第21話 甲賀の首領

 拝殿の出口を塞ぐように、仁王立ちに立ちふさがるその大柄な男は、目に濃い色のサングラスを掛けていた。

 サングラスに隠れてい見えないが、鋭い目つきは狂気に満ちている。

 その目が見据えているのは、崇継だ。


「お久しゅうございますな、坊ちゃん。」


 からかう様な口調で崇継に言葉を掛ける。


「よくも、父さんをっ!」


 激情にかられた崇継が、ジグ・ザウエルをぶっ放すが、不慣れな銃弾は明後日の方向に飛んで行った。


「ほぉ、ワシの事を覚えておいでか。」


 崇継の激しい怒りの眼差しを受け流して、不気味に笑う。

 剥き出しの犬歯からは、涎が滴っている。


「何者だ?」


 翔が問いかける。


「犬山現示。」


 静かに答えると、一拍おいて言葉を続けた。


だ!」



 **********

 <犬山 現示>


 今や、甲賀の首領を自称して憚らないその男だが、その本当の名前は、本人ですら知らない。


 彼はだった。


 彼が覚えている最初の記憶は、スーパーのゴミ箱の残飯の味。

 毎晩のようにゴミを漁りに来る彼を、世間は受け入れなかった。

 スーパーやコンビニの店員は、野良犬を扱うように箒で叩いて追っ払い、彼は生きるために僅かばかりの抵抗をした。


 <


 ロクに戦った事もないような軟弱なヤツほど、この言葉を使いたがる。

 どこぞのコピーライターしかり、ドラマの脚本かしかり。

 だが、犬山の人生は本当の戦いだった。


(飢えとの戦い)


 敗ければ死が待っている。


(だが、それがそうした?)


 惨めな犬コロの人生に価値などない、戦いに敗ければ死ぬ、ただそれだけだ。


(別に負けてまで生きようとは思わない。)


 絶望に支配されていた彼の頭は、常にそう思っていた。


 だが、彼のは違う。


 産まれた時から続く強烈な飢餓が、逆に彼の生存本能を、生に対する根源的な欲望を極限まで膨れ上がらせた。

 強烈な生存本能と、それを否定する彼の理性。


 やがて、精神と肉体のバランスは崩壊する。


 極寒の1月の夜。

 いつものように、スーパーの裏口で残飯を漁る彼を、不運な店員が発見した。

 その店員は、いつものように箒を振り回して脅してみせた。

 いつもならそれで怯えた目をして逃げ出すはずだった。


(なんだこいつ?いつもと違う。)


 店員は、そう思う間もなく、のど元を食い千切られていた。

 吹き出る血の暖かさに、我に返った彼は、恐怖し腰を抜かして後ずさる。

 そんな彼の頭の中に、声が聞こえて来た。


「好きなだけ食え、もう邪魔は居ない。」


 その声は自分の内側から響いてくるようだった。



 彼の過剰な生存欲求は、彼の中に異なる自分を作り出したのだ。

 だが、彼の悲劇はそれだけに終わらない。

 自分の中の異なる自分を受け止め切れない彼は、更なる自分を作り出していく。


 その数


 そんな彼に目を付けたのが<犬山家>だ。

 凄まじいまでの生存欲求と闘争本能、そして多重人格という特殊な才能にほれ込んだ、当時の犬山家の当主・犬山現一は、彼を養子にし、名前を授けた。


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 その名前が、十人の彼のうちの誰に与えられたものかは分からない、あるいは全員かもしれない。

 とにかく、彼は<犬山現示>となった。

 そして、授かったものが


 **********



 元から大柄な犬山の全身が膨れ上がり、口が前にせり出し、両耳は上に伸びる。

 身長はもはや2mを超え、体中を毛むくじゃらにしたその姿は、映画でよく見る狼男そのものだ。

 上下に突き出した鋭い牙を見せつけ、興奮した様子で涎を垂らしている。


「谷本といい、あんたといい、甲賀者は動物好きが多いらしいな。」


 翔は、すかさず両手の手のひらを上に向けた。


「谷本が言わなかったか、その術はワシには効かん。」


「試してみるか?」


 手のひらの上空に浮かぶ花弁の数は、既に数百枚。


…」


 舞を舞おうかというその瞬間、犬山の声が飛んだ。


!」


 そして、翔たちは目にした。

 闇夜に浮かぶの獣の目を。

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