第84話 華やかな売り子たち


 準備が終わったあとしばらく待っていると、露店の前に次第に人が集まってきた。焼き立てのパンの香りが辺りに漂っている。芳醇なパンの香りが人を惹きつける一方で、煌びやかな売り子たちの外見はかなり人目を惹きつけるようだ。

 アルフォンスは眼鏡と帽子を身に着けているものの、その王子様オーラをいかんなく発揮して道行く女子を虜にしていく。


「こんにちは。あのぉ、よかったらお兄さんのお名前を教えてくれません?」

「こんにちは。うちのパンを買ってくれたら教えてあげるよ」

「買います!」

「ではこちらへどうぞ」


 王子様オーラ恐るべし。試食要らずである。そしてこの世界の女子も逆ナンするのだなと思わず感心してしまった。アルフォンスは女性たちには『アルフ』と名乗っていたようだ。

 アルフォンスの魅力に惹きつけられた女性たちも、パンを買って帰って食べてくれたら、きっと『ロイのパン屋』の固定客になってくれることだろう。パンの味にはそれくらい自信がある。そして今からアルフォンスの周りにいる女性たちが一気に買いにきそうな気配だ。忙しくなる予感に改めて気合を入れ直す。

 アルフォンスと同じように試食の皿を持って立っているオスカーも、なかなか頑張っているようだ。


「いらっしゃいませ。パンはいかがですか? 甘くて美味しいですよ」

「まあ、可愛い売り子さんね」

「このパン、クリームパンっていうんです。中に甘いクリームが入ってるんですよ」

「へえ、聞いたことがないわ。……ん、甘くて美味しい! 一ついただくわ」

「ありがとうございます、お姉さん。お買い上げはあちらでお願いします」


 大人の美女のお客さんがお買い上げです。オスカーに上目遣いで接客されたら一溜まりもないだろう。姉の私ですらクラッとくる可愛さなのだから。オスカーはいつの間にそんな高等技術を覚えたのか。お姉さんはそんな子に育てた覚えはありません。

 ローレンツは露店の奥で商品の補充をしてくれているだけなのだが、やはり人目を引くようで……。


「あの、お兄さん。パン屋さんの方ですか? そのパン、試食させてもらえませんか?」

「え、試食ですか? では口を開けてください」

「えっ!? あ、あーん」

「はい、どうぞ。……美味しいですか?」

「おいひぃでふ! このパン買いまふ!」

「ありがとうございます」


 何? 天然? 天然なの?

 試食させてもらえませんかと言われて、自然に口にパンを入れてあげる流れが爽やかすぎておかしい。極めつけは最後の貴重な笑顔だ。ローレンツにあんなことされたらルイーゼも嬉々としてあーんする自信がある。

 イケメンパン屋……前世なら間違いなく鼻血を噴出していただろう。全員から買うために絶対に最低でも三回は並び直すと断言できる。


「お姉さん、可愛いね。パンちょうだい」

「ありがとうございます! セットでのみ販売となりますので組み合わせをお選びください」

「うーんとね……」


 ルイーゼに声をかけてくる男性客も多い。その度に他の三人がちらちらこちらを見る。危ない人に絡まれないように注意してくれているのだろうか。

 女性客ばかりになるかと思ったが、案外男性客も来てくれる。男性客は大体直接店先へとやってくる。ニコリと笑って対応すると、若い男性客は顔を赤くしてしまう。喜んで買ってくれているようでとてもありがたい。

 とはいえ、アルフォンスやオスカーが案内してくれた女性客と合わせると、とても一人では捌ききれない。そんな状況を見かねて横にいるローレンツがパンを包んでくれるので、とても助かる。

 そうこうしているうちに昼前にはパンがなくなりそうになった。


「店舗のほうから補充用のパンを持ってきますね」


 そう声をかけると、ルイーゼの言葉を聞いたオスカーが答えた。


「あ、僕が行きます。売り子が少なくなると捌ききれなくなりそうなので」

「ありがとう。じゃあ、お願いするわ」


 オスカーは客の対応をしながらも露店の状況を見ていたのだろう。自ら補充を申し出てくれた。

 とはいえ、試食して気に入った客の一部が二セット目を買うために『ロイのパン屋』へ向かったので、それほどたくさんは補充できないかもしれない。クリームパンと芋アンパンそれぞれ百個に加えて、それ以外のパンも二百個以上は作らなくてはならなかった。売り上げだけを考えればもう少し多めに準備できればよかったのかもしれないが、ニコラとロイ二人でのパン作りではそのくらいの量が限界だろうと考えたのだ。


 オスカーが戻ってパンの補充を終えて、昼の三時くらいには品切れとなった。思ったよりも早く売れたのでほっとした。試食をしてくれた客にはどちらのパンも軒並み高評価で、パンの中にクリームや芋餡が入っているというのが新鮮だと喜んでくれた。

 明日からは店舗で販売する旨も全ての客に伝えておいた。ロイに書いてもらった紙袋の地図が役に立ちそうだ。


 露店での販売中、『サンブレッド』による妨害を警戒していたが特に何も起こらなかった。もしかしたら客の中に従業員が紛れていたのかもしれないが、忙しかったのもあって全く気付かなかった。

 昨日『サンブレッド』がやっていた無料引換券のチラシを今日も配っていたようだった。だが、クリームパンと芋アンパンのインパクト、そしてそこにイケメンパワーが加わったことで、『サンブレッド』の策略は全く問題にならなかったようだ。うちの露店の客足が途絶えることが一切なかったからだ。

 今日『ロイのパン屋』と『サンブレッド』のパンの両方を買った客がいれば、食べ比べてその味の差を実感することになるだろう。二つの店のパンの味の差はそれほどまでに歴然としている。よほどの味音痴でない限り、不味いパンにお金を払う価値がないと理解してくれることだろう。


 露店を畳んだあと、全員で『ロイのパン屋』へと戻った。アルフォンスとオスカーとローレンツ用に、合計三セットのパンを取り置きしてある。ニコラが三人にお礼を告げたあとバイト代……売り子の給金を支払おうとしたら、三人とも断固として拒否した。

 ルイーゼがアルフォンスとローレンツにそれは申しわけないと言うと、アルフォンスがニコリと笑って答えた。


「ルイーゼが今度一緒にお茶を飲んでくれるだけでいいよ」

「では私もぜひご一緒させてもらいます」

「……別々に予定を組んだほうがいいよね」

「……そうですね」


 ルイーゼにとっては別に一緒でも構わないのだが、アルフォンスとローレンツのいいように従おうと思う。それにしても、二人ともにこやかに会話をしているのに冷ややかな空気が流れているような気がする。うん、多分思い過ごしだろう。

 ともあれ今日は無事に終わってよかった。明日からしばらくの間、来客数をロイにモニターしてもらおう。

 屋敷に帰ったあとテオパルトから『サンブレッド』に関する意外な情報を聞くことになるのだが、後片付けを終えたばかりのルイーゼはまだ知る由もなかった。




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