第103話 階段下の会談
私の目の前にいたのは、会いたくて夢にまで見た人だった。無意識に彼の名前を呟いてしまう。
「アルフォンス様……」
アルフォンスのルイーゼを見つめる目がとても切なそうで、見ているルイーゼまで胸が締め付けられそうになる。
アルフォンスはルイーゼの両肩に手を置く。肩に触れる手がとても温かい。そして申しわけなさそうに告げる。
「ルイーゼ、ごめんね。心配させてしまったね」
絞り出すような声で紡がれた言葉を聞いて、喉の奥が苦しくなってくる。
(あ、泣きそう……)
これまで懸命に堪えていた何かが決壊しそうだ。せっかく会えたのに涙など見せたくはない。けれど懸命に堪えようとすればするほど、余計に喉の奥が苦しくなる。
ずっと会いたかった人が目の前にいる。なぜ階段の下なのかとか、なぜ最近会えなかったのかとか、どうでもよくなってしまう。いろいろ疑問はあるけれど、今はただ会えたことが嬉しい。
「無事でよかった……。その、寂しかったです……」
「ルイーゼ……。俺も会いたかった」
紡がれた言葉は、ただひたすらに切実で真っ直ぐで……。アルフォンスの言葉を聞いて跳びあがるほど嬉しくなってしまう。
突然アルフォンスに体を引き寄せられた。肩に置かれていた手が背中に回され、そのまま力強く抱き締められる。
ルイーゼは頭から湯気が出そうになる。ルイーゼを包むアルフォンスの体が熱くて戸惑ってしまう。触れた部分から熱と一緒に切ない思いが伝わってくる。
(恥ずかしすぎる……! でも……)
恥ずかしい気持ちもあったけれど、それよりも今はいつでも触れられる距離にアルフォンスがいることが只管嬉しい。だってずっと会いたかったのだ。
アルフォンスがルイーゼの肩に手を置いて、熱の籠った眼差しを向けてくる。瞳の中にルイーゼが映っている。アメジストの揺れる光がこれから起こることを予感させる。
そのままゆっくり顔が近付いてきたので恥ずかしくてキュッと目を瞑ると、唇に温かくて柔らかいものが触れた。
とても長く感じた。数秒だったのか数分だったのか分からない。しばらく触れていた温かい感触がゆっくりと離れていく。そしてルイーゼが静かに瞼を開けると目の前には未だ熱の籠ったアルフォンスの瞳があった。
「ごめん、こんな場所で……。会えたのが嬉しくて、ちょっと抑えきれなかった」
アルフォンスはそう言ってルイーゼの額に自分の額をコツンと合わせた。これほど近くでアルフォンスの顔をじっくりと見たことがあっただろうか。段々と顔が熱くなっていくのが分かる。耳まで熱い。
「いえ、嬉しいです……」
アルフォンスの言葉が嬉しい。ルイーゼを求めてくれていたのだと分かるから。嬉しい気持ちで満たされていく一方で、初めての口づけに心臓がバクバクと音を立てている。
前世から通して、初めての口づけ……。合計四十六年……ほぼ半世紀生きてきて初めての経験だ。でも今は初めてでよかったと心から思う。幸せな気持ちが胸に溢れてくる。
(初めての口づけがアルフォンス様でよかった……)
そんな感慨に耽りながらじっとアルフォンスの目を見つめていると、アルフォンスがゆっくりと額を離した。表情から徐々に笑みが消えていく。そして何やらつらそうな表情を浮かべている。
一体どうしたのだろう。変な味がしたのだろうか。レモンの味じゃなかったのだろうか。
「ルイーゼ、聞いて」
アルフォンスはルイーゼの両肩に手を置いたまま真剣な表情で口を開いた。ルイーゼがコクリと頷くのを見て、そのまま話を続ける。
「陛下にテレージア殿下との婚約を勧められた」
「っ……!」
予想はしていた。そうじゃないかと思っていた。でも実際に聞かされるのは堪える。やはり国王はルイーゼとの婚約を許可してくれなかったのだ。
今このときまで幸せで膨らんでいた気持ちが一気に萎んでいく。
「だが俺は拒否した。このまま強引に話を進めるならば王位継承権を放棄すると、そう陛下に宣言した」
「アルフォンス様……それは」
本来ならばそのようなことが許されるはずはない。けれどアルフォンスは以前ルイーゼに約束した通り、王族を抜けることになっても結婚するという言葉を実現しようとしてくれているのだ。
何があっても共に生きる……シンプルなことだけれど、アルフォンスの立場でそれを実現するのはかなり難しいことだ。
「ルイーゼのためなら全てを捨てる覚悟はある。だが俺が彼女との婚約を拒否したのには他にも理由があるんだ」
「理由?」
アルフォンスは大きく頷いた。理由とは一体何だろう。ルイーゼは思わず首を傾げる。そのままアルフォンスは話を続ける。
「……君には全て知っておいてもらいたい。少し話が長くなるが、いいか?」
「ええ、聞かせてください」
何を聞こうとアルフォンスを思う気持ちが揺らぐことはない。ルイーゼはアルフォンスの話す全てを受け止める覚悟を決めた。
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