反対。
そのデートの日から、私は、何を着ていこうか、どんな手みやげを持って行こうか考えながら、霧島宅を訪問する具体的な日時の連絡を待っていた。
着々と前に進んでいるという高揚感と、いよいよという緊張感が
もしかしたら、もう好きになってるのかしらん?
いや、きっと「好き」にもいろいろな段階があるのだ。
好きの兆し程度から、昼夜問わず恋い焦がれるくらいの好きまで。
今の私のが兆しくらいなら、霧島は? 焦がれるくらいのところまで行ってる? でも、きっと大丈夫。私もほどなく追いつくだろう。
「母にね、北沢さんのこと、もういろいろ話してるんだ。話だけで、すっかり気に入っちゃってるからね。早く会いたいって、楽しみにしてるよ」
デートの時、霧島はそう言っていた。私のこと、どんだけいいふうに話してるんだかと、可笑しかった。
これはもう、絶対に粗相があってはならない。
清楚ないでたちで、言葉使いは、立ち居振る舞いは……と、シミュレーションも念入りに。せっかく気に入られているイメージが、実物によって壊れてしまうようなことがあったら大変だ。
周りの人たちの顔も浮かんでくる。
香織さんには「とりあえず、続けて会っている」とだけ言ってある。
由佳子や千春には、正式に婚約したら話すつもりだ。なにしろ、ここまでが早かったので、誰かに話す暇もなかったくらいなのだ。
二人とも、どんな顔するかなぁ——。
想像するとワクワクする。きっと、飛び上がるくらいビックリするだろう。
ついこの前まで、誰一人、私がこの先本当に結婚することがあるなんて、実は思ってなかっただろうから。
正直なことを言えば、当の私だってそうだ。
うちの親には、事後報告でいいや。先方と話がついてからにしよう。
そんなふうにウキウキ気分のうちに数日が過ぎ、水曜日に待望の電話がかかってきた。
今日、私のオフィス近くの喫茶店まで、仕事の帰りに来てくれると言う。
そこで、具体的な日時が告げられ、当日の段取りなどを相談するのだと思って、私はソワソワしながら十八時になるのを待った。
五分前を目処に喫茶店に向かう。すると、いつからいるのか霧島が店の中には入らずにテナントビルの一階入り口に立っていた。
私を見つけて片手を上げる。
が、その目にいつものときめいたような明るさがないことが気になった。
席に着いて、二人とも簡単にコーヒーを注文すると、すぐに霧島が口を開いた。
「すみません、顔合わせはいったん保留にさせてくれないかな」
私は呆気に取られた。思いもよらない言葉だった。
「えっ、どうかしたんですか?」
押し寄せる不安に抗いながら、恐る恐る答えを求める。
「実は、母が寝込んでしまって」
よくはないけれど、恐れていた種類のバッドニュースではないことに、不謹慎ながらホッとする。
「あら、それは大変ですね。お体、どこか悪いんですか?」
「うん……」と言ったきり、なかなか霧島は答えない。
私は、早くも運ばれて来た二つのコーヒーのうち、一つを霧島の方にグッと押し出してから、自分のカップにはクリームを入れた。
「実はね、母が急に反対し出したんだ」
私は飲もうとしていた手を止めて、霧島を見た。聞き間違いだと思いたかった。
霧島は私の視線を捉えると、困ったように微笑んで言った。
「それでケンカみたいになっちゃってね、そのあと体調を崩して……」
力が抜けていきそうだった。もし立っていたら、倒れていたかもしれないくらいショックだった。あまりに不意打ち過ぎる。
そうだ、おかしいと思ったんだ。
私に限って、こんなにトントンと幸せになれるわけがない。やっぱり嘘だったんだ。縁なんてどこにもないんだ。
由佳子や千春や香織さんや、その他の友だちたちから受けるはずだった祝福の笑顔が遠のいていくのを感じた。
うまく回らない頭で、一応確認する。
「その保留っていうのは、まさか、結婚をやめるってこと? じゃないですよね?」
霧島はソーサーごとコーヒーを引き寄せ、でも、それを口に運ぶことなく俯いたまま言った。
「うん、どうしようかと困っていて。北沢さんにも相談っていうか……」
「ちなみに反対の理由は何なんですか? この前は、気に入ってくれてるって言ってましたよね?」
うん、うんと何度も小さく呟きつつもなかなか答えを言ってくれない霧島の様子は、まるで理由を明かすために相当長い助走が必要なんだと言わんばかりの態だった。
「まずね」と、やっと口を開く。
「この前、実家を建て直したから僕は貯金がないって話したけど、それが二世帯住宅でね」
二世帯住宅? 嫌な予感がした。
「でも、結婚したら実家を出るようなことを僕が言ったもんだから、母はそれがショックだったんだな」
私はできれば、いや、本音を言えば、断固として同居は避けたい。だけど、今回は私からそう言ったわけではない。霧島自身が新居を探すような話をしてたので、その点は安心して何も言わなかったはずだ。
「霧島さんは、同居するつもりはあったんですか?」
「僕はね、二世帯建てるって話の時は、将来的には……とは思ってたんだけどね、結婚して最初のうちは、夫婦だけで別に住むようなイメージだったんだ。でも、母にはそうはっきりとは言ってなかったのかもしれないな」
「で、保留というのは、今は説得が難しそうってことなんですね?」
「というか、父が亡くなってまだ数年だし、僕が家を出ると聞いて泣き出しちゃったから、なんだか忍びなくなってしまってね」
ややこしくなってきた。
私の頭は、グルグルと妥協案を模索し始めた。
私も同居は嫌だ。自信がない。だったら、別に住みながらも、お母さんにさびしい思いをさせないように、マメに実家を訪問すればいいのでは?
そうするうちに、もし、とても気の合う方で仲良くなれるようだったら、私も同居できると思えるようになるかもしれない。そしたら、いつか本当に同居すればいいし、もしも気が合わないとなったら、お互いに常に顔を合わせるのはつらいだろうから、同居の話自体がなくなるんじゃないか?
「まずは結婚して別に住んで、マメにご実家を訪問しながら、お互いに様子を見るっていうのはどうですか?」
なかなかいい考えだと思って提案したのだけど、霧島の表情は晴れなかった。
「それがね、同居を拒否してるのは北沢さんだと思い込んでて」
「えっ。何か誤解があるなら、私が直接……」
「いや、僕自身もすぐの同居は考えてなかったっていくら言っても聞かない状態で。僕が北沢さんにそう言わされてると思っちゃってるんだよ」
それを聞いて、ギョッとした。なんだか、仲良くなれそうもない気がする。
「今、私が出ていったら、かえって駄目そうですね。霧島さん一人で何とかお話して、わかっていただくしかないですかね」
「いや、うん、それはそうなんだけど……」
煮え切らない態度が気になって、なにげなく訊いた。
「ほかにも、何か?」
砂糖もクリームも入れてないコーヒーを、霧島はおもむろにかき混ぜてから言った。
「やっぱり、結論が出るまで待たせてしまうのも悪いから、いったん、この話はなしにしてもらった方がいいかと思うんだ」
脳天に何かを突き立てられたような衝撃が走った。
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