イエス、敵ながらあっぱれと律法学者をほめる ~魂の問いとは~


 彼ら(イエスと批判者)の議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる (ユダヤ教の、つまり旧約聖書の)掟のうちで、どれが第一でしょうか。」  

 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」

 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」 と言われた。

 もはや、あえて質問する者はなかった。



 マルコによる福音書 12章28~34節



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 今回紹介した聖書本文の直前に、イエスと、揚げ足を取ってイエスに恥をかかせようとする者との対決がある。イエスは別に相手をしなくてもよかったわけであるが、ここでは必要と感じたのか、または興が湧いて相手をしたくなったのか、あえて真剣に答えている様子が描かれている。

 イエスは、最初から悪意を持って質問してきた人物にはもったいないような、見事な返答を返す。(マタイ12章18~27節)

 今日紹介する本文は、その直後の物語である。

 イエスの見事な答えに心動かされたのか、パラダイム・シフトでも起こったのか、もともと立場的にはイエスの敵であるはずだった一人の律法学者が、思わず手を上げて質問した。



 ちなみに律法学者というのは、キリスト教登場前のユダヤ教(旧約聖書)の教えに関するエキスパートである。つまりは、イエスの敵である。神の前においてのおのれの無力さと罪深さを知り畏(おそ)れることを教える彼らにとって、「神の子」「救世主」と噂されるイエスは、人間でありながら自分を神と等しい者とする「とんでもないやつ」だったのだ。

 旧約聖書に、「メシア(救い主)が来る」とは預言されていたが、まさか無学で、社会的地位もない、大工の息子風情の姿で来られるとは思っていなかった。むしろ、イエスと同時期に活躍した宗教家「バプテスマのヨハネ」 のほうがまだそれらしい、とさえ考えていた。



 だから、今日のお話に登場するこの律法学者も、もともとは仲間と一緒にイエスをギャフンと言わせに来たものと思われる。敵であるイエスを論破してやろうと思っていたところへ、仲間の一人がイエスの見事な返答に、群衆の前で見事にも撃沈。大恥をかいた。

 本来なら、自分の側が負けたのだから、嫌な気分になってもおかしくないし、次は俺が挑戦じゃ! と挑んでもおかしくなかった。でも、彼はそうしなかった。

 イエスの、本気の言葉(魂のメッセージ)に、いつしか聞き入ってしまったのだ。

 相手が敵であることも忘れ、立場を越えてただ 「イエスは何を言わんとしているのか」という本質だけを見つめていた。彼の中で大きな変化が起こり、もはや敵味方の立場を考えることすら忘れた。



 律法学者は、心から問うた。もともと用意した「揚げ足取り質問」を忘れ去って。

「先生。我々が拠り所としているユダヤ教の教えの中で、何が一番大事だと先生は考えられますか?」

 彼は、自分が生業としているユダヤ教を愛していたし信じてもいたが、限界もまた感じていた。横行する差別、不正、賄賂。上の階級の者の顔色をうかがい、言いたいことも言えない。

 きれいごとを言い、実際にはそれが実践できていない自分の上役(祭司・大祭司)に聞いても仕方がないとあきらめていたこの人生を懸けた質問を、敵ながら感服したイエスにぶつけてみたくなったのである。

 しかし、これは同時に自分の身の破滅を意味してもいた。

 森永製菓の社長室前で、社員が「チョコレートは~明治~♪」と大声で歌うようなものだからだ。

 仲間たちは、きっと彼がイエスを攻撃するための質問をしたのか、イエスに少なからぬ尊敬と信頼の念を持って質問をしたのか、分かったはずだから。



 イエスはここで、感動したはずである。

 全身全霊の問い。人生を懸けた問い。自分の損得をも省みない情熱。

 答えがいがあったことだろう、と思う。だからイエスは、ノリにノッて答えた。相手も、魂の準備のできた、耕された状態だったから、打てば響くし、与えたら与えただけスポンジのように教えを吸収するのが分かる。

 教えてて、こんなに楽しいことはないだろう。

 人生悔いなし、の宝のような回答を得た律法学者は、何と叫んだか。



「先生、おっしゃるとおりです。

『神は唯一である。ほかに神はない』 とおっしゃったのは、本当です。

 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』 ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」



 まず、「おっしゃる通りです」という言葉で、敵であるイエスを認めた。

 彼は律法学者、つまり普段は教師であり、人々から「先生、おっしゃる通りです」と言われる立場である。それが、上司である大祭司などの他人にではなく、異端とされ裏では抹殺対象として名が上げられているイエスに「おっしゃる通り」と言った。威厳ある学者がこのように言うということは、犬がお腹を見せて転がる「降参」のポーズを取ったようなものである。

 そして、この言葉。「どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」。

 イエスと彼が、そして群衆がいるのはユダヤ教の神殿である。

 そこは何をするところかというと……捧げ物やいけにえを焼く、まさにそういう場所である。

 神社に行って、こんなところに神なんかいるかよバーカ、と言うようなものである。教会の礼拝に乗り込んで、神はいないと叫ぶようなものだ。

 AKB劇場に乗り込んで、モー娘復活ののろしを上げるようなものだ。

 優勝のかかった試合がある甲子園球場で、ジャイアンツの帽子とはっぴを着て、阪神側の応援席に単身突撃するようなものだ。それくらい、命知らずな、後先考えない行為だった。

 きっと、その場にいた誰もが、腹が立つというよりもびっくりしたはずだ。

 宗教組織の幹部が、「私間違ってました」と爆弾発言したのと同じ衝撃があった。

 気付きによって、人が新たな魂のステージに上がったその生の現場を、大勢が目撃したわけだ。

 イエスも敵ながらあっぱれということで、賞賛を惜しまずこう言い放った。

「あなたは、神の国からそう遠くない」。

 故人となられたが、ラーメンの鬼・佐野実氏が他人のラーメンをごちゃごちゃ批評せず「うまい」と言うほどの価値がある言葉だろう。



 律法学者の魂の問いは、どうして生まれたのか。

 触発されてである。

 何にか。

 先に、イエスの言葉という「先に準備されたもの」があったのだ。

 その刺激が存在したからこそ、律法学者に気付きが起こった。本当だったら引き出さなかったホンネも出せた。もともと何も買わないつもりでやってきた客に買わせるには、かなり強い動機付けを与えないといけない。もともと敵としてやってきた律法学者をひっくり返すほどのエネルギーでもって「魂のメッセージ」をしたから、今回の奇跡は起きた。

 魂のメッセージ。そして、それが引き出した魂の問い。

 その相乗効果が生んだ奇跡が、今日の物語である。



 私はたまに、質問が来た時に魂の問いじゃないことを嘆いたりする。

 でも、本来は私の側、つまりメッセンジャー側が「魂の問いが来やすいように、触発されるに値するメッセージを全身全霊で語る」という役割を果たすべきなのだ。イエスのように。

 魂の問いじゃないとか、そういうのを言えと相手に要求する前に、要は、私が人を裁かず文句を言わず、自分の分限を果たしていればいい、ということ。

 でも、やっぱ色々言いたくなるじゃん! そこは大目に見てよ。



 だって、人間だもの。(みつを)

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