第23話 長ったらしい名前のメニューを照れながら頼んだ時さ、こういうのあるよね?
ウェイトレスさんに人数を告げ、通された席に俺達三人は腰を下ろす。
案内されたのは窓際に面した四人掛けのテーブル席で、当然俺が一人、二人と対面する位置取りだ。
しばらくして水とおしぼり、それと人数分のメニューが運ばれて来たので、水に口を付けてからそれを手に取って目を通す。
【シェフの気まぐれハンバーグ】
【シェフの気まぐれビーフシチュー】
【シェフの気まぐれ―――】
【シェフの気―――】
サンプル写真と料理の名前。
一目見て、この店のシェフがとんでもなく気まぐれな野郎ということはよくわかった。逆を言えばわかったのはそれだけで、まぁつまりだ、
なんということでしょう。
このメニュー表、値段が一切書いてやがらねえ。
時価か? 時価なのか? いやそんなアホな。寿司屋じゃねえんだぞ。違う。仮に寿司屋だとしても学食で時価はふざけている。こんなことが許されていいのか。
「? どーしたのかしら? メニューとにらめっこなんかして……あ、そうよね! 初めて来たお店だと何を頼むか迷っちゃうわよね! その気持ち、わかるわ!」
そうか。こいつはバカボンみたいなキャラをしているから忘れてしまいそうになるが、中等部からこの学園の生徒だったということは純粋培養されたお嬢様に違いないのだ。値段が書いていない品書きを見る機会も珍しくもないんだろう。
ストローの袋で遊んでいる姿はお嬢様という言葉に程遠く思えるが、ともかくこの場に庶民は俺一人。
孤立無援、四面楚歌……ではないか。
ちくしょう、せめて真露がいればあいつをスケープゴートにして探りを入れることが出来るのに。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
そんな俺の動揺などつゆしらず、しばらくしてウェイトレスさんが注文を取りに来る。
気が付けばルクルと電波、二人の視線も俺に集中しており、どうやら決めかねているのは俺一人らしい。
ええい、こうなったら勢いだ。流石に学食で一万も二万も取られないはずだし、腹も減ってることだ。ルクルが美味いと言っていたメニューを二つとも頼んでしまおう。
「えーっと、俺はシェフの気まぐれハンバーグと、シェフの気まぐれビーフシチュー、あとシェフの気まぐれライスでお願いします。あ、ライス大盛とか出来るならお願いします」
しかしライスのどこに気まぐれる要素があるのか。産地か? 炊き加減か? それとも水でも変えているのか? いずれにせよグルメ漫画じゃねえんだから、そんなもんがわかる舌を持った学生なんてそうはいねえだろう。
とりあえず、料金を明記しなかった経営陣を気まぐれビンタしながら問いただしてやりたい。
「わたしはビーフシチューとフランスパンにサラダ……あっ! あとオレンジジュースもお願いします」
「いつもので頼む」
「オレンジジュースは食後にお持ちした方がよろしいでしょうか?」
「すぐで大丈夫です」
「かしこまりました。それではご注文を確認させていただきます。ビーフシチューが二つ、ハンバーグ、フランスパン、サラダ、ライスの大盛、オレンジジュースがそれぞれお一つ。ルクル様はいつものセットで。お間違いないでしょうか?」
こいつ……名前を憶えられているばかりか注文も“いつもの”で通じるとは、ただもんじゃねえな。
あとシェフの気まぐれを口にしたの俺だけでしたね。超恥ずい。
◇
ルクルは無口というわけではないが、食事時にわいわい盛り上がるタイプでもないんだろう。既に気分を切り替えているのか、落ち着いた佇まいで目を閉じていた。
単体で見ると窓から差し込む光のせいで雰囲気が凄いが、その隣で電波がちゅうちゅうとオレンジジュースを吸っているおかげで台無しだ。
こうなると料理が運ばれてくるまでの間、俺一人手持無沙汰なので、小動物みたいだなぁとその様子を眺めていると、電波は何を勘違いしたのかすっと俺の前にコップを差し出してきた。
「なんすか」
「え? あなたも一口飲みたいんじゃないの? ずっと見てるからそうだと思ったんだけど……」
違います。
でも小動物みたいだから見てました、なんて本人に向かって言うのもアレだよな。いや電波相手なら良いのか?
