第85話 目当ての物がなかったら余計欲しくなるよね、というお話
「……らいくん! 倉井くんってば!」
「……はえ、電波さんですか」
呼び掛ける声にはっとして首を持ち上げると、なだらかな壁のようなものがまず目に入り、その上に電波の顔があった。
なんでウルトラちっこいこいつの顔がこんな上に……ああ、俺が四つん這いんに崩れ落ちてるからか。茫然としててそんなことに気付くのすら時間がかかったわ。
しかしこの角度、なにがとは言えないが電波に人並のタッパがあれば危なかったかもしれない。
「電波さっ……!? ど、どうしたのよ、やっぱり変よあなた」
「いえお気遣いなく……それで、
「ご用件って……なにか割れたような音がしたと思って見たら、いつにも増して倉井くんの様子が変なんだもの、びっくりしたわ」
なんだって……まさか俺の心が砕ける音が物理的に鳴っていたというのか……? マジかよすげえな俺。他の音も出せるようになったら一発芸には一生困んないんじゃないか? あと個人的には効果音よりBGMの方が嬉しかったんだが、まあそれはいいとして。
電波におかしいと言われるなんざ相当だ。だってこの場はホームラン級のアレが多数生息している煉獄の地、並みのアレさ加減では埋没するはずだっていうのに。
「あごめんそれ私が湯呑落とした」
あんたかよ副部長。
ちなみにその時俺が思ったことは一つ。
“その湯飲みの値段とか絶対知りたくねえ。”だ。
◇
「それで、結局なにがあったの? あんなに項垂れていたんだもの、まさかなにもなかったなんてことはないでしょう?」
「いや別になにがあったってわけじゃないんだが……」
「?? もう、はっきりしないわね……」
「すんません……」
「……まあいいわ。変だけど、お腹痛いとかじゃないのよね?」
それ前にも言われたような気がするけど、こいつの中では様子がおかしい=腹痛なのか?
もっと他にあるだろ、怪我したとか気分悪いのかとかよ。
それにここはカードゲーム部なんだぜ? 普通闇のゲームに負けたのかとかが第一候補に挙がるはずだろ。
俺がようやく立ち上がると、電波がぐっぐっと腹を押してきた。心配してくれるのはありがたいけど、その動きはもし本当に俺が腹痛に苛まれていたら死刑だぞ。
まあ
「大丈夫だよ」
なのでそう答えるも弄られ続ける俺のお腹。しかも手付きがだんだん変わってきた。
「……電波、それ気に入ったのか?」
「えっ? そ、そうね。パパ以外のお腹なんて初めて触ったけど、あんな動きが出来るだけあってやっぱり結構鍛えてるのね、あなた」
と少しズレた応えを頂く。
フフ……しかしとうとう気付かれてしまったようですね。
実はこの倉井未来、身体には結構自信があったりするのだ。
なんせ肥えてしまうとライダージャケットが絶望的に似合わなくなるならな。どっしりと構えるように乗るアメリカンやツアラーはともかく、前傾姿勢で腹肉が強調されるレーサータイプとおデブは最悪の組み合わせだ。
そんなわけで、ガチガチの運動部や筋トレが生き甲斐の
趣味がランニングとドライブとか、動き続けないと死んじゃうマグロのような男だとは
あといくら食べても胸に栄養が行く真露は全人類の敵だと思う。
しかし電波パパというと、電波に電波なんて名前を付けた張本人だよな。
一時期話題になったDQNネームってわけじゃないけど、独特な感性を持つお方だ。
まだ会ったこともなければ名前すら知らないけど、きっと娘に似て変わっているんだろうな。
いや似合ってるよ? 確かに初耳の時は変な名前だなと自分を棚に上げて思ったりしたけど、今となってはこの名前以外考えられないくらいには。
電波の電波感は実際スゴイ。
でも名前って当然、成長した姿を基にして付けるわけじゃないじゃない。なんなら産まれてすらいないわけで。
こんな風に育ったらいいな、とか考えて付けるモノだと思うのよ。
待って俺の親はなんで俺に未来なんて名前を付けたんだ?
「えっと……わたしのお腹も触る?」
俺が沈黙しているのを嫌がっているとでも捉えたらしく、電波はとんでもないことを言い出した。
そんな等価交換は要りません。
つーか男女逆にしたら普通にセクハラ案件で死刑だろ。この場にゃ俺以外女しか居ねえんだぞ。
いや森くんが居たわ。森くんといや細身だけど結構鍛えてそうだよな、さっきの立ち振る舞いとか完全に経験者のそれだったし。
こっち来てから運動不足気味だから解消に付き合ってもらえないかしら。今度ランニングにでも誘ってみよう。あとバイクとか興味ねえかな?
