第五章 湾岸エリアの攻防(2)ゆめ書店のふたり

 生徒会の会合がない日は、リサは学校が終わり次第、バイト先に向かうのだった。


 バイトは週に二回。四ツ葉市内の家から近い大泉ゆめ商店街の小さな書店、ひねりもなにもない『ゆめ書店』という名前のお店だ。


 ここではあらゆることを任されている。「こんにちはー」と店に入ると、リサはレジカウンター内にカバンを置き、素早くお店のロゴの入ったエプロンを着け、三角巾をかぶる。


 そして、店の前をホウキで掃いたり。薄暗い店内の棚の埃を払ったり、本を整然と並べたりするのだ。特に、店の前を掃くなどは、普通は開店前にやるべきことだろうが、店主の男が高齢で腰を痛めているため、リサが来る日はあえて掃除などはせず、無理をしていない。


 リサが一連の掃除を終えて三角巾を外すと、それが合図となる。店主は「あとは頼む」と言って二階に上がってしまう。二階は店主の住居だ。これから閉店時間の十九時まではリサが店番をすることになる。


 とはいえ、さほど賑わうでもない本屋だ。客のほとんどは商店街からしばらく歩いたところにある琴吹屋モールの巨大な書店にとられてしまっている。店長がこの店を続けているのも、半ば以上趣味のようなものだ。


「こんにちはー」


 聞き覚えのある声がする。リサは「あいてるよ」と答える。これは非常にハイコンテクストなやりとりだ。


 まず、入店してきたのはノナだ。そして、「あいてるよ」は店が開いていることはもちろん、カウンター内に彼女の居場所があることを同時に伝えている。


 ノナは厳密には客ではない。彼女はリサが家にいるときは逢川家に入り浸っているが、リサがバイトの日にはこうして書店に時間を潰しに来ている。きょうなどは、おそらく、十七時半の定時で退勤できたのだろう。


 ノナはカウンター内の椅子におさまるが、店の手伝いは一切しない。本来の勤め先である秋津洲物産の資料をカバンから出し、何やらマーカーを引いたりしているくらいだ。


 コンプライアンス上まずそうだな、とリサは思ったが、特にそう告げたことはない。もしノナが書類を忘れて帰りそうなら、リサが気をつけてあげればいいだけのことだ。


 当のリサも、店番をしながら、大学入試の過去問集を解くのがこのところのルーティーンだ。これでも彼女は都立四ツ葉高等学校の三年生で、年度末には大学受験を控えている身だ。


 ノナは意味もなく両手を挙げる。


「飽きた。わたしも何か読もうっと」


 ここは本屋であって図書館ではない。だが、少々の立ち読みが許されるのと同様に、咎め立てられるほどのことでもない。


 ノナが薄暗い店内を歩き回り、棚を見て回っているとき、リサは受験対策ノートから顔を上げた。アーケモス大陸のオーリア帝国から来たノナが日本語の本棚を物色しているのが、なにか妙な感じがしたからだ。


「ノナってさ、日本語読めるの?」


「もちろん」


 ノナはそう答えながら、左手に巻いた籠手――星芒具を指さす。そもそも、リサとノナの会話が成立しているのも星芒具の翻訳機能のおかげなのだ。ノナは星芒具があれば日本語の文書も読めると言っているのだ。


 ノナは棚から漫画本を一冊抜き取り、またカウンター内の椅子に戻ってくる。


「そもそも、秋津洲物産の書類は全部日本語じゃないですか。あれを読んでいるわたしを見て、気づかなかったんですか?」


 たしかにそうだと、リサは思う。ノナはいまのいままで、隣で日本語の書類を読んでいたのだから。


「それもそうか。なんか、ノナが日本語に囲まれている光景にインパクトがありすぎて」


「まあ、たしかに、日本語は読めないですよ。家に帰ってから、試しに星芒具を外して書類を見てみたら、意味がわからないのなんのって。日本語の文字って、難しいですね。種類が多くて」


「たしかに……」


 リサはその当たりの説明は難しいなと思った。なにせ、ひらがな、カタカナといった日本独自の字と、中国由来の漢字、そして西洋由来のアルファベットを混ぜて使用しているのだから。


 一九九五年、地球からは唯一、日本列島だけが惑星アーケモス上に転移してきたのだ。アーケモス人が想像もつかない中国や西洋の話をしたところで伝わるかどうか怪しい。


 ノナは日本語のマンガを読みながら話す。


「一方、ザンさんはファゾス共和国出身ですが、日本語は完璧に読めるし、書けるらしいですよ。星芒具なしでも会話できるそうですし。すごいですよね」


「さすが学者……」



 リサたちがそんな会話に興じているとき、会社員風の男たちふたり組が入店してきた。彼らは店番のリサには目もくれず、雑誌のコーナーで立ち読みしながら会話している。


「あー、俺またオーリア帝国に戻んなきゃいけないかも」


「マジで? お前、駐在終わったばっかじゃん」


 男たちの会話に聞き耳を立てながら、ノナは小声で、彼らは秋津洲物産本社の社員ですよ、と言う。仕事の内容を外でしゃべるなんて、コンプラ違反ですね! リサは苦笑いする。仕事の書類をそこで広げているのは誰だったっけ?


