深まる疑惑 3

 二人は黙って、考えを巡らせているようだった。


 決定的な言葉はない。

 ただ何となく嫌な予感がする──それだけのことで、私は落ち着きなく部屋を歩き回り先ほどの出来事を思い返した。


「もし彼女に後ろめたいことがあるとして、それをわざわざ私に話すかしら? 招待状の件だって、恋人の話だって、黙っていたらわからなかったのに」

「犯人が友人や家族あてに最後の懺悔をするっていうのは、新聞の連載小説でも有り得ない展開じゃないぜ?」

「ウィリーは……ロッテのこと、そうやって思うのね」

「可能性の話さ。シルバのことだって、断定はしてないだろ?」

「──ロッテ嬢は、いつまでシティに?」


 フローレンスは執務机の椅子を立ち、こちら側のソファへと移動してきた。


「明日の朝の船便で帰るらしいと、アッシュ家のボーイに聞きました」

「うーん。となるとその情報も、もしかしたらフェイクかもな?」

「フェイク……?」

「逃亡のための、時間稼ぎってこと」

「……そんなこと、思いつきもしなかったわ……」

「正直な善人は、騙されやすくもあるってことさ」

「ロッテは」


 そんなことしない、と言いたかった。けれど実際に彼女は、フローレンスのシャツに細工をしたり、私のいない隙を狙って招待状を隠しているのだ。


(否定したいのに……ロッテのことを信じられない私がいる……)


 優しくて、穏やかな先輩メイドだった。いつ頃からロッテは──このことを企んでいたのだろう。


(もしかして、アッシュ家のメイドにと志願したのすら、偶然ではなかったとか……?)


「今日ロッテちゃんと会ったのは、どのあたりだ?」


 ウィリーは地図を示しながら言った。


「……アッシュ家から帰るところで……フコ川沿いを歩いて……中央通りを、少し行ったところ──ウッドウォール街の角よ。そこで馬車を捕まえようとしていたロッテに気づいたの。そのあと、ドーマ・ストリートのティーハウスで話をして、最後はまたウッドウォール街で別れた」


「じゃあ行き先はグレーズ港で間違いないだろうな。あの通りの馬車は、旅行客を乗せて東の港街に行き慣れてる」


 フローレンスも広げた地図を同じように覗き込んだ。


「彼女の、今晩の宿は?」

「ごめんなさい、そこまでは……」

「なるほど。明日の朝、と思わせて、すぐ船に乗る可能性もあるってか? というか本当にウェーリに行くかどうかもあやしいな。まとまった金があれば国外へ逃げることもできる」

「そ、そんな周到に……?」

「まぁどの道、メイドの給金じゃそう遠くへは行けないだろうさ」

「グレーズ港からウェーリへの最終便は何時だ?」


 フローレンスが目配せすると、ウィリーがすかさず取材手帳を広げて答える。


「17時。……今からここを出て港まで馬車を走らせて、ギリギリ間に合うかどうかってところだな。警察には、どうする?」

「追うとなると人手は欲しいが……まぁ、いいだろう。捜査は佳境だと、あいつが自分で言っていたからな。彼らにとって重要な証拠人らば、自分たちでなんとかするだろう」

「今から、追うのですか?」

「早い方が良い。船が出てしまってはシティ警察も手を出しにくいだろう。レイングランドとウェーリでは警察組織の繋がりも薄いんだ──、僕達の杞憂で済むならそれで良いのだから」


 言うや否や、2人は今にも部屋を飛び出して行ってしまいそうだった。私は急いで衣装室へ、フローレンスのコートと傘を取りに走る。窓の外、雨はまだ降り続いている。


「君も、来るといい。友人のことだから、気になるだろう」


 帽子を手渡した時、フローレンスはそう言って私を見た。ウィリーは馬車を手配しに、すでに部屋を出て行ってしまっている。一刻を争うというのに、私はどうしても首を縦に振ることは出来なかった。


「いえ……行けません……仕事を放棄していては、そのうち解雇されてしまいます」

「僕が許したと言えばいい」

「……ですが」


 本音では、もちろんついていきたい。


 乙女の肖像の在り処を突き止めて、フローレンスの容疑を晴らして展覧会を成功させ、彼の平穏な日常を取り戻すこと──それが、何よりの私の望みだから。


 それに、もし私が言い出さなければ、ロッテは疑われずにウェーリに渡ることができていたのかもしれないのだ。そういう意味で私には責任がある。


(……でも、今度こそ専属を降ろされてしまうかもしれない……)


「……──君の、本音は?」


 動かない私をフローレンスは急かしたりしない。


 彼の青い瞳はいつも冷静に、周囲を──私を見ている。


「君の本音が知りたい。僕の周りには、信頼できる人間は少ない。けど、君はそのうちの貴重な1人だと──そう思っている。どんな状況でも、輝く目で、僕の描いた絵を見てくれる君は──きっと、どんな時でも、僕の味方でいてくれるだろうと」


 私は瞠目して彼を見上げた。


 ──味方。

 そんな風に思ってもらえていたなんて。


「もっ、もちろん、そうありたいと思っています。どんな時でもフローレンス様が、変わらず絵を描き続けられるように……それが私の仕事──願いですもの。本当は、 何処へだってついて行って、お役に立ちたいです」

「それならば来るべきだ。他でもない、僕の頼みごとだ」


 言いながら彼は使用人室への呼び鈴を引っ張り、走り書きをしたため、ドアに貼る。


『外出。エイミー・リンドベルを供に連れて行く。夜には帰る』


 この貼り紙を見ることになる使用人の気持ちを思うと居た堪れない。今度はどんな噂を立てられるやら……せめてなるべく急いで帰ってこなくては。そう強く決意して、私も自分の傘を用意した。


「実を言うと、」


 廊下を進みながら、彼は小声で密やかに告げた。


「ロッテ嬢がなにかしら情報を知っていたとして、僕らに話してくれるだろうという自信がない。1人は顔見知りだが口の軽い裏のある男、1人は口下手で言葉足らずな無愛想な男──囲まれれば警戒するだろうし、最悪、海に飛び込まれでもしたら大事だ。聞き役としても、説得役としても、きっと君の方が適任だよ」


「……わかりました。頑張ります」

「ああ」


 人目を避けて裏庭を通り、アトリエの裏手に回り込む。いつぞやの抜け道の前で、フローレンスは立ち止まった。


「……こんな所を通って、君たちは城を抜けたのか……」

「わ、私が先に行きますね。フローレンス様はあとから」

「いい。雨のせいで足元がぬかるんでいる。濡れた木の葉も厄介だし、僕のあとに来ると良い。まったく女性にこんな道を案内するなんて、あいつは本当どうかしている──飛べるか?」


 軽く堀を飛び越えたフローレンスが、向こう岸から私に向かって手を伸ばしている。


 私は思い切って彼の腕の中に飛び込んだ。


「っ、ありがとう、ございます……」

「あそこに、ウィリーの呼んだ馬車が停まっている。この雨では馬車もそう速度を出せない……船が出れば終わりだ。急ごう」

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