「触らねえよ。つーかUNOはもういいのか?」
とにかくこの話題をこれ以上続けているのは危険だと判断した俺は、速やかに軌道修正を試みた。
「ええ、もう終わったわ」
「楽しかったか?」
「うん」
そして簡単に乗せられてくれる電波は相変わらず心配になるくらいチョロかった。
「そうか……よかったな」
花が咲いたようにニッコニコな電波の頭を撫で―――ようとして、掌が触れる
今更だけど、頭撫でるのってセーフだよな……?
いやでも、これでセクハラ認定されるなら持ち上げたり振り回したりで腋の下に手入れてたのとか死刑で済まないだろ。
強制わいせつとか通り越して一撃で準強姦罪くらいになりそう。
性犯罪のマエとか情けなさ過ぎるし親も泣くから絶対嫌だなあ……数ある犯罪の中でも婦女暴行とかマジで最低最悪の部類だろ、まだ喧嘩で傷害付く方がなんぼかマシだ。
「どしたん? 病室のアスカでやっちまった後のシンジくんみたいになってるぜい。さあ早く撫でたまえよ」
この人はこの人で俺の葛藤も知らずマイペースなままで、なに言ってんのか全然わかんねえし。
とりあえず撫でりゃいいのか? なんでだよ。
まあいくら考えたところでこの人の思考を理解することなんて俺には出来そうにないので、言われるがまま電波の頭に手を置く。
でもそう言うってことは撫でるくらいならセーフ……皆さん今の言葉聞いてましたよね? 俺の意思ではないので、仮にこれが許されざる行為だとしても全ての罪は彼女にありますよ?
「いやー、麗しき兄妹愛だねえ」
相変わらず適当なことを言う副部長を無視し、お嬢様はどうなったろう……とチラ見すると、彼女は座ったまま真っ白に燃え尽きていた。
なんで?
「そっちこそなんかあったのか?」
「え? どうして?」
「いやアレ見たら誰だってそう思うだろ」
やらかした時の俺みたいだ。
別に親近感は湧かないけど。
「この子全部勝ってたよ。いやあ気持ちいいくらいボコボコだったねえ」
と言って電波の肩に手を置く副部長。
……全部。
マジでボッコボコじゃねえか。
なるほどプライドを粉々に砕かれてああなったと。
闇のゲームじゃねえか。それ超見たかったぞ。
つーか電波さん強過ぎない? それともあのお嬢様がクソ雑魚なのか?
でも二人でやるUNOに実力とかなさそうだし、100%運な気もするんだけど。
確かに運も実力の内とは言うけどさ、それにしたって限度があるだろ。
まあ、なんにせよあの様子だともうこっちに来る気力はなさそうだ。
いや冷静に分析してる場合じゃねえよチャンスじゃねえか。
「よし電波、今のうちに帰るぞ」
「え、もう帰るの? やっぱりお腹痛いんじゃ―――」
「それでいいから、ほら」
「あっ、ちょっと、引っ張らないでっ」
「お邪魔しました!」
「すげえ勢い、あの子浮いてらあ」
◇
「よし……ここまで来りゃあ大丈夫だろ。電波、生きてるか?」
全力で逃げすぎて七生の働くコンビニ近くにまで来てしまった。
いくら電波が軽いとはいえ人一人持ち上げたままの全力疾走は流石に疲れたし、ちょうどいいから乳酸菌を補充しておこう。
運動すると乳酸が溜まるなんて言うくらいだからな……ピルクルは疲労回復にも効能があるはずなのだ。
電波ノビてるけど、まあこいつもピルクルを流し込めば復活するだろう。
「しゃせー」
自動ドアのピロピロ音に続くやる気の感じられない声は七生のものだ。部活とはいえ客商売でそれはどうなのよとも思うけど、めちゃくちゃ愛想のいい七生とかそれはそれで想像できない。
見てみたい気もするけど、そういう時の七生って絶対裏がありそうに思えて怖い。
……そういやここに来たのはまだ数回目だけど、未だに七生以外の店員さんを見たことがないよな。
バックに居るのかワンオペなのか。もしかしたらいつの日かコンビニ部のお世話になる可能性がなきにしもあらずだし、と職場環境を気にしつつ電波を引き連れてドリンクコーナーへと向かう。
「七生、ピルクルが見当たらないんだが」
ピルクルが置かれているはずのスペースは商品が補充されておらず空欄。視線の高さを合わせて覗き込むもバックヤードが奥に透けて見えるだけで、列の一番手前では税込み120円の値札が虚しく揺れていた。
作業を中断させることを申し訳なく思いつつも、死活問題なので七生に声をかける。
「はいはい……っと。どうしたの?」
「いや、ピルクルがないんだが」
手隙の時にでもお願いします七生様、と続けようとするも、
「ああ、その棚になければないわよ」
と無情にも告げられる死刑宣告。
「えっ?」
「普段そんなに売れないからあんまし数入れてないのよね」
「正気か……いや正気ですか!?」
「なんで二回言ったのよ……」
「そりゃ機会損失ってやつじゃないのか!?」
「いやあんた一人でなにが変わるってのさ」
「くっ……!」
―――乳酸菌飲料界はヤクルトという絶対的王者が君臨している上、カルピスやぐんぐんグルト、マミーなど老若男女問わず大人気なラインナップが勢揃いしている。
確かにピルクルは俺にとってのオンリーワンな存在であるが、店側からすれば綺羅星の如くある商品の内一つに過ぎない……それはこれ以上ないってくらいの正論だ、しかし……!
