去るメイド 2

 軽食を運び終えた私は、ハンナの姿を探した。外出には本来、メイド長以上の方々の許可がいる。


「──アッシュ家に?」


「はい。フローレンス様が午後にでもお伺いしたいとのことで。手紙や電報を待っていられないようですので、直接返事を聞いてまいります」


 ハンナは自室で書き物をしていた。私の申し出を少し考えたあと、「わかりました」と立ち上がり窓辺に寄って、レースのカーテンを指でそっとかき分け空を見上げる。


「雨は、まだ止みそうもないですね。早く行こうとして細い道を通らないように。大切な制服を汚さないこと。足元にも気をつけるのですよ」

「はい、行ってまいります」


 使用人の通用口を出て、シュインガー宮殿の裏道を一人歩く。裏道と言ってもしっかりと舗装されていて馬車も通れる道幅だし、少し歩くと伝統ある使用人寮だって見えてくる。人通りは多くないけれど、衛兵の見回りだってあるし、女性一人でも怖いことはない。


 しとしとまとわりつく雨は絶え間なく降っているが、寒さはそれほど感じなかった。春の盛りが近いのだとわかると心が躍る。エプロンとメイドキャップを脱いで傘をさし、私は雨の日の短い散歩を楽しむことにした。


 城の裏通りを足早に抜け、馬車の行き交う大通りを横切る。


 古風で威厳のある建物が連なる川沿いを行き、ひときわ自然の多い一画にアッシュ家のお屋敷はある。


 私は裏口を探してぐるりとお屋敷の裏手に回った。


(あら……? こんなところに離れ家があるのね)


 一昔前に流行した、赤レンガの模様造りの平屋建て。小屋の周りは、花壇が生い茂っていて、窓の中はよく見えないようになっている。


(使用人たちの住処にしては小さいし……あっ、もしかして、これが伯爵のアトリエなのかしら?)


 宮殿のそれとは違い、ずいぶん生活感とあたたかみのある建物のように見えた。もしかしたら今も、ゴルド・アッシュの弟子たちがあそこで絵を描いたり、絵の具を練ったりしているのだろうか──かつてのフローレンスも、あそこで絵を描いていたのかもしれない。そう思うと興味がわいて、覗いてみたくなるけど──。


(いやいや、早く用事をすませないとね)


 使用人口を見つけた私は、扉付きのベルを鳴らした。


 すぐに飛んで来た若いボーイは、私の制服を見て「宮殿からの御用で?」と尋ねた。


「ええ、そうなの。郵便係をしてるメイドのロッテ・ブラウンはいるかしら? 宮殿の使いで、エイミー・リンドベルが来たと伝えていただける?」

「ロッテ? ロッテさんですか? うわぁ、タイミングが悪いなぁ」


 ボーイは大変困ったような声を上げて、頬のニキビをかいた。


「そのぉ、ロッテさんは今日、ここを辞められました」

「えっ!? 嘘、そんな……今日?」

「僕らもびっくりしているんです。ずいぶん急な話で。執事長以外、理由も知らないんですよ。昼前には、ここを出て行かれました。ウェーリのご実家には、明日の船で戻るみたいなことを聞きましたけど」

「そ、そうなのね……? ロッテが……」


 驚いて声もない私を勝手口に置き去りにしてボーイは一度引っ込んで、新しい郵便係のメイドを呼んできてくれた。


 忙しそうな様子で現れた彼女は私を一瞥すると、挨拶もそこそこに早口にまくし立てた。


「旦那様からレイ・フローレンス様へのお返事でしたら、先ほど配達員へ渡してしまいましたわ。ほんの、ついさっき。駄目でした?」

「あ、あら、そうなの。もちろん問題ないですよ。でも、あのぅ、あなた、手紙になんて書いてあったかとか……わからないですよね?」

「さすがにそれは」

「そうよね……あ、あの、ブライト伯爵の今日明日のご予定をご存知かしら? フローレンスがこちらに伺いたいと申しているのですけれど」


 メイドとボーイは顔を見合わせて、「旦那様はご不在です」と口を揃えて言った。


「そ、そうですか。いつ頃、お戻りに?」

「週末じゃないかしら」


 結局、勇んで来たはいいものの何一つ収穫のない訪問になってしまった。


 とぼとぼと帰る私を、自転車に乗った郵便配達人が、小雨をもろともせず颯爽と追い越していく。もしかしたらあそこに手紙が、と頭では考えていても、あっという間に小さくなる背中を走って追いかける気にはなれなかった。


 それより今気になるのはロッテのことだ。


(突然、辞めてしまうなんて……あの日、フローレンス様の招待状を持ってきてくれたときは、全然そんな感じはしなかったのに)


 もっと彼女と話しておけばよかった。画家という人間に仕える、同じ立場として──色々とわかりあえたかもしれなかったのに。


 午後の大通りは、色とりどりの傘で溢れている。ちょうどランチも終わりの時間帯で、店を閉める人や仕事に戻るスーツの男性も大勢いる。


 そんな中、馬車を呼び止めようと懸命に手を振っているご婦人は傘もささず、大きな鞄を抱えて苦労しているようだ。


(……あ、あれ!? もしかして!?)


 私は何を考える間も無く、一目散に通りを横切った。


「待って、ロッテ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る