過去からの使者。

「このあと、夜ごはんの時間までどうします?」と高野が訊いてきた。


 私はこっちの街について詳しくないので、行きたいところも答えられなかった。すでにゴールデンウィークに、めぼしいところは行き尽くしている。

「どっか、時間を潰せるようなところ、あります?」と逆に訊き返すと、高野はインターネットを起動して、検索を始めた。


 少しすると、「温泉が好きだって言ってましたよね」と、画面をスクロールしながら言った。

「そうですね。混浴だったら、もっとうれしいな」

 冗談めかして答えたけれど、本心だった。せっかくのメインイベントが別々なんてつまらない。


 高野は動じるふうもなく、画面をいじりながら「この近くに、混浴はないなぁ」と言った。


 結局、山奥にあるという多少名の通った温泉に行くことになった。


 おそらく、これは失敗だったのだろう。

 山を上るほどに雨はどんどんひどくなって、道の状態も悪くなっていく。いつ通行止めになってもおかしくないくらいだった。


 この運転が、高野をかなり消耗させてしまったようだった。

 バラバラに温泉につかって、合流して、街中に戻ったころには、高野のテンションがいつにもまして低くなっていた。


 夜ごはんは高野の馴染みの店に行ったので、時々、店主も話に混ざってきて、場は保てたものの、大事な話をするような展開には持ち込めなかった。それ以前に、高野があまりに疲れているようで、そもそもそんな雰囲気でもなかったのだけど。


 こうして、花火デートは不発に終わった。

 私は予定どおり一泊して帰ることになっていた。でも、翌日は高野が朝から出張に出かけることになっていたので、会うこともできなかった。


——また次に持ち越しか。


 好きな気持ちは少しも揺らがなかったけど、徒労感はあまりに大きく、ほしかった確信はますます遠のいた。この先、これ以上どうすればいいのかわからずに、帰りの電車の中でも私はどんよりとしていた。



 お盆が終わると、夏も折り返しという気分になる。と同時に、ギラギラした闘志も色あせて、何も成果を感じられないままここまで来てしまったという諦めのようなものが漂い始めた。

 をモノにできなかったということになればかなり悔やまれるけど、それですべてが終わるというわけじゃないんだ——。自分に対して、そんな最低レベルの鼓舞しかできなかった。


 九月の末には、高野が所属しているアマチュアオーケストラの演奏会がある。チケットを取り、高野にも聴きにに行くと知らせてあるけど、前後に会えるのかどうかはわからない状態。私が聴きに行くこと自体、あまり歓迎されてないのかなぁと悲観的にさえ感じていた。



 一方の馬場は、七月の段階で「八月に会おう」と言っていたので、日程が決まったら知らせてくるのかと思っていた。

 が、気づけば、いつからか日常的な内容のメールも来ていない。


 もしかして!?


 半信半疑だったけれど、その後も、馬場からは音信が途絶えたままだった。

 南山さんの影響かもしれないし、本人が私たちはうまく行ってないとやっと気づいたのかもしれない。どっちにしても、このまま終了となればありがたい。



 福地とは、その後もいつも通りドライブに行き、次は九月と言っている。いまや、一番頻繁に会っているのが福地だ。


 新田から、福地が私に気があるんじゃないかと言われてから、私も多少は意識していたけれど、今のところ私たちに変わったところはない。

 南山さんが、「抜いておく」と言った意味が本当はどういうことで、その効力がすでに及んでいるのかはどうかはさっぱりわからなかったけれど、心の片隅に何となく「最後の切り札」として福地を置いている私がいた。



 そんな八月の終わり、一通のメールが着信した。

 アドレスのふざけたユーザー名と、「お久しぶりです!」というありきたりなタイトルから、危うく迷惑メールへ入れるところだった。



「北沢さん、ご無沙汰してます。

 覚えてますか? 寺山です。


 突然ですが、北沢さんにお話したいことがあります。

 よかったら、今度、飲みにつき合ってくれませんか?

 なるべく、北沢さんのご都合に合わせます。


 よろしくお願いします!」



「北沢さん」の文字が見えたので、かろうじてメールを捨てずに読んだ。


——なんでまた、寺山さんが?


 驚きとともに、いろんな思いがよみがえった。まるで、忘れ去られた過去からの使者が現れたみたいだ。



 寺山は、五、六年前に知人に誘われて行った合コンで、意気投合したオトコだった。


 その知人とは、比呂子さんという年上の女性で、化粧品や健康食品販売の委託を受けて、自分の顧客に売って歩く仕事をしている。私が女性のさまざまな働き方を紹介する記事を書く時に取材して知り合った。

 彼女の顧客には夜の仕事をする女性も多く、その関係で、あるスナックが常連客を集めてやる合コンに参加してほしいと私に言ってきたのだった。


 そこで会ったのが寺山だった。

 合コンが終わると、寺山は満面の笑みでスナックのママや比呂子さんと握手をし、最後には私の手を引いて店を出たのだった。


 寺山は、最初から大人っぽくしっかりしたオトコという印象だった。宴会の席でも、仕事や恋愛、ひいては人生についての確固とした信念を、堂々と嫌味なく語ってくるようなところがあった。

 周りへの気遣いも完璧で、冗談を言って皆を笑わせたかと思えば、話に入れてない参加者にさりげなく話題を振るといったように、全体を盛り上げていた。


 私はたまたま彼の隣に座っていて、その振る舞いを間近で見て感心しきりだった。

 そして、寺山は場をうまく仕切るようにしながら、徐々に自分と私がカップルになるのだということを周りに印象づけていった。私もまんざらでもなく、彼の手腕に身を委ねていた。


 合コンから間もなくして、世話人のようにして比呂子さんが声をかけてくれて、二回ほど寺山と三人で会い、比呂子さんが席を立った隙に、次は二人だけで会おうと言っていた。


 にもかかわらず、それきり寺山から連絡が来ることはなかった。

 

 別にそれで傷つくほどの関係ではまだなかったので、自然消滅したようなものだと思って私も放念した。



——それが今になって、いったい何の用だろう?


 そういう興味もあったので、直近の空いてる日を提案した。


 ひとつ、私が警戒していたのは、最後に比呂子さんと三人で会った時に、寺山が自分も副業で委託販売の仕事をしたいと言っていたことだ。まさか、私を顧客にすべく、セールスするつもりじゃないよね!?


 もしそうだったら、きっぱりとお断りするまでだ。

 そう心に誓って、平日の仕事の帰りに、寺山が予約している居酒屋へ出向いた。

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