「いや、美味そうに飲むなと思って」
そう思ったのも嘘ではない。
電波はころころと表情が変わるので、その時々の感情がわかりやすいのだ。
「だっておいしいもの」
言ってるそばから、ほら。
電波は当然でしょう? と、その顔に疑問を浮かべる。
……確かに、言ってることはそうなんだけど。
しかし美味しいものを口にして、その美味しいという感情を表情に出せるやつがどれだけ居るのか。
少なくとも俺の周りだと……あぁ、真露が居たわ。あいつくらいだ。
まあ、悪いことじゃない。
かわいい女の子が美味しそうに飯を食べている姿は目の保養になるしな。
「ほんとうにおいしいわよ?」
言って、再びこちらにグラスが差し出される。
だが、いくら電波が子供っぽいとはいえ間接キスは気まずすぎる。
当の本人はわかっていないんだろうな、気にしていなさそうだし。
「あんまり喉かわいてないから大丈夫だよ、気持ちだけもらっておくさ。ありがとうな、電波」
「そう。おいしいのに……」
ひと昔前に流行った顔文字を連想させるような、
さて……そろそろかな。
そう思って厨房の方を見ると、注文を取りに来たのと同じウェイトレスさんが料理を乗せたワゴンを押して出てくるところだった。
◇
目の前に並べられていく数々の料理。
ルクルおすすめというだけあって、めちゃくちゃ美味そうだ。
思わず唾を飲み、腹が鳴る。
ルクルは普段から食べ慣れているのもあってか、いや、食事を前に目を輝かせているこいつは想像すら出来ないが、まあ予想通り無表情で。
電波の方はやっぱり、きらきらした目でそれらを眺めていた。
「わぁ……! すごくおいしそうね!」
「だな」
まずは俺と電波の料理が並べられ、続いてルクルの料理だ。
いつもの、というのはどんなメニューなんだろうか。
そう思っている間にも手際よく並べられるいつもの。
スープとオムレツに……ハーフサイズのハンバーグとビーフシチュー、フランスパンか。
一つ一つは少ないが、合わせるとそれなりの量になる。俺からすればそれでも足りないが、小柄な割に意外と食うんだな……。
「はぇ~、小さいのも出来るのね。次来たらわたしもやってみようかしら」
「言えばほとんどのメニューで出来るぞ」
「先に知りたかったわね……でも、いまさら言っても仕方ないわ。さっ、冷えてしまわないうちに食べましょ!」
電波の言葉をきっかけに、俺達三人は食事を開始した。
まずはビーフシチューを一口。うまい。
続いてハンバーグを口に運び、ライスもかっこむ。これもうまい。
うまい。
……えっ、なんだこれ。
「ルクル……」
「どうした?」
「めちゃくちゃうまいじゃねえかここ……」
学食……だよな?
チェーン店とかそういうレベルを通り越して老舗洋食屋とかそんなレベルの味だが、学食でいいんだよな?
シチューの煮込み具合がどうとかハンバーグの肉汁がどうとか、いや、確かにそれも凄いんだが、そんな気の利いた感想は言えそうにないレベルの味が俺の味覚を襲う。
うまい。
俺の口はその三文字以外を忘れてしまったかのように、それしか出てこなかった。
「たしかに、かなりおいしいわね、これ……!」
電波も満足しているようで、オレンジジュースの時以上に幸せそうな顔をしていた。ルクルは……相変わらずの無表情。いや違う、わかりづらいが、これはちょっと嬉しそうな時の顔だ。
この分だと他のメニューも、いや、それどころか他の店もかなり期待出来るな。
これから毎日こんな料理を食えるのか……それは考えただけでも幸せなことだが、同時に財布ポイントがとんでもないことになりそうだ。
「未来」
「ん?」
そんなことを考えていると、食事の手を止めたルクルが俺の方を見ていて、その手にはオムレツがすくわれたスプーンが握られていた。
「ほれ、あーん」
こいつ……さっきのジュースのこともあるし、俺が絶対口を付けないと思ってからかってやがるな。
電波……は食べるのに夢中でこっちを見ていない。
そうか、よし、見てるヤツは居ないんだな。
いいぜ、やられっぱなしは性に合わない。
自己紹介の時の恨みもある。
いろいろな物を吹っ切った俺は差し出されたそれに首を伸ばし、躊躇なく口を付けた。
……。
「んえ? どうしたの二人とも、顔が真っ赤よ」
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