない。


 確信する以外に、選択肢は見つからなかった。

 瀧田さんを殺したのは、この五人のうちの誰かだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます