思う人に思われず。

 その後、寺山ともメール交換の習慣ができた。これも彼の気遣いなのかわからないけれど、ペースは週に一度くらいで、私にはちょうどいい。


 ある平日の夜、遅くまでオフィスで仕事をしていると、たまたまメールが入った。私がまだ夜ごはんを食べてないとわかると、これから食事に行かないかと誘ってきた。いつもなら、遅くなった時はコンビニで売れ残ったお弁当を買って帰るのだけど、誰かと温かいごはんを食べて帰るのも悪くない。

 そう思って承諾の返事をすると、車で迎えに来てくれた。


 私の家へ向かう途中にある食事のできる店で、二人とも焼き魚定食を頼んでおしゃべりをした。


 私たちの週末の都合はなかなか合わず、次のデートは十月の後半あたりになりそうだった。

「それを逃したら、もう寒くなってくるからね。ツーリング自体、次が今年最後のチャンスかもしれない」

 寺山は、どうしても私を隣ではなく後ろに乗せたいらしい。


 学生のころ、バイクで通っている男子が何人かいた。私も同級生に何度か乗せてもらったことはあるけど、いずれも短い距離だった。

 アラフォーにもなって、いや、そろそろアラフォーも越えそうな歳になって、片道一時間以上も後ろに引っ付いて乗っていることを想像すると、体力が保たないんじゃないかという気がする。

 それに、もっと現実的な問題があった。


「でも、そのあたりは、ヘンな話、生理だと思うの」

 そう言うと、寺山は「えっ?」という顔をして、おみそ汁のお椀を慎重にお盆に戻して私を見た。

「その……そういう時に、長時間何かにまたがってるのって、けっこうつらいかもと思って」

 やっと合点がいったという顔をして、「じゃあ、本当にそうなったら車ってことにしておこうよ。当日の朝にわかればいいことだから」と言った。



 今回も家の前まで送ってくれて、寺山はおとなしく帰って行った。

 それにしても、今日の会話、なんだかもう本当に恋人同士みたいだったなと思う。寺山があまりにもタンデムツーリングにこだわるので、言わざるを得なかったところもあるけど、逆に言えば、そんなことも言えちゃう相手になっているということだ。


 まだ恋い焦がれるような気持ちはまったくないのに、彼のことを考えると面映い気がする。この感じ……霧島に対するのと同じようなものかもしれない。向こうの気持ちが伝わって、それにこっちも共鳴してしまうような。


 このままつき合っていて、このまま押され続けたら、組み伏せられてしまいそうに感じる時がある。



 一方、目の前に、高野の出る演奏会に行く日が迫っていた。

 寺山にはもちろん内緒だ。それ以前に、高野の存在すら言っていない。

 何だかんだ言って、高野にはもっぱら私の方からメールを送っている。返事は来たり来なかったりだけど、マメに彼のSNSをチェックしているので、ふだんの様子もなんとなく把握している。アカウントは本人から教えてもらって、私が見てることは彼も知っている。


 こんなことは人生初めてだった。婚活とは言え、絶対的に好きな人がいるのに、私とつき合ってると思い込んでいる別のオトコがいる。

「検討段階だから」とか、「保険だから」とか言って、本当にこの状況が許されるのだとしたら、婚活というのはなんとシビアな世界だろう。

 もし私がどっちともうまく行かずに、最後に福地に泣きついて受け入れてもらえたとして、そんなんで幸せになっていいのだろうか。この世はそんなに甘くない気もする。


 ついこの前、気持ちのよい温泉の中で、波にすくわれてよろめいた場面がよみがえった。あのまま溺れて、ぶくぶくと沈んだっておかしくない。海はもっと深いのだ。そして、これまで私が掻き分けてきたオトコたちが群れになって、瀕死の私の体を食いちぎりにくる。報復を受けるのだ。


