第7話

 一日目の仕事が終わり、帰路につく。


 メニューを覚えてこい。

 こんなの無理だ。


 そのメニューが、十個弱ならまだなんとかなる。しかしあの喫茶店のメニューは10ページぐらいある。ファミレスと同等の量はある。軽食、ランチ、モーニング、デザート……


 しかもただメニューが多いだけではない。

 コーヒー。


 コロンビア、ブルーマウンテン豆の種類だけでも10種類以上はある。どれがコクがあって、どれが苦味があって……さらに粗挽きだとか何とか豆の挽き方でもそれぞれのメニューがある。

 覚えられない。


 アラビア語の訳の分からない文字の羅列をみているようだ。


 しかも仮にそれを覚えたとしてもその次に、アレンジコーヒの種類がある。

 これも不親切なもの。メニューの名前が全て英語か日本語だったらまだ覚えられただろう。


 例えばオランジーナ。これはオレンジとコーヒを組み合わせたもの。ストロベリーコーヒー。これはイチゴの味がするコーヒー。ここまでは簡単。


 しかし、グルナティール。これをみたときまずどこの言葉か分からない。そしてどういったコーヒーなのか分からない。想像もつかない。

 甘いものなのか、苦いものなのか。もしかしたら暑いものの可能性だってある。


 そもそもこれはコーヒーなのか。紅茶という可能性だってある。

 分からない。これが何なのか分からない。


 そのようなメニューが数個ほど見受けられた。


 諦める。

 こんなもの一日で覚えられるはずがない。

 徹夜付けする高校生だってもう少しゆったりと勉強をするだろう。


 覚えてこなかったら諏訪さんは怒るだろうか。怒ったら怖そうである。

 となるとやはりこのメニュー表はしっかりと覚えないとダメなのか。

 全て……とは言わず一部の商品だけでも許してもらえないだろうか。


 あー嫌だ、嫌だ。


 元々接客が嫌いなのに、その上勉強をしないといけないとは。

 どうして私はこの仕事をしようと思ったのだろうか。


 もうこの仕事をやめたい。


 初日でもうこんなに仕事をやめたいと思うなんて。

 ましてや私はアルバイト。


 父がすごいや。そう思う。

 嫌な仕事をして、よく辞めようとしない。しかも私の父はどっかの課長だ。私のようなアルバイトと責任なんて雲泥の差であろう。それなのにプレッシャーとかに負けない。


 今日のたった一日でどれだけお金を稼ぐことが難しいのかが分かった。

 帰宅したら真っ先にお礼を言おう。

 父を尊敬しよう。


 そんな気持ちの変化が現れる。


 その中で揺るがないのは、アルバイトを辞めたいということだった。

 しんどい、辛い、疲れた。

 特に今日の一日大したことしていないのにどうしてこんなに疲れるのだろうか。


 早く辞めたい。

 いや、辞めてはダメだ。

 自分は生まれ変わるんだ。


 そうだ。


 と、その私の目の前に人影。

 足を止める。心臓が高鳴る。嫌な予感。

 会いたくない人。


「お久しぶり」


 その人影はそういった。

 やけに低い声。

 震える。自分の右手をつかむ。落ち着かない。


「茜……」


 茜。

 今会いたくない人物。

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