第78話 閑古鳥


 アードルフと話した夜、ルイーゼはテオパルトに事の成り行きと『サンブレッド』の思惑を伝えた。そして『ロイのパン屋』の借金の返済処理についても頼んだ。テオパルトは腕を組んで呆れたような表情を浮かべたまま、ルイーゼを見て溜息を吐く。


「まったくお前というやつは……。あれほどアードルフとは直接会うなと言っておいたのに」

「申し訳ありません、お父様。平民に扮してパンを買うだけのつもりだったのですが、アードルフさんの蛮行を見逃せなくて、つい……」

「分かった。今後は危険なことに首を突っ込むな。『サンブレッド』の内部事情についてはこちらで調査しよう」

「お父様、あの、『ロイのパン屋』へ明日もう一度様子を見に行きたいのですが……」

「……」


 テオパルトに恐る恐るそう告げると、テオパルトから向けられた眼差しが一層冷たくなった。ああ、予想通りの反応だ。


「ロ、ローレンツ様がしばらくおつきあいくださるそうです。ですから危険なことにはならないかと思います……」

「ルイーゼ……」

「様子を見てくるだけですから……お願いします!」


 お金を貸してそのまま放置する気にはなれなかった。ヴィマーという者が何を仕掛けてくるか分からないのに、ニコラさんとロイじゃ何かあったときに太刀打ちできないと思ったのだ。ルイーゼが加わったところでたいした戦力にはなれないかもしれないが、知恵を貸すことくらいはできる。甘えるようで悪いが、ローレンツという強い味方もいる。


「仕方ない。バルテル殿にはいずれ改めて礼をせねばなるまい。ところでルイーゼ」

「はい」

「お前は仮にも殿下の婚約者候補なわけだが、バルテル殿とは、その、特別な仲なのか?」


 特別……きっとテオパルトは恋人同士かどうかを確認しているのだろう。ローレンツは確かに特別な友人だ。だが別に異性として好意を寄せられているわけではないし、ルイーゼも特別な感情はない。多分。

 確かにイケメンだし、前世では二番目の推しだったし、優しくて強いし、全く胸がときめかないというわけではないが。いや、はっきり言って助けてもらったときは結構ときめいたが。


「ローレンツ様は友人です。純粋な親切心で助けていただいたのです。私なんかと特別な仲なんて、彼に失礼ですわ」

「いや、男というのはだな……。あー……まあそういうことにしておこう。くれぐれも一人で街を歩かないようにな」

「承知しました」


 とは言っても、騎士服を着たローレンツと一緒に歩くならば、平民に扮することは難しいだろう。イケメン騎士を従える平民などいない。敵の動向を探るのに貴族として街を歩きたくはないのだが……。


 §


 翌日の放課後、学園を出る前に暗緑色のワンピースに着替え、平民に見えるように身なりを整えた。今日はローレンツと待ち合わせてから町へ向かう予定だ。

 しばらくして待ち合わせの場所へ来たローレンツをひと目見て驚いた。ローレンツも平民に見えるように地味な服装を着ていたからだ。帯剣もしていない。だが服装は地味なのに、長身でイケメンなのでとても目立つ。


「ローレンツ様、その、お言葉ですが、ローレンツ様は見目がよろしいからなんだか目立ちそうですわ」

「ルイーゼ嬢、その言葉、そのままお返しします」

「え、どうしましょう……。あまり目立ちたくはなかったのですが」

「まあ、考えても仕方がないので行きましょう。今日は間者のようなことをするわけではないのでしょう?」

「ええ、パンを買いに行くだけですわ……多分」


 そのまま馬車で『ロイのパン屋』へと向かった。馬車を降りて店の入口の扉を開けて中へ入る。


「あら、ルイーゼさん、ローレンツ様、いらっしゃいませ」

「こんにちは、ニコラさん」


 迎えてくれたニコラの表情がどことなく曇っている。なんだか声にも元気がない。どうしたのか尋ねようとしたところで店内の異常に気付く。陳列棚にパンがたくさん並んだままだったのだ。この時間帯はいつも数えるほどしか残っていないのにこの量は……。


「ニコラさん、一体どうしたのですか?」

「実は今日お店にお客様が二人しかおみえになってないのです」

「ええーーっ」


 客が来なくてパンが売れ残っていたようだ。一体なぜ急にそんなことになってしまったのだろう。不思議に思って考え込んでいると、ニコラが話を続けた。


「先ほどロイが、原因を調べてくるって店を出ていって……あっ、戻ってきましたわ」

「ただいまっ! あっ、ルイーゼ、ローレンツ様、いらっしゃい」

「こんにちは、ロイ。今事情を聞いたのだけれど……」

「うん、それなんだけど……お客さんが来ない原因が分かったよ」

「え、それって」

「この通りも、広場も、大通りも『サンブレッド』のチラシでいっぱいなんだ。通りの入口で店員さんが大量に配ってる。これ見て」


 ロイは手に持っていた紙切れのようなものをカウンターに載せた。そのチラシのような紙にはこう書いてあった。


『どこよりも安くて美味しい『サンブレッド』のパンをお買い上げの方に、翌日パンを一個プレゼントします。引換券はご購入の際にお渡しします。期間限定』


 そのチラシを見て、意外にも正攻法で攻めてきたなというのが正直な感想だった。これはつまり一個分の値段で二個のパンを買えるということになるが、翌日のパンと引き換えというところがポイントだ。客は二個のパンを得るために二日続けてパン屋へ行かなければいけない。パン屋へ行けば、パンを貰ったついでに、また引換券欲しさにパンを買う可能性が高い。なかなか上手い商法だと思う。

 ただ気になるのは、なぜそこまで原価を安く抑えることができるのかという点だ。パンの原価についてロイに尋ねてみる。


「ロイ、ここのパンの値段って半分に下げれるものなの?」


 するとロイはフルフルと首を左右に振った。


「ううん、うちのパンに限って言えば、これ以上下げると利益がなくなっちゃう。結構ぎりぎりなんだ。父さんがなるべく多くのお客さんに食べてほしいって、最初から値段を低めに決めたから」

「そう……。じゃあやっぱりおかしいわね。『サンブレッド』の店舗の大きさと立地、そして店員の数を考えると、半額でパンを売るなんて赤字もいいところだと思うわ」


 このまま客足が遠のけば『ロイのパン屋』は潰れてしまう。『サンブレッド』は何らかの理由で原価を安く抑えているに違いない。昨日食べたあのパンの味を考えると、粗悪な素材を使っている可能性が高い。そんなパンに、品質を落とさずに価格で勝負するのは厳しい。かといって赤字を出すべきではない。一体どうすればいいだろうか。


「価格で勝負できないなら……」

「……?」


 ニコラ、ロイ、ローレンツ、三人の視線が顎に手を当てて考え込むルイーゼに集中する。


「このパン屋でしか食べられないパン、人々を魅了するパン……」

「ルイーゼ……?」


 ロイが不安そうな眼差しでこちらを見て首を傾げる。ルイーゼには初めてこのパン屋に来てから気になっていたことがあった。そして試してみたいことがあった。


(価格で勝負できないなら味で勝負するしかないわよね!)


 ルイーゼはその場で固唾を飲んで見守る全員にニッコリと微笑んだ。




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