第十三章 何者でもないわたし(2)答えを知りたくて

 出発の日、逢川家の前に『総合治安部隊』の灰色のセダンがやって来た。運転しているのは安喜少尉だ。


 いつになく大荷物を背負って家を出たリサに、庭掃除をしていたリサの母が声を掛ける。


「あら、リサ、どこかへ行くの?」


「毎日言ってたじゃない。日本を出るんだよ」


「そう。大変ね」


 リサの母は最後まで、この調子を崩さなかった。



 リサは車のトランクに荷物を入れる。ベルディグロウはそれを手伝うために車から一時的に下りて、リサの荷物を受け取ったり、トランクを閉めたりといったことをしていた。


 リサが助手席に乗り込んだのを見届けると、ベルディグロウはリサの母に言葉を掛ける。


「母上殿、娘さんをお預かりいたします。元はといえば、私の用事に同行願ったのが最初なのです」


「あらあ、そうなんですね」


「こちらの国では、少なからずご面倒をおかけするかと」


「大丈夫ですよ。リサは賢い子――もう立派な大人なので」


「それで……、失礼でなければ、ひとつお伺いしても?」


「ええ」


「もしや、ご息女はアーケモスの出身なのでは? この国に滞在して観察したところ、日本人で、あの深い緑の瞳の色は極めて少ないと思うのですが……」


 リサの母はしばらく思案すると、ひと言だけ答える。


「あの子の目、そんな色をしているのねえ」


「ええ」


「そんなこと、考えたこともなかったわ」


++++++++++


 有明のターミナルまでつくと、ベルディグロウとフィズナーが船に乗る。ふたりとも、『総合治安部隊』を通した、きちんとした事前申請により、武器の携帯を許可されている。


 最後にリサが船に足を掛け、振り返り、見送りの安喜少尉に言う。


「じゃあ、安喜さん、行ってきます」


「逢川さん、ちょっと」


 呼び戻されてしまったので、リサは安喜少尉の元へと近づく。


「なんですか」


 すると、リサは安喜少尉に抱きしめられる。強く。暖かく。ありとあらゆる思いを込めて。


「過酷な運命に巻き込んでしまって、ごめんなさい。でもどうか、忘れないで。ここには、あなたのことを本当に大切にしている人が待っているのだから」


 リサは、すごくむず痒い気がした。でも、悪い気はしない。こんな風に大事にしてもらえるのは、初めてだ。親にだって、してもらったことがないように思う。


「ありがとうございます。安喜さん。そのこと、忘れません。星芒具、持って行っちゃうので、ご迷惑が掛かると思いますけど」


 安喜少尉は首を横に振る。


「いいの、そんなこと。書類でどうにでもできるから。そんなことより、気をつけて。無事に帰ってきて」


「わかりました。行ってきます」


 リサは手を振りながら、ふたたび船に乗り込む。


++++++++++


 船が出航した。見る間に、見送りの安喜少尉の姿が小さくなっていく。


 戦乱渦巻く、剣と魔法の大陸、アーケモス。本当は魔法ではなく、空冥術なのは脇に置いておくとして。


「アーケモス、どんなところなんだろう」


 リサが外海に向かってそう言うと、フィズナーが茶化す。


「なんだ? 初めて国を出るから、不安なのか?」


「ううん」


 リサは首を横に振る。


「わたしの知らないことが、きっとたくさんあるんだろうなって、いまは楽しみが勝ってる」


 それを聞いて、フィズナーは笑いながらふっと息を吐く。


「たいしたもんだ。まあいい。俺や旦那がいるんだ、どーんと任せろよ」


「うん。期待してるよ。フィズ、それから、グロウ」


 そう真っ直ぐに返されると、フィズナーのほうが恥ずかしくなってしまう。話を聞いていたベルディグロウは、ただ無言でうなずく。


 フィズナーは欄干にもたれると、つぶやく。


「ほんとこいつ、裏表とかないんだよな」


「なーにー? エンジン音で聞こえない」


「聞かなくていい」


 

 三人を乗せた船は北上し、これから八日の旅程となる。飛行機便がないため、これが国を渡る唯一の手段だ。


 様々な疑問の答えが、アーケモスにある。


 リサはその答えが知りたくて、たまらなかった。人は、世界は広いと言う。どこまで広いのか、いまからこの目で見に行くのだ。

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