 ゾッとして、私は頭を振った。せめて、きちんと本命を何とかすることに集中しよう。今、私が誠意を見せられるところはそこしかない。好きな人に向き合うのだ。



 そう気持ちを切り替えて、私は演奏会に持っていく差し入れを選びにかかった。

 差し入れなんて初めてなので、どういうものがよくて、どうやって渡すのかなど、よくわかってなかった。

 楽屋でみんなで分け合えるもの? それとも、高野の好物であればいいのか。


 悩んだ末、全国の銘酒が小瓶でセットになったものにした。宿泊の荷物もあるところにさらに重くなってしまうけれど、お酒好きの高野が喜んでくれるならうれしい。


 いっしょに添えるカードも用意した。

 いつどうやって渡されるかわからないので、文言も迷う。「がんばってください」なのか、「お疲れ様でした」なのか。結局、両方書いておいた。


 それから、電車の到着時刻や、ホテルの名前、翌日の帰りの時間などを知らせるメールを送った。


 でも、返事は来なかった。



 メールを見てるかどうか不安だったので、当日は「これから出ます」というメールも入れた。


 けれどやっぱり、何の音沙汰もなかった。


 アマチュアとは言え、オーケストラ。ちゃんとクラシックの曲を演奏する二時間くらいのコンサートだ。

 少なくとも前日は念入りな練習があるだろうし、当日は、夜の本番に向けて昼間からリハーサルがあり、本番のあとは打ち上げがあるらしい。きっと忙しくてメールどころじゃなく、終演後も会えないということなのだろうと思ってみるのだけど、数行返すくらいもできないほどなの? とも思う。


 やっぱり歓迎されてないのかな?

 不安がどんどん大きくなる。


 自分に経験がないので、こういう時の打ち上げがどれほど重要なのか、場合によっては参加しなくていいものなのかがわからない。遠くから聴きにくる特別な関係のお客がいれば、そちらの相手をするために場を抜けるのもありなのか、なしなのか。


 でも、それ以前に一番確かめたいのは、「特別な関係」と思ってもらえてるのかどうかだ。思われてるなら、今回は会えなくてもいい。あとで落ち着いてから、私が聴きにいったことについて、何らかの言及があればそれで安心できる。

 逆に、最悪なのは、特別と思われてない代わりに、招かれざる客と思われてることだ。そして、私にそれを悟らせるために無視してる可能性も?


 連絡がないまま時間が過ぎ、本番前に差し入れの受付に包みを置いた時には、胸が潰れそうなほど悲しくなっていた。

 彼の晴れ姿を見られるなんて、本来ならこの上なくうれしいはずなのに、すでに失恋したかのようにどん底の気分だった。


 私の席からは、高野が少ししか見えなかった。

 唯一、ちゃんと姿を捉えられたのは、舞台に入ってくる時。正装した姿を見てときめいた。でも、すぐに、これが見納めとならなければいいけど……なんて考えてしまうほど、連絡のない状態はきつかった。


 有名なソリストを招いた演奏会は、すばらしかった。地方で活動するアマオケの中では、実力がある方なのだと言っていた。だから、ソリストや指揮者もそれなりのレベルの人を呼べるらしい。


 感動を伝えられないことがまた悲しかった。



 一人ぼっちでホテルに泊まるなんて珍しいことじゃないのに、惨めでやりきれず、なかなか眠れない。


 明日、帰る前に連絡した方がいいだろうか。それとも、黙って帰るべきか。

 答えが出ないまま、やっと眠りに落ちた時はもう朝方だった。



 せめて旅の楽しみとして、朝食バイキングだけはしっかり堪能するつもりだった。朝寝をして九時に会場に行くと、もう数人しかいなかった。


 帰りの電車は十三時台だったので、それまでどうしようか迷う。ここのホテルはチェックアウトが十一時というのがありがたかったけれど、それでも二時間以上ある。


「お昼は駅弁を電車で食べたいしなぁ」と独りごつ。


 荷造りしていると、携帯に着信があった。

 期待しないように画面を見ると、もう諦めていた高野からのメールだった。

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