「ほら、半年ちょっと前の件、ジル・デュール公爵領の復興が追いついてないらしくてさ。現地指揮が足りないとかで」


「ジル・デュールってあの、オーリア帝国の第二の都市だったやつだろ。テロに壊滅させられたって聞いたけど。あそこ戻んの?」


「名目上、配属先は首都デルンになりそうだけどさ。実際はジル・デュールに事務所借りて仕事することになるっぽい」


「まーた面倒なの引いちまったな」


「そうなんだよ。前の駐在のときにすげえ頑張ったのにさ。ご褒美もなしにこれよ」


「頑張るからよくねーんだよ。社長も言ってたろ。『仕事の報酬は仕事』ってさ。上層部はマジで廃墟復興を手柄を立てるためのチャンス、ご褒美だと思ってっから」


「……俺、こんどは仕事サボるようにするわ」


 結局、会社員の男たちは何も買わずに帰って行った。もし、雑誌など買おうとカウンターに来ていたなら、まだまだ珍しいアーケモス人――オーリア帝国人がそこにいることに気づいて泡を食っていただろう。


 おそらく、このアーケモス人と社内ですれ違ったことくらいは記憶していただろう。そうなると、うっかり社外秘情報を漏らしていたことにバツの悪さを感じたはずだ。


 それにしてもと、リサは思う。オーリア帝国の第二の都市が壊滅していたとは。日本のニュースでも取り扱っていたかもしれないが、あまり記憶に残っていない。


「ラミザノーラさんが言っていたのはこれか……」


 アーケモスの大陸はいまだ戦乱の中にある。そう、ラミザノーラは言っていた。そして、その戦乱を終わらせられるとしたら、それはリサをおいて他にいないと。


 本当に、わたしにそんなことができるのだろうか。



 十九時になり、リサはカウンターを片付け、店の入口のシャッターを下げる。カバンを左肩に掛け、右手にはフック棒を持って、慣れた手つきで店じまいを終わらせる。


 ガラガラという音につられて来たのか、店主が勝手口のほうから「きょうもお疲れさま」と言いながら出てくる。リサのほうも、お疲れさまです、と言いながらフック棒を店主に渡す。これでバイトは完了だ。



 日はとっくに落ちている。制服の上からコートを着ていても肌寒い。


 これからノナとは一緒に逢川家に帰るのだ。ノナは放っておくとお菓子しか食べないし、リサの手料理を気に入っているので、リサはそれでよしとしている。


 しかし、商店街の出入口に差し掛かったところで、タイミングよく自動車が来て、助手席の窓が開く。


「逢川さんとノナ・ジルバさんですね。緊急招集が掛かりました。これから総合治安部隊に来ていただきたいのですが」


 車の運転手は総合治安部隊の制服を着ている。問いかけは「来ていただきたいのですが」だが、拒否権はないだろう。それに、拒否権があったとしても、リサには拒否するつもりは毛頭なかった。



 リサとノナを乗せた公用車が高速道路を飛ばしていく。ふたりとも、後部座席に座って、言葉少なだった。


 リサはこれから始まるミッションに思いを馳せていたし、ノナはそんな彼女を心配していたが水を差したくなかった。


 運転手である総合治安部隊隊員がリサに告げる。


「『黒鳥の檻』の動きがあったようです。夜深くの仕事になるでしょうから、お気を付けて」


 気をつけるどころか、リサは楽しみですらあった。『黒鳥の檻』が絡む案件となれば、堂々とラミザノーラが参加できるからだ。リサは彼女との共同ミッションを心待ちにしていたのだ。


 だが、そんなリサの思いとは裏腹に、ノナの表情は暗かった。


「ラミザノーラ・ヤン=シーヘル参謀部員。あの人には気をつけて」


「……どうして?」


「なんでもない」


 ノナは頬に手を当てたまま、車の窓の外を見やる。リサとは目を合わせない。


 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、総合治安部隊の公用車は都心に向かって走っていく。


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