「これが……こんなものがおまえ達のやり方なのか!?」
「ええ……?」
◇
「……ま、そーゆうことだから、うちの在庫はあんたがこの前買って行ったので最後。次の入荷は……確か明日の朝だったかな」
「なん、だと……」
「どうしても欲しいなら―――」
「くそっ、待ってろよ電波、俺が速攻で下界まで買いに行って来てやるからな!」
「えっ」
気付けば俺は駆け出していた。七生がなにかを言いかけていたみたいだが、今はなにも聴きたくない。
「―――学園の敷地内にある他の店舗に行ってみたらどうよって言おうとしたんだけど、下界ってあいつどこ行くつもりよ……?」
「わたし、ここで待ってた方がいいのかしら」
「あいつが戻ってきたら言っといたげるから、帰っていいんじゃない?」
◇
息を切らせながら走る。
完全に短距離のペース配分で、胸も足も脇腹も、身体中の全てが軋む。
酸素を求めた口元は水面に喘ぐ鯉のようで、早鐘を打つ心臓の音がやけに大きく聞こえた。
駐車場へと辿り着いた俺は逸る気持ちを抑え、息を整える暇もなくバイクに跨った。
アクセルを開き過ぎないよう気を付けながら可能な限りの爆速で山道を下り、一番近くのコンビニへと向かう。
そしてありったけのピルクルを買い占めて駐車場に戻ると、いつかの変態が湧いていた。
バイクも衣装も違うけど、こんな存在が自分の住む街に複数生息しているとか考えたくもないので同一と見ていいだろう。
このおっさん、生きていたのか……。
高速から飛んだ時は逝ったか、よくて大怪我からの入院コースだろうな思ったてたがピンピンしてやがる。アレなだけあってやっぱり頑丈なのか。
「むっ―――」
不覚にも感心していると、こちらも気付かれ目が合ってしまう。
右手でキーを差し込む。回す。左手でヘルメットを被る。全ての動作を一瞬で終え俺は滅多にやらない二速発進でロケットの如くコンビニを飛び出した。
車の間を擦り抜け、時にエンジンを切って歩道を押し歩き、距離を稼ぐため一瞬たりと止まらずに走り続ける。
知らない道とか言ってらんねえ。なんでもいいから距離を稼がないと。
「ちくしょうこのおっさんどこまで着いてきやがんだよ!!」
つーか運転うめえ……! あんな視界の悪そうな被りもん着けたまんまでよく走れるな……!
小回りの効く
直線だとマシンの差で勝ち目ねえしどうすんだよこれ、どうにかして学園まで逃げるか? だがあんな不審者を女子校に連れて行くわけには……!!
「つーかなんで追って来んだあのおっさん……!?」
確かに目は一瞬合ったけどメンチ切ったわけでもねえし身に覚えがねえぞ。
「そこのコスプレしたバイク、止まりなさい!」
日輪の如き輝を放つ赤い非常灯に甲高いサイレン。ホワイトカラーがベースの車体に黒いアクセントが映えるあの方々は……!
「ナイスお巡りさん! よくぞ来てくれた……!」
よしあのおっさんが引き留められている今の内に―――
「あー、その前を走る赤と黒のバイクに乗った学生、君も止まりなさい」
今のはマージでコケるかと思った。
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