第九章 サニーサイド常夏パーク(3)山葵

 その日の夜は、ごちそうだった。


 畳張りの広間に、大きな座卓ローテーブルが置かれ、そこへ並べられていく旅館的日本食。


 炊きたてのごはんにお吸い物、天ぷら、茶碗蒸し、そして卓の中央にでかでかと鎮座する刺身の舟盛りである。


「おー、これはこれは」


 嬉しそうに着席する安喜少尉。彼女は一番奥の席に座った。リサはその隣に、そして自然にラミザはリサの隣に位置取る。


 すでに、この時点では、全員、温水プールから上がってからシャワーを浴び、浴衣に着替えている。


 早速、下座の差し向かいで、岸辺が天庵に瓶ビールをつぎ始める。


「さあさあどうぞ。……あれ、お坊さんはお酒を飲んではいけないのでしたっけ?」


 黄金色の液体を小さなグラスに注ぎつつ、岸辺はそんなことを問いかける。しかし、天庵は笑って済ませる。


「なに、現代日本ではそこまでこだわらんよ。むしろ岸辺殿こそ、食の禁忌はないのですか」


「いえいえ、僕は日本生まれの日本育ちですから。シヴァ神だって大黒天になるような国ですよ。誰も気にしません」


 リサはそのあたり、いままで無頓着だったが、南アジア人の血を引く岸辺が宗教上の理由でなにかを食べられなかったとして、それは不思議なことではない。


 だが、どうやら岸辺は日本に順応することを選んだらしい。選んだのか、自然にそうなったのか、そのあたりは不明だが。


 そんな岸辺は、天庵の隣に座している淡路にもビールを注ぐ。



 目の前の刺身盛り合わせに視点を戻したところで、リサは、アーケモスから来た人間がこれらを食べられるかどうか、心配になってきた。


 船の形をした大皿の上に見事に並べ、飾られた刺身を見て、隣に座っている浴衣姿のラミザがリサに訊く。


「リサ、これ、全部食べられるのよね」


「うん」


「リサは全部食べるのよね」


「うん」


「じゃあ、わたし、食べるわ」


 ラミザはそう言うと、猛然と刺身を取っていく。マグロ、ハマチ、イカ、……片端からひとつずつだ。逡巡の暇もない。


 そういえば、文化祭のときも、たこ焼きを臆することなく食べていたなあと、リサは思い出す。


「あ、ラミザさん、お醤油つけてね。あとワサビも」


「えっと、これね」


「あっ、ワサビが多い。減らして減らして」


「なんだかこれ、食べると涙が出るわ。緑色なのに」


 以前、抹茶白玉あんみつパフェを食べたときに、緑色は甘いものと誤学習したラミザの完敗だった。


「かたまりで行っちゃダメだよ、ラミザさん。それはちょっとした味付け用だと思ってもらえばいいから。お茶飲んで、お茶」



 対するフィズナーは刺身の盛り合わせを見て、眉根にしわを寄せる。彼は座ると、すぐさまビール瓶を取り、自分でグラスに注ぎ始める。


「俺、この生魚はだめなんだ。その分、好きに飲ませてもらう」


 だが、フィズナーの隣のベルディグロウはさっと刺身を取っていく。


「なんだ、お前は漁村のほうの任務には就いたことはないのか。新鮮な魚は生で食べられるぞ」


「あいにくと、生まれも中央都市なら、戦場も内陸だったさ」


 フィズナーはそう答えながら、安喜少尉の空いているグラスにビールをさっと注いでいる。


 まさかこれはアーケモスの作法ではないだろう、とリサは思った。いったいこの男は、どこでそんな仕草を仕入れてくるのだろう。



 そんなとき、リサはラミザのビールグラスが空であることに気づいた。もちろん、リサ本人のものも空だが、そこは彼女が未成年であることは周知されているからだ。誰も飲ませようとはしない。


「ラミザさん、お酒は? 注いであげようか」


「うーん、わたしは最近は飲まないことにしているの」


「どうして?」 


「だって日本の成人年齢は二十歳なんでしょう? お酒を飲んでいいのもその歳から」


「うん? アーケモスの成人年齢はいくつなの?」


「国によるけど、オーリア帝国では十八歳からね。だから、リサは向こうでならお酒が飲めるわ」


 ここへきて、ようやく、リサはなにかを勘違いしていた気がしてきた。


「ちょっと待って、ラミザさん。歳、いくつだっけ?」


「年齢? 十七よ」


「え? ええっ!?」


「な、なに? 何か変だった?」


「いや、落ち着いてるし、仕事できるし、大人びているから、若いとは思ったけど、歳上かと……」


「そんなに老けてるのかしら……」


「そうじゃなくて、なんというか、美人の年齢はわからなくなるものだといいますか……」


 リサのその弁解に、ラミザは二秒ほど真顔になったが、それから笑顔になる。リサには、その二秒が怖い。


「ありがとう、リサ」


「でも、十七だと、オーリア帝国でも、お酒ダメな年齢じゃない」


「そうなんだけど。形骸化しているというか。贈り物でいい葡萄酒をもらったこともあるくらいだし」


 贈答用のワインとは。きっと恐ろしく高いものなんだろうなと、リサは思う。さすが、帝国軍の有能な参謀部員ともなると、みんなから丁重な扱いを受けるのだろう。


「でも、あなたこそ綺麗なのに、変な言い方ね」


「いや、別に、わたしは自分が美人じゃないことくらい、よくわかってますし……」


「なに言ってるの。リサは、わたしが会った人たちのなかで、掛け値なしの一番よ」


「お世辞ありがとうございます……」


「変なリサ」


 宴会の夜は更けていく。意外なことに、岸辺と天庵が意気投合していた。酔っ払って肩を組んで歌い始めたほどだ。それを、淡路は鬱陶しそうに見ながらひたすら酒を飲んでいる。


 リサの隣で、安喜少尉が酔い潰れた。フィズナーによるステルス注ぎのせいで何杯飲んだのかわからなくなったのか。それとも、普段の妙見中佐たちのプレッシャーから解放されて油断したのか。それはわからない。

 

 フィズナーとベルディグロウは、リサの向かいの席でなにかを話しながら食事をしていた。何の話をしているのか、リサには聞き取れない。だが、言葉の端々からアーケモスの大陸でのことを話していることだけはわかる。


 ラミザはとにかく、何を食べても「美味しいわ」と言っていた。リサがなにかを食べたら、すぐさま同じものを食べる。そして、笑顔で美味しいと言う。その繰り返しだ。


 笑顔を向けられたら、リサだって笑顔を返さざるをえない。だが、次第に、リサは、ラミザはリサの笑顔が見たくて「美味しいわ」を繰り返しているような気がしてくる。


 そんな莫迦な。そう、リサは思い直す。それじゃあまるで、子供じゃないか。愛情不足の子供が、大人に構ってもらって喜んでいるみたいじゃないか。ラミザさんに限って、そんなはずはないじゃないか。


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