”こんなこと” 。
「もしもし」
電話に出た達也の声は、どこかよそよそしさを装ってるふうだった。
さすがに、この前は言い過ぎたと思って、バツが悪いのだろう。自分から電話できずにいたくらいなのだから。
「こないだは、どうも」と私が水を向けると、達也は「おぉ」と短く答えただけだった。
「で、このあとはどうするの?」
達也の話を促すつもりで訊いた。
「どうするって? 何を?」
そこまで聞いて、私はやっと様子がおかしいことに気づいた。
「もしかして、怒ってるの?」
想定してなかったパターンだと思ったとたん、足元から心許ないソワソワした感触が上ってくるのを感じた。
「いや。怒ってはないよ。ただ、残念だなと思ってさ」
「残念?」
話はさらに想定外の様相を呈してきた。
「だって、俺たち馬鹿みたいじゃん。嫌いになったわけじゃないのにさ、なんでこんなことで……そんなの、ほんとにおかしいよ」
前にも聞いたセリフだと思った。
いや、それより、話が見えない。
「こんなこと? それってケンカのこと?」と、私は訊いた。
「ケンカ?」と、今度は達也が怪訝な声を出した。
子供のことは自分からは持ち出さないつもりだったのに、無理そうだ。
「もしかして、子供のこと?」
達也はそれには直接答えず、ぼやくように言った。
「俺、北沢さんと結婚したら、夫婦二人っきりでもこんなに幸せな人生が送れるんだって、そう思わせてあげる自信あったのにさ」
えっと、ちょっと待って、本当に話が見えない。どう返せばいいの?
あの日のことを踏まえて、達也も多少なりとも何らかの心境の変化を経て、それをあえて表明しないまでも、先へ進むために次の段取りを考えてくれているだろうと思っていた。それを聞くために、私は電話してるのだ。
いっこうにその話になる気配がなく、私の口からもこれ以上は言葉が出ない。きっと、用意してたのとは別の言葉が必要だったのだ。
達也も黙っている。
「子供のことって、そんなに重要?」
沈黙を破ろうとして私の口から出たのは、またトンチンカンな問いかけだった。
「は? それはそっちでしょ」と、達也は呆れたように言った。
「そうじゃなくて、まず、私と達也くんがいっしょにいるでしょ。そのそばに、もしかしたら子供もいるかもしれない、ってのが、そんなにダメなの?」
もはや、自分でもわけがわからなくなってきた。
私はただ、達也が私を好いてくれてるなら、まずは二人がいっしょになることを第一に考えて、そのあとのことは何とでも乗り越えていけるはず、ということが言いたかったのだ。
ましてや、私は最初からずっと、子供を何がなんでも作りたいとは言ってないつもりだ。
「ふっ」と短く息を吐いて、達也は言った。
「本当に残念だよ。俺、この結婚は本気だったからね」
そして、「じゃあ」という言葉のあとに、唐突に電話が切れた。
私は呆然として、通話の切断ボタンを押すことも忘れていた。
彼の中では、すでに終わっていたのだ。
——何か言い方を間違えたのだろうか。
夜ごはんも食べずに、私は考え続けた。
いや、言い方がどうとか、そんなことじゃない。ただ私は、何か「わかってくれてる」感がほしかっただけなのだ。
言葉なんて超えたところにある、ちゃんと通じてるという安心感。
むしろ、言葉じゃ駄目だったのだ。
お互いに言葉を重ねるうちに、かえって気持ちはどんどん離れていってしまった。
否定しあううちに、そこまで否定するようなもんじゃないってことを相手にわからせたい気持ちが大きくなった。それで、言わなくていいことまで言って、聞かなくていい言葉まで聞いてしまった。
達也にも、自分にも、そして二人で辿ってしまった成り行きにも、まったく納得がいかなかった。
もはや涙も出ない。ただただ茫洋と床に座ったまま、どこでどうすればよかったのかを考えたけれど、私は自分で何かをしようとしたのではないのだ。流れてきた流れに、これも運命なのだろうと乗ってみただけなのだ。
その受け身な感じが駄目だったの?
こんな時にもお腹がすくことに半ば腹を立てながら、キッチンで簡単に食事の用意をする。ついこの前、斜め後ろに立って私の作業を見ていた達也を、嫌でも思い出してしまう。
もう、達也のために、味を濃いめに調整する必要もないんだ。
そう思ったら、全身の力が抜けていきそうになった。
ふりかけをかけた冷やごはんをボソボソと食べていると、また、あの日のことやこれまでのことが思い浮かんでは消えて行った。
好きだと言ってきたのは達也の方なのに。
どうしていつも、あっさりと引くのだろう。そのたびに、こっちは振り回されて終わったという、何とも腑に落ちない気持ちにさせられる。まるで、砂漠の真ん中まで引っ張り出されて、一人置き去りにされたような。
達也の「好き」って、何なの?
「本気」って、何?
「結婚って、前もって何でもかんでも突き詰めるんじゃなくて、これから何が起こってもいっしょに乗り越えていこうってことでしょう? 子供を作ろうって言って結婚したのにできなかったり、作らないって言っててもできちゃったり、そういうのにいっしょに対処しながらやっていくのが夫婦でしょう!?」
まるでそこに達也がいるかのように、手振りを交えてぶつぶつと声に出して言ってみる。その考えに間違いはないと、あらためて確信する。
——夫婦二人っきりでもこんなに幸せな人生が送れるんだって、思わせてあげる自信があった。
そう達也は言った。
いきなりだったので何も言い返せなかったけど、「嘘つき」と思う。そんなの信じられない。
昔、ちゃんとつき合っていたころ、達也はたまに気が向いた時しかデートらしいデートをしてくれなかった。私に誘われて出かけた時は、たいていつまらなそうにしていて、すぐに帰りたがった。
私に自分の部屋に来てもらって、適当に夜まで時間を潰して、ただセックスがしたいだけだったんじゃないか、という気さえする。
いつだって自分中心。
達也の言う「幸せ」なんて、きっと多分に一人よがりなものでしかないのだろう。
簡単な食事を無理矢理お腹に流し込み終わるころには、気持ちも冷静になっていた。
「こんなこと」で駄目になって残念だって?
いや、「こんなこと」で駄目になったからこそ、私もやっと目が覚めたのだ。
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