第七章 約束の文化祭(3)女神の演技
生徒会室では、出し物『女神喫茶』の準備がなされていた。
本番では視聴覚教室を借りて行う予定だが、練習はここ生徒会室で行われている。
この『女神喫茶』は、舞台ではずっと演劇がなされていながら、ラストまでほとんど出番のない女神役が観客に食べ物を振る舞い続けるという、非常識極まりないものだ。
女神役とはリサのことだ。とどのつまりは、演劇中のほとんどの時間、リサは女神役という名ばかりのウェイトレスをするわけだ。
食べるものや飲むものは、調理の要らないクリームせんべいやジュースのたぐいなので、火も使わず簡単なのだが、要はひとりホールスタッフなので、なかなかの労働なのである。
おかげで、リサは台詞をほとんど憶える必要がないという利点は享受できる。せいぜいが、登場してから喋る各台詞時のバミリを意識しておく程度だ。
リサの台詞は多くないうえに、さして長くもない。記憶力のいい彼女であれば、あっという間に憶えられる。あとは演技力を鍛えるだけだ。
「おお、選ばれし者たちよ。福音を授けましょう。汝らの行く道に幸運あれ」
リサが舞台――といっても生徒会室の奥をテープで区切っただけだが――でその台詞を言うと、鏡華が拍手をした。
まだ劇は終わっていない。ここからまだ少しは台詞があるというのに、鏡華はそこで劇を止めてしまう。
「やっぱり、リサがこういうときに出す声は、お腹から出ていて、なんというか、痺れるわね。この人選は間違いじゃなかったわよ」
「さすがっす」「さすがです」
黒田やノナは手放しでリサを褒める。そうなると、さすがのリサも照れくさい。
けれど、そんなとき、寺沢だけが無言でなにやら複雑げな表情をしている。
「こんなところで止めずに最後まで演じきろう。それが先だ。講評はあとでもいいだろう」
なにか、よそよそしい?
リサは微妙な違和感を覚えたが、「それもそうね」という鏡華に流されて、劇の練習は続行となった。
++++++++++
その日の帰り道。もう二十時を過ぎたということで、さすがにノナは逢川家に遊びには来ない。そのため、帰り道はリサひとりだった。
学校から家に直接帰るなら、通り沿いの歩道を歩き、そのまま住宅街へ入っていけばいい。
日が落ちて何時間も経っているというのに、公園では騒ぐ声が聞こえる。どうやら高校生男子が集まってなにやらしているようだ。騒がしくて不快だが、特段相手にする必要もない。
だが、その男子高校生たちからリサに声が掛かる。
「おーいリサちゃーん!」
「遊ぼうぜー!」
自分に声が掛けられたので不思議に思い、リサはメガネをずらして相手を見る。この距離なら、空冥術がなくても見える範囲だ。
公園で騒いでいたのは、先日、隣町でやっつけた不良たちだった。中学時代のツテを使って誰かから聞いたのだろうか、相手はリサという名前まで知っている。
不良たちはジャングルジムや滑り台のような遊具の上に載って騒ぎ散らかしている。この夜中に迷惑なことは間違いない。
だが、こちらも相手にしているほど暇じゃない。リサはそのままその場を立ち去ろうとした。
すると、不良たちは面白がって更にはやし立てる。
「きゃー落ちるー!」
「リサちゃーん助けてー!」
「正義の味方だろー!」
なんという迷惑だろう。リサには怒りがこみあげてきた。彼らは寺沢を囲んで暴力を振るっていたことを反省するどころか、面白半分にこちらに絡んできているのだ。
許せない。寺沢くんに酷いことをしておいて、反省もしていないなんて。
リサの意識は通学カバンの中の星芒具へと向く。これを使えば、全員こりるまで痛めつけることができる。……それ以上のことだって。
自分の意識が暴走していることに、リサは気づく。いけない。この星芒具は、全力で使えば魔界の竜ハルゴジェや海獣タレアのような巨大な魔獣だって倒せる代物だ。人間相手に本気を出していいようなものではない。
「リサちゃーん!」
「おーい、聞いてんのー?」
リサは、不良の呼びかけは、やはり、無視することにした。
なんだあんなもの、ハルゴジェやタレアじゃあるまいし。気にするようなものじゃない。
