オリンピックの恋。
同じ週の金曜日、約束通りおばさんが電話をくれて、待ち合わせの場所を聞いた。
そして、18時に駅ビルに入ったイタリア料理の店で私たちは会った。
ぬぼっとしてる。
それが、No.21氏の第一印象だった。
スーツは幾分パリッとはしているようだけど、上に着ている薄いジャケットはシワシワで、それがくせ毛の頭と相まって、全体の輪郭がヨレヨレして見える。
ただ、口を開くと、そのしゃべり方は世捨て人みたいなニヒルな達観を滲ませていて、穏やかに微笑む目の奥にも、実は一癖も二癖もありそうな頑強な自我を秘めてるように見えなくもない。
身なりをかまわない芸術家タイプ?
取っ付きにくさを感じながらも、なるべくふつうの話をしようとするのだけど、彼の暮らしている生活と、私の暮らしている生活が重なる図が想像できない。
そして、話がたまたま時事問題に及んだ時。
私は、前から気になっていながら実はよくわかってない経済界のニュースについて、ついでに説明してもらえるならありがたいと、軽い気持ちで質問した。
が、彼の答えは——
「僕もよくわかんないですね。新聞、読まないもんで……」
なんだかひどくガッカリした。
大きな会社でそれなりの地位を順調に築いてきてるはずの人が、新聞を読まない?
まるで、本当に世を捨ててるみたいだ、と思った。
「えぇ? 新聞読んでないと、けっこう困ることないですか?」
不躾かもしれない疑問が不意に口から出てしまう。
すると彼はふふんと笑って、「わからないことがあったら、誰かに訊けばいいんですよ」と言った。
いやだ。新聞を読まないオトコなんて、あり得ない——。
そんなことを思ったのは、生まれて初めてだった。
週明け、電話をかけてきたおばさんに、適当な理由を付けて断った。
冷静に考えてみるに、本当は新聞を読まないことなんて、どうでもよかったんじゃないかという気がする。少なくとも、大好きな人がそうだったとしたら、読んだ方がいいんじゃない? とは思いながらも、それで嫌になったりしないだろう。
でも、まだよく知らないNo.21氏が、あの年齢で、あの風貌で、会社でのあのポジションで、あのしゃべり方で「新聞は読まない」と言ったら、それは嫌だとなってしまう。
つまりは、この人とは合わないという直感に、何か理由づけが必要だっただけ? 新聞は、お断りのボタンを押すためのトリガーのようなものだったのだ、きっと。
「何となくね、そうじゃないかと思ったわ。実は、もう一人の方がおすすめなの。おばさんもね、あと十歳若かったら、自分が結婚したいくらいなのよ」
おばさんはそう言って、電話の向こうでケラケラと笑った。
そして、No.22さんと私は、二日後の十八時に会うことになった。
その年齢でここまで白髪になるものだろうか。
No.22のオトコ、霧島は背が高く、年齢的には若白髪と言うべきなのかどうかわからないけれど、頭全体に黒髪と白髪がまんべんなく混ざり合ったようなグレーヘア、そして、これまで会った中で一番のインテリタイプだった。
おばさんは、「本を読む姿が絵になるような人」と言っていた。
「休みの日にいっしょに家にいて、それぞれ好きなことをしてるのが似合うような……」という、わけのわからないことも言った。私は、いっしょに楽しめる趣味があるのが理想なのだけど。
少なくとも——どうでもいいことながら——霧島がおばさんの好みのど真ん中なのは間違いないってことだ。
で、肝心の私の方だが、パッと見ではあまり惹かれなかった。でも、たぶんいいオトコなのだろうとは思った。
繁華街のテナントビルの一階、カフェバーのカウンターに私たちは並んで座っていた。
話し方はやや素っ気なく静かだけど、きちんと会話はできている。取っ掛かりとなる仕事や趣味なんかの話を滞りなくこなし、音楽を聴いたり、本を読んだり、美術館に行ったりすることが好きだという共通点も見つかった。私はピアノを弾くが、霧島はチェロを習っていたという。漠然と、二人で何か弾いたら面白いかもなぁなどと想像する。
「霧島さん、モテるんじゃないですか?」
どうしてこの歳まで独身だったのだろうと不思議に思って訊いた。
「いや、どうだろう。僕は器用に人づきあいできるタイプじゃないからな。会社でも、そんなに親しくつき合ってるヤツはいないし。帰りに同僚と飲みに行ったりも滅多にしない」
ワインを一口飲んで、霧島は淡々と続けた。
「でもね、何となく会社のみんなから、僕がいつ誰と結婚するんだろうっていう好奇の目で見られてるのは感じるね」
「社内の人と、いい感じになるとかなかったんですか?」と、私は遠慮がちに訊いた。
「社内? 社内は嫌だな。それに、僕はあまり人を好きにならない方かもしれない」
軽く食事とお酒を楽しみながら、穏やかかつスムーズに会話が進み、二時間近くが経とうというころ、私はもう一度会ってみてもいいかなぁと思い始めていた。どちらかと言うと、インテリタイプはこれまであまり食いつけなかったけれど、今日で終わりにしたいというような感じもしない。おばさんの推しも効いていたのかもしれない。
そろそろお開きという雰囲気を感じて、私はカウンターの上のすっかり氷の溶けた水を少し飲んだ。
その時、彼が唐突にこう言った。
「そういえば、僕はね、四年ごとに恋をしてるかもしれないな。オリンピックの年とはずれてるけどね」
「直近の恋はいつだったんですか?」
「ちょうど四年前かな」
思わず霧島の方をチラッと見ると、目が合った。
その後、週末にもすぐに車でデートをしようということになって、おばさんに断ることなく連絡先を交換した。
ドライブデート当日は、まず郊外の美術館で海外の画家の絵を見るということで、私は最寄りの駅まで電車で行った。
すでに待っていた霧島の車で、美術館へ。
二人いっしょのペースで絵を見て回り、一つ一つ感想を言い合いながら、私は自然体でいる自分に気づいた。私の好き勝手な感想を、霧島はいちいち面白そうに聞いてくれた。そして、自分はちょっと専門的な解説を加えたりしてくる。
そのやり取りはとても自然で、どちらかと言えば楽しかった。
近くでランチを取ったあとは、そこからさらに遠い場所にあるという霧島おすすめの隠れ家的な喫茶店へドライブがてら向かう。車内では、主に音楽の話と、霧島が好きな天体の話をした。
天の川がきれいに見えるとっておきの場所へ、いつか連れて行ってくれるという。
次の週には、霧島の方からメールが二回来た。
一回目はお互いに週末のお礼をやり取りし、二回目のメールは単なるご機嫌伺いだった。その最後には、「これからも、用事がなくてもメールしていいですか」と書いてあった。
人づきあいが得意じゃないようなことを言っていたけど、ずいぶん積極的だなと思いながら承諾の返事をした。
私は正直なところ、まだ霧島のことを好きにはなっていなかった。けれど、いっしょにいて嫌な感じはない。恋人同士のようなメールをもらって、悪い気もしない。こうやって彼のペースにのせられて進んでいったら、自然と結婚できるのじゃないかと思わないでもなかった。
——千春ちゃんみたいな人って、こういう感じなのかなぁ。
条件がいいからって、好きになってない相手と淡々と結婚していくなんて、私には絶対できない芸当だった。だけど、今や気づいてみれば、まるで無い物ねだりのように、そういう結婚をする人に憧れのような気持ちを持つに至った自分がいる。
私たちはさらに二回のデートを重ねた。
そして、会ってから四回目のデートで、霧島はこう言った。
「もしよかったら、うちの親に会ってくれないかな」
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