晩餐会の夜 4
§
(……すっかり記憶してしまっているな)
レイはピカピカに磨き上げられたナイフを手に取った。メインディッシュの肉料理が、白い皿の上で長い間横たわって放置されたままだった。ようやく口にできるくらいまで冷めたようだ。
いつもなら、猫舌なレイが食べられるくらいのものをエイミーが並べてくれる。厚い肉が苦手なのを知っているから、食べやすいようあらかじめ薄く切り分けてあるのだ。
過保護な、と最初の頃はその気遣いに驚いたものだったのに、いつの間にか彼女の心配りに甘えるのが当然になっていた。肉にナイフを入れながら一人で苦笑する。
隣の令嬢がもの言いたげにこちらを見ているが、レイは別のことを考えていた。
ここにエイミーがいないことを不自然に思う自分がいる。
絵を描くとき以外は、常に彼女の気配がある。専属とはそういうものらしいし、何より大勢の知らない人間にあれこれ世話をやかれるよりは、エイミー1人の方がレイ自身も気分が楽だ。
彼女との会話は、それほど負担ではない。レイを主人とする敬いは感じるが、媚びを売ってはこないし、働き者。
そして、もう少し眺めてみたいと思わせる不思議な魅力がある。
まるで、つぼみのようだ。
どんな花が咲くのか、きっと彼女自身もまだ知らないのだろう。もし今、彼女を描くとしたら何色の花を──、
「紳士、淑女の皆々様、ご注目下さい」
食後の紅茶を持ったままぼうっとしていたレイは、広間に響く執事の声でようやく現実に意識を戻した。
大広間にぽっかりあいたスペースに、師と兄弟弟子たちが数名、ビリヤード玉のように行儀よく並んでいる。彼らが自分を待っていることに、レイはしばらく気がつかなかった。
「今宵、主人ゴルド・アッシュの指名で余興に花を添えるのは門下生からこの2人。うら若き天才画伯、ミスター・フローレンス、ミスター・ハワードです」
(なんだ?)
拍手喝さいの中、執事に促されて広間中央へと移動する。自分と兄弟子のひとりであるシルバ・ハワードの横に、イーゼルとキャンバスが置かれる。レイは唖然とした。
(まさか、今から描け、とでも?)
人前で即興しろなんて、聞かされていなかったけど。人々の拍手と好奇の視線に促され、レイは用意された舞台へ上がらなくてはいけなかった。
まったく自分のものとは違う軟筆と、下塗りされたキャンバス。絵の具だって普段使っている物とはメーカー違い。
しかし何を言う間もなく、今夜の主催であるブライト伯爵はほかの客人たちに向ってにこやかに話しかけた。
「この私の後継者レイと、そして養子になるシルバの二人に、同時に肖像を描いてもらえる機会など他にありませんな。さて、今夜、モデルを務める幸運な
そう言いながら、姪たちの背を肘でぐいぐい押している。彼女たちは恥ずかしがってなかなか前に名乗り出ないが、客たちは微笑ましくそれを見守っているではないか。
(……なるほど……。面倒な……)
先生にとって、よっぽど推したい人選なのだろう。今夜の招待がこの見合いのためだったのだとしたら、自分は参加しなくてもよかったのではないだろうか。
結局、『乙女』について何もわからないままだし。
『あるべきところに戻ったのかもしれない』とはどういう意味だろう。もう少し詳しく聞きたいところなのに、先生の周りにはたくさんの人、人、人。そしてレイの前には無地のキャンバス。
あのまま、あのメイドが招待状をなくしたままでいてくれればよかったのに。そうすれば今頃は宮殿で、エイミーの淹れたハーブティを片手に読書でもしていたのに──。
そこでふと目についた、音もたてずに皿を片づけるロッテの姿。レイは、あっと思って咄嗟にその腕をつかんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます