第102話 さくさくアップルパイ

 真っ赤な顔でテレージアが気持ちを告げるのをルイーゼは呆然と聞いていた。そのとききっとルイーゼの表情はなくなっていたのではないかと思う。

 言葉にして聞かなくてもテレージアの表情を見ていれば分かる。恋する乙女は恋する乙女の表情が分かるのだ。例えテレージアの気持ちを知ったところで、アルフォンスのことを諦めるつもりはないけれど。


(私だって好きなんだけどな……。だけど、とてもそんなこと言えない)


 テレージアの気持ちを聞いておいて、自分の気持ちを伝えないのは卑怯かもしれないと思うけれど、とても言えそうにはない。例え婚約者候補だったとはいえ、傍から見れば王女さまと侯爵令嬢。どちらが相応しいかと言われれば答えは決まっている。しかも今は候補にも挙がっていないのだ。

 授業開始の鐘が響いて、教師が教室へ入ってきた。これ以上テレージアの話を聞くのはつらかったので丁度よかった。


「あ、そろそろ授業が始まりますね。テレージア様、今日も頑張りましょうね」

「ええ、ルイーゼ。お話を聞いてくれてありがとう」

「いえ……」


 ルイーゼはモヤモヤとする気持ちを放課後になるまでずっと持て余した。

 そしてようやく放課後。製菓クラブの時間になった。今日はアップルパイの仕上げだ。お菓子作りに集中することで朝からのモヤモヤが晴れるかもしれない。

 張り切っていつものスモックを身に着けて手を洗って調理台の前に立つ。


(ああ、ここに立つと心が洗われるようだわ……!)


 ルイーゼは調理台の上で大きく息を吸って……そして吐いた。


「よし、今日も頑張ろう!」

「よかった。ルイーゼ、元気になったみたいね」


 ルイーゼが調理台の前で深呼吸をする姿を見て、カミラが笑いながら声をかけてきた。


「カミラ……心配かけてごめんなさい」

「ううん、何か困ったことがあったらいつでも相談してね」

「ええ、ありがとう」


 カミラの優しい言葉に胸を打たれた。私はいい友達を持って幸せだと思う。私もカミラのように周囲に気を配れるようにならなければ。


 準備が終わったので、昨日冷蔵庫に入れていた生地を取り出して正方形に伸ばす。そして常温に戻して正方形に伸ばしたバターを生地で包む。完全にバターが見えなくなるように包んで合わせ目を指でくっつけていく。

 打ち粉を振った台に生地を置いて、麺棒で長方形に伸ばしていく。長方形になったら三つ折りにして九十度回転させて端をきっちり合わせて押さえて伸ばす。入り込んだ空気を竹串で潰す。伸ばして折る……これを二回繰り返したら固く絞った布で包んで冷蔵庫で冷やすのだ。

 再び取り出した生地に打ち粉をして三つ折りにしたものを伸ばして、最後に四つ折りして再び冷蔵庫へ。


 それにしても全くなんて手間のかかる工程なんだろう。何が大変ってやたらと待ち時間が長いのが問題だ。女の子同士でお喋りをしているからそれほど苦にはならないけれど。ようやくひと息吐きながら呟く。


「やっと生地が終わった……」

「アップルパイって大変なのね」


 カミラが冷蔵庫を見つめながら感想を漏らした。その通り、パイは大変なのだ。


「パイって手間がかかるのよね」

「そう? 工作みたいで楽しいけれど」


 カミラが楽しそうに笑って答えた。ルイーゼでは初めてだけれど前世ではよくパイを作っていた。だからルイーゼ自身はパイ生地作りに新鮮味はない。

 けれど経験のない部員たちにとっては、生地を折々する工程が楽しいのかもしれない。手間を楽しいと思えること……初心忘れるべからずだ。


(カミラには好きな人って居るのかしら……)


 カミラの色恋話は聞いたことがない。カミララブな少年は一人知っているけれど。誰か好きな人がいるのだろうか。今度聞いてみようかな。


 2回目に生地を寝かせている間に中身を作る。鍋に薄切りのリンゴと砂糖とレモン汁と水を入れて、リンゴが半透明になるまで煮る。

 パイ皿に寝かしたパイ生地を伸ばして敷いて、皿の縁で綺麗にカットする。そしてパイ皿の底のほうにフォークでプスプスと穴を開ける。これは焼くときにパイ生地が皿から浮き上がらないようにするためだ。


 最後に汁気をきった煮リンゴを入れて、余ったパイ生地を帯状に切ったものを格子状に並べて被せる。最後の飾りつけは皆それぞれで結構好き勝手にやっているようだ。

 表面に艶出しのために薄めた卵液を塗る。そしてパイ皿を乗せた天板をオーブンに入れる。この瞬間はいつもドキドキする。

 焼き上がってくると辺りにバターのいい香りが漂ってくる。


「わあ、いい匂い」

「バターの香ばしい匂いがするわね」

「リンゴの甘い香りもするわ。楽しみ!」


 ようやく焼き上がったアップルパイの乗った天板をオーブンから取り出した。パイ生地の間に何層にも挟まっていたバターが溶けて綺麗な薄いパイ皮を作っている。誰が最初に考え出したのか分からないけれど、パイは芸術品だと思う。

 焼き上がったパイの表面にアプリコットジャムを塗ったら、てらてらと艶やかなアップルパイの出来上がりだ。


「わ……美味しそ……」

「これ、どうやって切るの?」


 ――そうだった。パイって、すっごく切り分けにくいのよね……。


「んー、包丁を限りなく垂直に突き刺すようにして少しずつ切っていくしかないわね」


 パリパリの格子の飾りがボロボロに崩れていく。


(ああ、やっぱりボロボロになっちゃった……。でもサクサクしてるんだから仕方ないわね)


 生地が全く水分を吸っていない焼き立ての状態で切ると、大体ぼろぼろになってしまう。これはアップルパイのお約束だ。でも焼き立てはサクサクでじゅんわりで美味しいのだ。

 どうにかこうにか切り分けて皿に盛り付ける。いよいよ実食だ。

 フォークで上手く一口大に切って口に運ぶと、濃厚なバターの香りが鼻に抜ける。少し塩気のあるパイ生地に甘酸っぱいリンゴの風味が堪らない。


「うう……最高です」

「感涙ものね」

「私、今までで一番好きかもしれない……」


 部員たちが口々に感想を漏らした。確かに文句なく美味しい。皆パイの欠片を口の周りにつけながら、夢中になって食べている。とても幸せそうな笑顔だ。

 このアップルパイをアルフォンスにも食べさせたい。甘いものが大好きだからきっと喜ぶと思う。

 会えるかどうかも分からないのに、なんとなくアルフォンスとオスカーの分を包んで持ってかえることにした。


 クラブが終わって学園を出ようとすると、突然後ろから腕を引っ張られて階段の陰に連れ込まれた。あっという間の出来事で混乱して恐怖に身を竦ませる。

 恐る恐る後ろを振り返って相手を確認してみる。そして驚いてしまった。そこにいたのは思いがけない人物だった。




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