乙女の真実 2
突然目の前に現れた私を、ロッテはどう思ったのだろう。
「……エイミー?」
見開かれる目。しっとり濡れて首筋に張り付いた髪。スミレ色のドレスは裾に泥が跳ねてしまっている。
吐く息が白い。なかなか息が整わない。船乗場はすぐ目と鼻の先にあって、今ロッテに逃げられたら、私1人ではきっと捕まえられない。じゃり、と踵で小石を踏みつける音。
「逃げないでロッテ、お願い!」
「っ、あなた、どうしてここに……?」
「ロッテ、あしたの船に乗るんじゃなかったの……? みんなに、私に、嘘をついたの……? どうして?」
「──なぁに、いきなり。……嘘、だなんて。運良く席が空いていたからチケットを替えてもらっただけよ。見送りに来てくれたの? びっくりしちゃった。あなたったらひどい剣幕なんだもの」
「ロッテ・ブラウン」
後からやってきたフローレンスとウィリーに気づくと、彼女は表情を固くした。
「……これは、ただの見送りではないようね」
「急ぎの要件だ。君のその手荷物、見せてくれないか?」
「手荷物……? 何故です? 殿方にお見せ出来るようなものは入っていませんけど」
「単刀直入に言おう。その中に、ゴルド先生の『乙女の肖像』があるのではないかと僕は考えている」
「ええっ?」
ロッテより私の方がよっぽど驚いている。
たしかに大きな鞄だ。けど、旅人の装いとしてはおかしいものではない。フローレンスは構わずロッテに手を差し出した。
「おそらく『春』だ。ちょうど乙女の顔にあたる部分の──このところの騒動に巻き込まれず、最後までアッシュ家にあった作品。先生のいないうちに、ひそかに持ち出したのだろう?」
「妙なことを言うのね」
ロッテは穏やかに微笑んで、首を振った。
「ゴルド・アッシュの作品なんて。私、まったく興味がないわ」
「君自身はそうかもしれないが。君に『依頼』した人間はそうではないんだろう?」
「……どういうことでしょう?」
鞄を抱え直して、彼女はフローレンスを見返した。私とウィリーは予想以上の展開に固唾を呑んで2人のやりとりを見守るしかできない。フローレンスは傘の下、思案顔で眉を寄せた。
「君がウェーリ領主の孫だと聞いて、思い出したことがある。ゴルド先生が、画家を志すきっかけの話だ。おそらく先生は、幼い領主の娘と交わした約束を忘れられなかったのではないだろうか、と」
「いったい何の話かしら──あの、乗り遅れてしまいますから。申し訳ないですけど、そろそろ」
「待ってお願い、ロッテ。教えて! あなたがミスター・ハワードに頼んだ贈りものって、『乙女と四季』ではないの? ミスターは疑われているのよ。警察の方が明日、アッシュ家に捜査に行くって!」
ロッテは足を止め、わずかに俯く。
「……そう、警察が。……でも、それは私には関係のないことでしょう」
関係ない、関係ない。いい加減にカチンときた。
前髪をしたたる雨の雫を振り払って私は叫ぶ。
「恋人が疑われているのに、関係ないって言いきれるの!」
「……私は、あなたみたいな良い子じゃないのよ。あの人がどうなろうと知らないし、もう会うこともないって言ったでしょう」
「ロッテ……!」
「君がそれほどまでに急ぐのは、エリザ様のせいか?」
ロッテは瞠目して彼を見上げた。
「なぜ、知って……」
「エリザ様はそれほどに具合がお悪いのか? 船を明日に延ばせないぐらいに?」
フローレンスの剣幕にロッテはたじろいで後ずさりする。ウィリーが顎を擦りながら呟いた。
「エリザ様……って、たしか、ウェーリ伯爵夫人の名だな?」
「そうだ。御歳70になられる。去年から床に伏せておられると噂で聞いた。先生も気にしておられたようだった。恐らく先生は、エリザ様のご病気をきっかけに引退を決められたんだ。……貴女の祖母だろう?」
「な、何の話なの」
「つまり僕たちはずっと、二人のロマンス──未完の彼女の肖像に振り回されていたというわけか」
「フローレンス様、いったいどういう」
私たちの会話を遮るみたいに船の汽笛の音が鳴り響く。わっと歓声が上がって、見送りの人たちが大きく手を振る。
ウェーリとグレーズ港を結ぶ定期巡回船は大きく帆を張り、跳ね橋を上げてゆっくりと出航を始める。うねる波をものともせず、蒸気船は飛沫を上げて岸を離れていく。
私たちに囲まれたロッテは無言のまま、それを眺めていた。
「……──ごめん、ロッテ。でもどうしてもあなたの口から聞かきたくて……」
「そうね。あなたは私と違って、ご主人様が一番だものね」
友人の、聞いたことのない乾いた口調に胸が痛む。私は友情より、主人を──想い人を優先したのだろうか。
──違う。
唇を噛む。
私は、ただ真実を知りたいだけだ。
彼女の本音を知りたいだけ。
私たちはしばらくの間、暗い海に消えゆく船を眺めていた。雨でけぶる水面を走る蒸気船。しだいに速度を増して、船は沖へと進んでいく。その影かたちが闇の向こうに見えなくなってようやく、一人、二人と見送りの人たちが帰り仕度を始めるのだった。
ロッテはくるりと海に背を向け、抱えていた鞄の水滴を手で払った。
「……荷物を濡らしたくないの。話がしたいなら、どこか屋根のあるところへ連れて行って」
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