第35話 登校

 愛理は校門をくぐる。久し振りに来た母校の黒百合女学園の学舎は、いつもと変わらずそこにあった。


「お早う、リーダー」


 愛理の肩が後ろから叩かれる。振り向くと美砂がいた。


「お早う、美砂。貴方、よく遅刻しなかったわね?」

「いやぁ。実のところ、ヤバかった。お母さんが起こしてくれなきゃ、寝過ごしていたよ」

「分かる。私も熟睡したもの」

「いやー、こんなに安眠したのは、随分と久し振りだよね。特に、知事公邸に泊まんなくちゃいけない日は、落ち着かなかったもんなー」


 美沙の言葉に愛理は頷く。

 彼女は少し不思議な感覚にも囚われていた。何か、黒百合女学園にいることに少々現実味を感じていなかった。

 ともすれば、ここはノイック村で、カティアやマリー、それにミーシャがいるような気がしてならないた。煉瓦造りの家々があり、舗装のされてないでこぼこ道を馬車が行き交う。

 そんな光景が、当たり前のように頭に浮かんでいて、コンクリートで造られた母校を見ても、ピンとこないものがあった。


「日本だねぇ……」


 美砂は見透かしたように口にする。


「日本よねぇ……」


 愛理は噛み締めながら言葉にする。


「で、リーダー。帰ってきたのはいいんだけど、アイドル活動の方はどうする? 僕は気楽な地下アイドルなら、またやってもいいかなーなんて思っているだけど。知事アイドルと違って、プレッシャーはないしさ」


 美砂の言葉に、愛理は眉根を寄せる。


「いえ……アイドル活動は、当分中止しましょう……」


 力ない言葉だった。

「そっか。まぁ、僕はリーダーの意見を尊重するよ」


 美砂にも思うところはあったのだが、深く議論する気はなかった。


 そういった美砂の気遣いがありがたいと愛理は思った。彼女は心に傷を負っていた。

 バニラホイップに負けたことより、錦野あかりから裏切られたショックの方が大きかった。親友がライバルアイドルに曲を提供していた事実が耐え切れなかったのだ。

 二人は校舎に入り、廊下で別れた。


 愛理が教室の扉を開けると、懐かしい顔が揃っていた。


「お早う、杉野さん」


 クラスメートの声。


「お早う、大野さん」


 級友に挨拶し、愛理は席に座る。隣の席――即ち、錦野の席は空席だった。


(あかり……まだ異世界にいるのかしら? まだあそこにいて、バニラホイップのために曲を作っているの?)


 愛理は頭を振る。そんなことを考えても詮無きこと。異世界にいる錦野のことを気に病んでもしょうがない。


「遅刻ー。っと、ギリギリセーフ」


 勢いよく教室の扉が開く。


「もう、錦野さんったら」


 クラスメートの笑い声。


(え?)


 愛理は目を見開く。確かに錦野はそこにいた。


「お早う、愛理。ん、どうしたの? 目を丸くして」


 錦野は愛理の隣の席に座る。


「あかり……本当にあかりなの?」

「嫌だなぁ。錦野あかりは、ここにいるじゃない。愛理の目の前に」


 そう言って錦野はニコリと笑った。


 滞りなく午前中の授業も終り、昼休みとなった。愛理と錦野は机を寄せ合ってそれぞれのお弁当を食べている。


「ねぇ、あかり。ずっとここにいたの?」


 愛理は疑問を投げかかる。授業中も気になっていたが、言えなかったことだ。


「ここにって? どゆこと?」

「ずっと日本にいたのかって訊いているの」


 錦野はケラケラと笑う。


「私、海外になんか行ってないよ。家族旅行もこの所さっぱりだから、日本どころか東京すら出てないわよ。あー、ハワイとは言わないけど、熱海くらいには行ってみたいわー」


 愛理はコホンと咳払い。そうしてから声を潜めて尋ねる。


「言い方が悪かったわ。日本のどこかとか海外にって意味じゃなくて……異世界に――トレビック国に行ったかって訊いているの」

「え、何それ? 漫画かラノベの舞台なの? その……トレビック国っていうの?」


 錦野は不審げな視線を投げかける。その目は至って真面目であった。偽りを言っているようには見えない。


「あ。ええと……そう、ラノベの話。ある日、主人公が異世界転生しちゃうって内容なの。そこにはトレビック国っていう国があって……」

「ふーん。ちょっと興味あるかも。今度、その本貸してよね」

「あ、う、うん。でも、私が読んでからね」

「それでかまわないよ。それより、昨日私が貸した漫画、早く返してよね」

「ご、ごめん。まだ読みかけなんだ。ちょっとバタバタしててさ」

「そっか……うん、そうよね。アリスティーは昨日もライブだったし」

「え? どうして昨日、迎賓館でライブしたって分かるの?」


 愛理はハッとし、再び疑いの眼差しを錦野に向ける。


「迎賓館? どこよそこ? そうじゃなくて、秋葉原のイベントスペースでライブをやって、私も応援に行ったでしょうが。違う?」

「へ? ああ、その通りでした。てへへ」


 愛理は舌を出す。


「今度のライブにも行くから。次はいつやるつもり?」

「え、と……アリスティーの次のライブは……まだ決まっていないんだ……」

「そっかー。まぁそうだよね。昨日やったばかりだもんね。でも、私は応援してるよ、アリスティーを」


 錦野は目を輝かせている。純真な瞳だった。

 そんな錦野に、愛理は本当のことを言い出せずにいた。アリスティーが活動停止したなどと告白したら、錦野に少なからずのショックを与えてしまう。そうするとこが、戸惑われたのだ。

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