ピリオド。
「それはそうと……」
うなだれる私をしばし放置したあと、遠慮がちに由佳子が口を開いた。
「うちの旦那、この前、『四十過ぎた女性はもうオンナとして見れない』って言ったんだよ。ひどいでしょう? 私もあと一年でオンナじゃなくなるわけ? って訊いたら、『それよりも若いころに出会ってればオッケー』なんだって。何それ!? って話でしょ」
あぁ、今そういう話はやめて……と思いながら、「ふぅ〜ん」とやり過ごして料理をつつく。
「でもさ、オトコの偽らざる本音なのかな、とも思うわけ」
由佳子がなおも話し続けるので、頭を低くしながら「ひゃぁ」と耳を塞ぐ真似をした。
「いいから、ちょっと聞きなさいってば」と、由佳子は怒ったように私を制してから言った。
「最近ね、婚活のための真面目な出会い系サイトがあって、それがけっこういいみたいなのよ」
由佳子は、その場で私の携帯に二つのURLを送信した。
「上の方はちょっと気軽な感じで、年齢層若めが多いかな。下の方は年齢層がばらけていて、その分、上のよりも真面目度が高い感じ。私も何人か覗いてみたんだけど、あやしい雰囲気もなかったし……やってみなよ」
「なんか、今は面倒くさいなぁ」
「真奈絵、心を鬼にして言うよ。四十まであとちょっとなんだよ。子供もほしいんでしょ? 急がないと」
「わかってるけど……」と言うものの、私の心が受け付けない。
「これは忠告じゃなくて、命令です! 農業青年は忘れる! そして、ここに登録する! どんどん会う! ルートは多い方がいいんだから。ね? 今日帰ったら、即実行してよ!」と、由佳子は親戚の世話焼きおばちゃんよろしく指示してきた。
あまり食指は動かなかったけれど、覗くだけ覗いてみるか……と、その夜ベッドに入ってからURLをクリックした。
気づくと、それから一時間も、私は男性会員のページを次々と開いては、読みふけっていたのだった。
二月に堤の結婚式があった。
急いだとは思えないほど、大きなホテルでのちゃんとした披露宴が催され、私と千春と、山辺も出席した。
「なんで、オンナが二人して、先にオトコたちの結婚式に出てるんだかね〜」
千春と化粧室で身なりをチェックしながら、私が自虐的にぼやくと、千春が突然言った。
「そうだ、実は、あの相談所で交際の申し込みがあったの」
「へぇ。よかったじゃない。受けたんでしょ? どんな人?」
「それがね、相手は広島県に転勤してて、こっちにいるお母さんが私を選んだらしいの。一応、会ってみようとは思ってるけど、そういうのってどうなんだろね? やっぱマザコン?? って思うよね」
私はパッと思いついたことを適当に言った。
「でも、息子が自分で選んで、あとからお母さんにいびられるよりはいいかもよ」
披露宴会場には、二百人ほどが集まっているように見える。こんな大勢!? と、私はひるんだ。農業コミュニティといったようなものがあるのだろうか、自分がそこに入っていくことを想像して、その場違い感に怖じ気づいた。まだ空っぽのひな壇に目をやり、言い聞かせた。
「あそこに座るのは私ではないんだから」
やはり、私には荷が重かっただろう。あそこに座るなんて、あり得ないことだったのだ。
ほぼ通常通りの式次第が進行していき、最初、白無垢で登場した新婦は、落ち着いた色味のピンクのカクテルドレスにお色直しした。
堤と腕を組んで、各テーブルを回る。眩しいほど美しい。
「あそこに堤の子供が入っているのか」
ドレープに隠れたお腹のあたりを見て、すぐに目をそらした。
堤は私たちのテーブルに来ると、私を虜にしたあの笑顔を惜しみなくふりまいて、また次のテーブルへと向かう。堤に引っ張られるようにしながら清香が軽く会釈をしてきたので、私は口だけ動かして「お幸せに」と言った。
華奢できれいな清香。飾り物の人形のようなこの人が、これから子を産んで、農業もやっていくのだ。
清香の父親がマイクの前に立つ。
娘が子供のころから体が弱かったことから、遠くに嫁に行くことも、未知の世界に入って行くことも、親としては心配だ。でも、娘が自分で選び、勇気を持って飛び込もうとしている、その決意を応援したい。娘が心から好きになった堤だから、信頼できる男だと確信している。娘の幸せを彼に託したい。
そうスピーチして、父親は堤に頭を下げた。
堤は、例の笑顔で頷いていた。
結婚式からほどなくして、私はやっとNo.4のページを埋めた。
「ファイルNo.4。農業青年。
・相談所の茶話会で出会う。珍しく一目惚れ。
・参加者四人で仲良くなり、飲みに行ったり。その後、個人的に電話で話すように。
・パーティに外部参加していた清香さんから交際申し込み、つき合い始める。
・できちゃった婚。
・その前に、「俺のことどう思っていた?」と訊かれた。告白せず。
【考察】
・馴染みのない農業ということで、踏み込めなかった。体力的にも自信がない。
・両親との同居も自信がなかった。
・迷っているうちに、向こうが決着してしまった。
・自分の仕事をどうしたいのか。そこを考えないとダメなの?」
総括して書いてみたら、こんなにシンプルになった。
でも、いいのだ。私はその詳細を、きっといつでも思い出せる。ずっと、忘れないだろう。
思えばこの恋も、ずいぶん時間がかかった。その分、つらい思いもした。婚活としての結果だけを見たら、長い寄り道をしてしまったような気もする。
けれど、好きになったのだからしかたない。
その後、季節が初夏にさしかかるころ、最後に二人で話したあの地下鉄駅の近くで、堤と清香を見かけた。歩きながら、堤のジャケットの襟を、清香が直してやっている。後ろから、その体型が以前より丸みを帯びているのが見て取れる。
おそらく、この近くに堤の馴染みの店でもあるのだろう、とピンと来た。
あの日、私たちが最後の駆け引きをしている時、清香はそこで堤を待っていたのではないか。
私がその存在も知らず、ついぞ、そこへ連れて行ってもらうこともなかった店——。
少し、胸が痛んだ。
来年には、子供の写真が入った年賀状が届くだろう。清香はそういう人だ、きっと。
私は、二人には声をかけず、用事のない脇道に入った。
出会ってから一年。
幕はすでに下ろされてたようなものだったけど、今やっと、一つの恋が完全に終わったのだと思えた。
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