第36話 不可解な反応
アルフォンスとランチをとった日の放課後のこと。保健室でシャワーを借りていたせいで、製菓クラブへ行く時間にはだいぶ遅れてしまっている。スモックを取りにカミラの教室へ向かう途中、特に誰とすれ違うこともなかった。
だが教室に到着してみると、中にはまだ何人かの男女が残っていた。カミラは教室の中をつかつかと歩き、ルイーゼを自分の席まで連れていく。そして自分の荷物の中から洗い立てのスモックをてきぱきと取り出し、それをルイーゼに渡した。
「さあ、これを着て」
「ありがとう」
カミラからスモックを受け取って制服のシャツの上に手早く着用する。するとスモックを着用する様子が珍しかったのか、気付けば教室中の視線がルイーゼへと集まっていた。そしてよく見ると、口をあんぐりと開けている者や、顔が赤い者までいる。もしかして何か恥ずかしい所でも見えているのだろうかと思い、思わず自分の全身を確認する。だが特に問題はないようだ。周囲の反応の意味が分からず不思議に思う。
教室の中に、いつかルイーゼとすれ違ったあとにルイーゼを嘲笑していた男子生徒の姿を見つける。その男子生徒たちをじっと見ると、ぎょっとしたように一瞬目を丸くしたあと、顔を赤く染めて締まりのない表情を浮かべた。男子生徒たちの表情の意味が分からず、思わず首を傾げる。
「カミラ、私何かおかしいかしら……」
「え?」
「だって何だかじろじろ見られてるような気がするの……。はっ! もしかして縦ロールも化粧もしていないから酷く貧相に見えるんじゃ……」
そんな想像を言葉にして告げると、カミラが呆れたような顔で答える。
「えーっと、貴女のその美の基準がどこから来ているのかは分からないけど、別に貧相でも恥ずかしくもないわ。心配しなくても大丈夫よ。きっと皆の反応はそういうんじゃないから」
「えっ、そうなの?」
「ええ、ルイ……そろそろ行きましょう」
「……? え、ええ」
カミラがなぜルイーゼの名前を呼ばなかったのか分からなかったが、カミラの教室に残っていた学生たちの絡みつくような視線から逃れるように、教室から出た。一体何なのだろう、学生たちの反応は。学生たちの様子を見て一瞬、素顔だから可愛いという印象でも持ってくれたのかしらと思ったりもした。だがよく考えればやはり可愛いと思ってくれたわけではないと思うのだ。
ルイーゼは、以前エマに自己評価が低いと言われた記憶がある。確かに自分的には素顔の姿は美少女ではないかと認識はしている。だが、ルイーゼの認識はあくまで前世を含めた自分という個人が、『ルイーゼ』というキャラクターの容姿を見て抱いた主観的な感想だ。これまで可愛いと言ってくれたのは、両親とエマと他数人の使用人くらいだ。そして身内の『可愛い』ほど当てにならないものはないと思っている。
一方で幼いころからずっと、身内以外の人間に可愛いと言われた経験は一度もないのだ。十一才くらいで派手な装いになってはいたが、今までの他人の評価を考えれば、評価がいきなり正反対に覆るとはとても思えなかった。
ともあれコスプレがないならないで、これほど心許ない気分を味わうとは思わなかった。前世の美的感覚からすればいつものケバい格好があり得ないことは分かっているのだが、もはやコスプレがないとなんだか丸裸で学園を歩いている気分になる。縦ロール依存症なのだろうか。
「カミラ、どうして名前を呼ぼうとして止めたの?」
「え、だって、万が一にでも貴女の姿の噂が名前付きで殿下に伝わるといけないと思ったのよ。婚約者になりたくないのでしょう?」
「え、ええ」
ルイーゼの問いに対してカミラが冷静に応えてくれる。なるほど、と一旦納得するも、もう見られている者にはルイーゼの素顔がばれていると思うのに、名前を隠す必要があるのかしらと疑問に思う。
そんなことを考えながらカミラと一緒に渡り廊下を歩いていたら、中庭が見える辺りで、先程ルイーゼが水を被った場所に立って、周囲をきょろきょろと見渡しているモニカの姿を見つけた。
「あら、モニカさん、何をしているのかしら」
「……本当ね」
カミラが遠くから不思議そうにモニカの挙動不審な様子を見て口を開く。もし予想通りならモニカの行動の理由はなんとなく分かるのだが、証拠がないので黙っておく。そのまま様子を見ていると、モニカはこちらに気付いてルイーゼを見た途端目を瞠る。そしてつかつかとこちらへ近づいてきて、モニカがカミラに尋ねた。
「ねえ、カミラさん。ルイーゼさんを見なかった?」
「「はい?」」
そんな予想外なモニカの問いかけに、思わずカミラと同時に聞き返してしまう。どうやら目の前にいるのがルイーゼだと気付いていないようだ。そんなモニカに恐る恐る手を挙げて名乗りを上げる。
「あの、私、ルイーゼですけど」
「は? はあぁーー!?」
モニカはルイーゼの名乗りに一度スルーしかけて、再び慌ててルイーゼを凝視し、酷く驚いたようだ。
「う、嘘でしょ……」
「何?」
「……悪役令嬢のくせに、普段あえてあの格好なの? なんて嫌味なやつ!」
愕然としたあとそう吐き捨てるモニカに、カミラが聞き捨てならないとばかりに苦言を呈する。
「モニカさん、貴女、少し失礼が過ぎるのではなくて? はっ! もしかして貴女がルイーゼに水を?」
「な、なんのことかしら? 私は水なんて捨ててないけど?」
そんなふうに白を切るモニカだが、お気づきだろうか。完全に語るに落ちている。
「誰も水を捨てたなんて言っていないわ。このことは貴女のクラスの先生に報告させてもらいますからね」
「な、な……! 言いがかりは止めてちょうだい! 私は失礼させてもらうわ!」
真っ直ぐに背筋を伸ばしたカミラにビシッとそう言われて失言に気付いたのか、モニカが真っ赤になって言葉を詰まらせてしまう。そして最後までしらを切り通して目の前から立ち去ってしまった。
「本当に仕方のない人ね……。殿下のことで貴女を妬んでいるのかしら。貴女何か思い当たることある?」
「あー、あるようなないような……」
もしかしたらモニカはルイーゼが殿下とランチをとった事実を知っているのかもしれない。それならば嫌がらせの行動の動機にも説明はつく。あくまで憶測だが。
そんなモニカの背中を見送りながらはっと気が付く。クラブの時間に随分と遅れてしまっている。モニカのことはこれ以上考えても仕方がないので、そのままカミラと一緒に学舎の廊下を歩き続ける。
それにしても、カミラの教室を出てから廊下で何人もの学生とすれ違ったが、その度にじろじろと見られる。そして学生たちの中には赤くなる者までいる。最初は自分が毛を刈られたアルパカみたいになっているからなのかと思っていたが、ルイーゼはようやく気付いた。恐らく廊下をスモック姿で歩いているのが原因だと。そう考えると合点がいく。そんなことを考えながら調理室へと急いだ。
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