騒ぎ立てる声を完全に無視し、リサは夜の公園を通り過ぎる。
あんなもの相手にするほどじゃない。あんなもの相手にするほどじゃない。あんなもの相手にするほどじゃない。
そう自分に言い聞かせながら、家に帰り着く。鍵はいつも閉まっているので、カバンから鍵を取り出して、鍵穴に挿し込む。そのとき、自分の思考が何やらズレ始めていることに気づいた。
わたしの敵として釣り合うのは、ハルゴジェやタレアのような伝説の古代魔獣? じゃあ、わたしはいったい何? わたしは――。
「わたし、人間、だよね……」
++++++++++
「はい、そこで女神が降臨!」
鏡華の元気な声とともに、リサが舞台に登場する。先日買った紫色のドレスが照明に映える。
「おお、迷える王子と姫よ、そなたらの声を聞きました」
きょうはついに、文化祭の当日だ。リサたちは朝早くから視聴覚教室でリハーサルを行っている。
演劇は四ツ葉高校の気風だ。喫茶店などの「お店系」や文化部による「展示系」を行うクラスや部活もあるが、演劇を行うクラスや部活が過半を占める。
あまりにも演劇をしたいクラスや部活が多いため、体育館の舞台だけではとうてい足りない。なにしろ会期は一日しかないのだ。そのため、小規模の演劇はこちらの視聴覚教室を使用することになる。
体育館と視聴覚教室、ふたつの劇場で同時に別の劇が行われるのだ。演劇部の本格演劇はもちろん、クラスや部活といった有志団体のアマチュア演劇も目白押しだ。この学校の生徒がどれほど演じたくてしょうがないかの証左になりそうだ。
生徒会メンバーのリハーサルが終わると、すぐに大道具を入れ替えて、別の団体のリハーサルと入れ替えになる。あまりにも忙しい。
文化祭実行委員会には頭が上がらないなあ。などとリサは感心しつつ視聴覚教室を出る。
視聴覚教室を出たところには、見覚えのある顔が勢揃いしていた。
「おはよう、逢川さん」
「安喜さん、それに、みんな」
リサは驚く。そういえば、文化祭の日程は安喜少尉やラミザに話していたような記憶はある。しかし、本当に来るとは思っていなかった。しかも、ベルディグロウやフィズナーといったおまけつきで。
リサより後に部屋を出てきた寺沢が、リサに問う。
「誰だ? 知り合いか? アーケモス人が多そうだが、ノナさんのご友人か?」
寺沢がそう言うのも無理はない。武器こそ持っていないものの、ベルディグロウもフィズナーもラミザも、通訳機能のために星芒具を左手に装着しているのが見える。フィズナーの赤毛も、ラミザの銀髪も、ここ日本では珍しい部類だ。
安喜少尉が私服で来てくれたことは、リサにとってありがたかった。さすがに常識人だ。いかに開かれた文化祭とはいえ、軍服で歩き回ると目立つ。
「あら、安喜さんにみなさん! いらしゃってくださったのね!」
鏡華がそう言った。わざと声を大きく張り上げている感じさえする。この四人の来訪者は怪しい人たちではないのだと、そう主張しているのだ。
「でも、文化祭の開始時間までまだ三十分あるよ。どうやって入ったの?」
リサがそう質問すると、安喜少尉が苦笑いする。
「門のところでそう言われたんですけどね。ラミザさんがどうしてもとゴリ押しをしまして……」
「ラミザさん……」
しかし、ラミザは悪びれることなく、リサの両手を取る。
「リサ、その衣装、とても素敵ね。きょうはその服でお祭りをするの?」
「え、いや、これは劇のための衣装だから、すぐに制服に着替えるよ。わたしたちの劇は午後だから、そのときにまたこれに着替えるの」
そんな会話をしているとき、リサは寺沢に肩を叩かれる。見れば、彼は廊下の窓の外を指している。
「寺沢くん、どうしたの?」
「……先日の不良連中の姿がちらっと見えた。やつら、文化祭を潰しに来たのかもしれん。用心してくれ」
なるほど。それはありえる話だし、困った話だ。
「わかった。気をつけるようにする」
リサは真剣な表情で答える。そんなふたりのやりとりを、ラミザはじっと見て、それから窓の外を見やった。
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