第46話 心が凍てつく

「鳥谷さんとは日本にいたときから面識があってね……バンド大会にアネモネが出場していたとき、観客席にいたの。その後の打ち上げに参加してくれて。その時、鳥谷さんは私がアネモネで作曲をしていることを知って、是非、私達にも曲を作ってくれって懇願してきたわ。アネモネの曲、気に入ってくれたみたいで。けど、私はキッパリと断った」

「アネモネがバンド大会に出場したのって、たしか夏だったわよね。その頃にはバニラホイップは日本でもメジャーになりつつあった。どうして鳥谷の誘いを断ったの?」

「貴方がいたからに決まっているじゃない」

 錦野は愛理を指差す。

「愛理がいたから……アリスティーがいたからに決まってるじゃないの。その頃の私は、自分のバンドと愛理のためにしか曲を作らないって決めていたわ」

「そう、なんだ……やっぱり私のために……」

「でもね。異世界に行って、状況は変わった。私は異世界のカニエ市で、鳥谷さんに命を救ってもらった。そこで改めて彼女から『曲を提供してくれないかしら?』と問われた。私は迷ってしまったわ。バニラホイップのために曲を書くべきかどうか」

 愛理は黙って錦野の言葉を聞いた。


「だけど、トレビック国の首都で例のカフェを見つけて。そこでウェートレスに頼み込んで一旦、日本に帰ってきた。その時、異世界で摘んだリアダの花をその本に挟んだの」

「そうだったんだ……」

「そうして日本に戻ってきたのだけれど、心の何処かでわだかまりがあった。私を助けてくれた恩義のある鳥谷さんにまだ恩返しをしてないって。それで、私はもう一度秋葉のカフェに行って、ウェイトレスさんに頼み込んで、異世界に飛んだの。バニラホイップに曲を提供するために」

 愛理は複雑な面持ちになる。


「けれどね、愛理。鳥谷さん恩に報いるため――それだけが異世界に戻った理由じゃないんだ。本当は私、邪な気持ちが入っていたの」

「え?」

「夏のバンド大会で、どのレコード会社からもオファーが来なかった……さっきのレイベッケスレコードの大谷さん覚えてる?」

「ええ」

「あの人、一番にアネモネに声を掛けてくれたのに……何もしてくれなかった。私が後日、思い切って大谷さんに電話したら、『いやー。上から却下されちゃって。バンドブームなんかとっくに下火だってね。時代はアイドルだってね。そんなわけで、あかねちゃん悪いんだけど、アネモネとの話はなかったことにしてくる?』って、軽い調子で言われたわ」

「そんな……」

 愛理は愕然とする。


「だからね。日本ではアネモネは……ううん。私、錦野あかりは芽が出なかったんだけど、異世界でならメジャーになれると思ったんだ。幸い、アイドルの作曲は、アリスティーで経験済みだったし。大ブレイク寸前だったバニラホイップについていけば、私もメジャーになれるんだって邪な気持ちがあったの」


 愛理は胸をギュッと押える。メジャーになりたい気持ちは、痛いほど分かっていたからだ。アリスティーだってもとはといえば、たった5人のファンから出発した地下アイドルだったのだから。

 いつかは全国放送の歌番組に出たいと、愛理は切に思って時期があった。アイドルやバンドマンならば、脚光を浴びたいという願望はいつも胸に秘めている。


「私の見立て通りに、バニラホイップは大ブレイクして大統領まで上り詰めた。私は取材攻勢を浴びるほど目立った存在じゃなかったけど、凄い快感を味わったわ。だって、私が作曲した曲を大統領アイドルグループが歌うのよ! これってすごいこと。私にとっての快挙よ!」

「そうだよね……本当に凄いことだよ。大統領アイドルグループの作曲家になれるなんて。その国で一番の作曲家ってことだもんね……」

 愛理は俯いていた顔を上げ、錦野を真正面から見据える。

「でも。でも、あかりは日本に帰ってきて、アリスティーに新曲を2曲も作ってくれた。だから、これからもアリスティーのそばに……ううん。私の側にいてくれるよね? 異世界では鳥谷さんから恩を受けたから仕方ないけど、これからは……」

 愛理は錦野の両肩に手を置く。期待を込めて。だが、錦野は首を振った。


「一時はそれでいいと思ってた。けど、その押し花を見て、思い出したの。まだ鳥谷さんに恩返しなきゃいけないの」

「え?」

「約束したの。鳥谷さんにあと1曲だけ曲を提供するって。だから私、行かなきゃ。もう一度、バニラホイップのいる異世界に」

「そ、そんな……止めてよ、そんなこと。アネモネと私達アリスティーだけのために曲を作るんじゃなかったの? いいじゃない、異世界なんかに行かなくとも。そりゃあ、鳥谷さんには不義理しちゃうことになるけど……」

「ごめんね、愛理……けど、もう帰ってくれるかな?」

 錦野は愛理の手を邪険に振りほどいた。


「あかり!」

 愛理は叫んだ。が、それ以上は何も言えなくなってしまった。錦野の目に光るものがみてとれたからである。


 ふらふらとした足取りで錦野の部屋を出ようとした。――と、そこで呼び止められる。

「愛理、私は待ってる。異世界で。変な話だけど、アリスティーとバニラホイップのアイドル対決を楽しみにしてる」

 錦野の言葉に背を向けたまま、愛理は無言で彼女の家から出た。


 冷たかった。愛理の身体は、芯まで凍てついていた。冬の外気に晒されたからだけではない。錦野が再びいなくなってしまうかもしれないことに脅え、心を凍てつかせていた。

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