第十一章 日常への憧憬

第十一章 日常への憧憬(1)大事なもの

 十四月末。もうすっかり年の瀬だ。


 学校も終業式を終え、いまは冬休み。大泉ゆめ商店街からは四ツ葉高校の学生服姿の生徒たちの姿は消えたが、代わりに正月のための買い物をする客で賑わっている。


 リサは自転車を押しながら歩く。ノナはそれについてくる格好だ。


「おおー。あんな大きなエビ、買ってる人、初めて見ました」


 ノナが驚いたように、また面白がるようにそんなことを言った。


 九五年までの日本には四季があり、年の瀬――十二月末といえば、これからどんどん寒くなっていくさなかだったという。冬には冬の料理があり、また、収穫される農産物も魚介類も異なったという。


 だが、いまの日本はどうだ。一年でもっとも寒いのは八月から十月だ。かつて夏や秋と呼ばれた月こそ、いまでは真冬と呼ぶにふさわしい。


 現在、年の瀬の十四月は、昼間の平均気温が十度を超えることがあるようなくらいだ。これから二月頃へ向けて、少しだけ暖かくなっていく。


「いまじゃあ、食料は概ね輸入だし、季節感ある食べ物とか、本当はないんだけどね」


「ないんですか」


「ノナも知っての通り、食料の多くはオーリア帝国からの輸入か、遠洋漁業。昔は季節ごとに美味しい食べ物があったらしいんだけどね」


「シュークリームよりも美味しいものがあったんですか?」


「いや、そういう感じのものではなく」


 商店街の中では、「もういくつ寝ると」という定番の正月ソングが流れている。餅つきに羽根つきに初詣。正月には楽しいことが目白押しだ。……実際リサは、初詣以外は齢一桁のときにやったのが最後だったが。


 魚に肉、豆腐に野菜と、鍋の料理をたくさん買い込んでいく。


「これだけあれば、鍋パーティーも大丈夫ですかね」


 ノナはそう言った。リサが押す自転車のカゴには、すでに食材が山盛りに載せてある。


「まあ、このくらいは最初の第一弾、第二弾で終わりかな。みんなにも少しずつ買ってきてもらうし、それで大丈夫だよ」


 きょうは逢川家で鍋パーティーだ。参加するのは、アーケモスの面々と安喜少尉、それからザネリヤだ。淡路、岸辺、天庵は別用があって来られない。


「それにしても、鏡華さんが来られないのは残念です」


「まあ、ね」


 それは、ラミザが来るからだろう。ラミザはこのところ、目立った動きを見せていない。シデルーン総司令が亡くなったいま、外交特権を盾に日本に留まり、『黒鳥の檻』絡みの事件であると主張して『総合治安部隊』に出入りしている程度だ。


 鏡華は明確にラミザを避けている。だが、その理由は語られない。おそらく、先日の誘拐未遂が関係しているのだろう。だが、疑わしきは罰せずだ。


「あーっ、あそこに変なニョキニョキがあります」


「ニョキニョキ?」


 ノナが指さしたその先には、門松が並べられていた。竹を立てて斜めに切った、典型的な正月飾りだ。この時期の商店街にあって不思議はない。だが、ノナにとっては異様な代物だ。


「ノナ、あれは門松だよ。伝統的な価値観のある家では、あれを門の前に飾るんだ」


「リサさんの家では飾らないんですか?」


「うちは……まあ、そのあたりはしっかりしてないから。でも、小さなしめ縄くらいは飾ろうかな」


「なんで竹なのに門松なんですか?」


 なかなか難しい質問だ。


「なんでだろう。昔は松だったのかな。それがいつの間にか竹に変わったとかさ」


「いつの間にか変わるものなんです?」


「どうなんだろうね。あとで調べようか?」


「うーん、むしろ、わたしたちで門竹って言葉を流行らせません?」


「それ相当、難しくない?」


 リサはお腹を押さえて笑った。



 商店街を抜けると、リサは自転車にまたがり、ノナは後ろの荷台に座った。二人乗りの自転車が、住宅街を駆けていく。


 死闘のない日々。


 陰謀のない場所。


 くだらない話をして、笑い合える時間。


 正義のために殉じる覚悟なんてものは、ここにはまったくなかった。あるのは、あとで遊びに来る友達のために食材を買っておくことだけ。その食材だって、めいめいが持ってくるから、どうせ余るだろうと思っているくらいだ。


 危険のないミッション。


 失敗のないオペレーション。


 軍事用語とは無縁の、等身大の、人間の、若者の、日本での当たり前の暮らし。


「……おかしいな」


 リサはつぶやいた。足は自転車のペダルをこぎ続けている。風が不思議なほどに心地よい。


 依然として、青山地区には魔竜カルディアヴァニアスが鎮座していて、連日ニュースで報道されている。だというのに。


 遠くでザネリヤが手を振っている。彼女もビニール袋を提げている。入っているのは酒だろう。らしいといえば、らしい。


 ザネリヤがいたのは逢川家の前だ。リサはそこで自転車を停める。ノナが荷台から下り、リサは自転車の後輪のスタンドを立てる。


「リサ、大丈夫?」


 そう、ザネリヤに言われて、リサは不思議に思った。大丈夫と聞かれなければならないようなことは、なにもないはずだからだ。


「え? なにが?」


「涙」


「え?」


 リサは自分の顔に両手を当てる。ザネリヤの指摘の通り、顔は涙で濡れていた。泣いていたつもりなんて、これっぽっちもなかったのに。


「ああ……」


 リサは、なにかを言ったつもりはなかった。ただ、胸を締め付ける思いが、肺を圧迫し、声となって絞り出した音だ。


「そうか、わたし……」


 リサは理解した。ノナもザネリヤも、心配そうな目で彼女を見ている。


「こんな、怠惰な日常だと思ってたものが、こんなに大事だったなんて知らなかった……」


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