第33話 アイドルに疲れた……

 アリスティーの面々は、首都の街並みをあてどもなくさまよう。その姿は、まるではぐれた子犬のように覚束なく、頼りない。


 いくらトレビック国の首都とはいえ、殆どのお店が営業していなかった。もう夜も深まっている。

 そんな中、灯りが一つ。一件だけまだ営業していた。それはカフェだった。しかも、秋葉のカフェと瓜二つの外観。

 街灯に誘われる羽虫のように、ふらふらと愛理達はその店に入った。


「いらっしゃい」


 店のマスターと覚しき中年男性が声を掛ける。


 愛理達は濃いエスプレッソを注文した。本来、朋世は甘々のキャラメルラテが好きなのだが、この時ばかりは苦いブラックを飲みたかった。苦みに顔をしかめたかったのだ。


 少しして、湯気を立てたエスプレッソが運ばれてくる。

 愛理は静かにカップを傾け、ほぅと溜息を吐いた。


「これから……どうしようか?」

「どうするって何がだい、リーダー?」

「アリスティーの方向。いや、行く先かな……」

「行く先もなにも……知事アイドルとして頑張っていく。それしかないじゃないか」

「うん、そうなんだけどさ……でも、バニラホイップに完膚なきまで叩きのめされちゃって。それなのにアイドル対決する気でいたなんて、おかしいよね……私達、天狗になってた。知事選で勝ったくらいで、調子に乗ってたんだなぁって」

「う、うん。それは認めるよ。でも、努力していけば、きっとボク達だって」

「バニラホイップに追いつける?」

「多分……絶対ではないけど……」


 愛理は力なく首を振る。その表情は諦観の色が濃かった。


「私達、努力してきた。特にこの2週間は、バニラホイップとアイドル対決するんだって、いつも以上に頑張ってきた。けど、敵わなかった……」

「先輩。それでもそれでも。元気を……元気を出すのにゃ。元気がないと、アイドルは失格ニャ」


 朋世の慰めにも関わらず、愛理は憂いを秘めた眼差しをしていた。


「アイドル失格……そうね。そうかもしれない……」

「って。ちょ、ちょっとリーダー。何を? ――っ、まさか?」

「美砂、あのね……」


 愛理が神妙な面持ちで切り出す。それを美砂は黙って聞いた。


「アリスティーの活動は、当分停止しようと思うの……そうなると、アイドルじゃなくなっちゃうから、当然知事も辞めなきゃいけないけど……そうなっても、カティアさんの畑仕事も、マリーさんのパン屋さんで働くことも出来るし……」


 愛理は寂しそうに笑った。


 いつもの美砂なら「ふざけるな!」と激昂するところである。だが、彼女はそうしなかった。もうその気力すらも残っていなかったのだ。それどころか、逆に大好きなマリーの手伝いをしながら、普通のパン屋の娘になるのも悪くないのかなとも思ってしまっていた。


「……朋世はどう思う? アイドル活動を停止して、マリーさんとカティアさんのお手伝いさんに戻るのがいいことだと思うかい?」


 美砂は複雑な思いを秘めつつ尋ねた。


「朋世は畑仕事が大好きなのにゃ」


 朋世はカップを握った。だが、その手は小刻みに震えていた。やはり、アイドルに――アリスティーに思うところはあるのだろう。


「もうこの世界にいたくないな……」

「リーダー?」

「もう疲れちゃった。自分の家に帰りたい。ちゃんと自分のお布団で眠りたい……」


 愛理の声は震えていた。


「そうだね……今回ばかりはボクも少し疲れてしまったよ」

「美砂っち先輩、朋世もお家に帰りたいのにゃ。ここの暮らしは好きだけど、おじさんとおばさんに会いたい。ほんの少しだけ会って、ちゃんと挨拶をしたいの。せめて、お別れの言葉くらい言いたかったのニャ」

「でも……でもさ……」

 美砂は俯き、「でも、ボク達は日本に帰れない……帰る方法が分からないんだ」と漏らした。


 それきり、三人共言葉が出なくなってしまった。重たい沈黙の刻が流れていく。


 愛理はエスプレッソを飲みきり、カップを置き、立ち上がった。


「遅くなっちゃったわ。もう行きましょう。カティアさんが心配しちゃう」

「そう……だよね……」


 三人は席を立った。

 知事になった今でも、暇を見つけてアリスティーの面々は、カティアの家に帰っている。特に今日みたいな惨めな気分になったときは、無性にカティアに会いたくなるのだ。


 愛理は伝票を持ち、レジの前に立つ。そこで目を見開いた。


「もうこの世界は懲り懲り?」

「あ、アナタは……秋葉原のカフェにいたウェイトレスさん。一体、アナタは何者なの?」


 愛理の問いに答えず、ウェイトレスは質問する。


「もう日本に帰りたくなった? 知事もアイドルも全てを投げ出して」

「そ、それは……」

「でも、元々は貴方が『異世界に行きたい』って言ったんじゃない」

「そ、それはそうだけど……」


 愛理は言い淀んでしまう。


「朋世は……朋世は少しでいいから日本に帰りたいニャ。おじさんとおばさんにちゃんとあいさつしたいニャ」

「ぼ、ボクも……今は帰りたくなちゃったかな……ホームシックっていうか」

「そう。素直なことはいいことだわ。で、貴方はどうなの?」


 ウェートレスは愛理に視線を送る。


「もう疲れちゃった……アイドルも知事でいることも……」


 愛理は顔を覆う。涙が零れていた。


「それに、それにっ! 親友に裏切られた! あかりがバニラホイップに味方するなんて! 鳥谷さんの仲間になって、彼女のために曲を作っていただなんて!」


 リーダーとして気丈振る舞っていた愛理だったが、このカフェに来て以来、――いや、バニラホイップに敗北にして以来、気弱になっていた。ついつい弱音が口をついて出る。


「そう。なら帰りなさいな、日本へ」


 ウェイトレスがパチリと指を鳴らす。だが、何も変わらない。フローリング張りの落ち着いた木を主体にした内装のカフェにいるままだった。


「――て。なにも変わっていないじゃないか!」


 美砂は声を荒げる。


「フフ。外に出てみなさいな。そこはきっと貴方達にとって、懐かしい光景が広がっているはずよ」


 愛理はまさかと思い、店を飛び出す。美砂も朋世も後に続いた。


「嘘でしょ……」


 店の出口の扉一枚だけを隔てたところ。そこには懐かしい雑踏があった。行き交う人の流れは、トレビック国と違って慌ただしかった。

 山手線の高架線があり、UDXビルがあった。昭和通り沿いには、ラオックスにヤマダ電機。ここはまごうことなき秋葉原。


 アリスティーの面々は、見知った光景の秋葉原――即ち、日本に戻ってきたのだ。

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