第十八幕 サトリ

「せつ……」


 大男の目に満ちていた狂気が、急速に萎んでいくのを涼一は見た。その目は一心に、小雪へと向けられている。


「たろ……アンタ、本当にたろなんだね……」


 息を整え、大男を見つめ小雪は言う。たろと呼ばれた大男は憑き物が落ちたかのように、こくりと小さく頷いた。


「何でっ……何でこんな事をっ……優しいアンタが何で……っ!」

「せつ……おらは……おらは、とんでもねえことを……」


 がくりと膝をつき、うなだれるたろ。先程までの暴れぶりからはまるで想像の出来ないその姿に、涼一も、小雪を追って戻ってきた全も困惑するばかりだ。


「……アンタは、アタシを追って山を下りたのかい」

「……んだ」


 小雪の問いに、たろはもう一度こくりと頷く。そしてこれまでのいきさつを、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「……おら、ずっとあのいっぽんすぎのしたでせつをまってただ。なんかいゆきがふっても、ずっとずっとまってただ。でも……ついにまちきれなくなって、さとまでおりてっただ」

「そこで、アタシが人買いに売られたって知ったのかい」

「……んだ」


 またたろが、小さく頷く。その様子は、まるで小さな子供のようだった。


「おら、せつのこと、いっぺえいっぺえさがしただ。かぞえきれねえくらいゆきがふって、それでもさがしただ。……でも、ニンゲンのせかいは、やまほど、せつほどきれいなもんじゃなかっただ」


 そう言って、たろは肩を深く落とした。その体は、ブルブルと小刻みに震えている。


「ニンゲンのさとは、きたねえこころでいっぱいだった。ききたくねえのに、つぎからつぎへときこえてくる。それをききつづけてるうちにおらは……おらは、すこしずつおかしくなっていった……」

「全様、この者はもしや、『サトリ』という妖怪ではないでしょうか」

「『サトリ』?」


 涼一が発した耳慣れない言葉に、全は問い返す。小雪もまた、目を丸くして涼一を見た。


「サトリとは山に住み、人の心を読むと言われる妖怪です。戦いの時私の動きを読んだような行動を取っていましたが、あれも恐らく、その力を断片的に使っていたものと」

「そのサトリが、どうしてこうなっちまったんだ」

「恐らくですが……人の心を読みすぎて、一時的に狂ってしまっていたものと」

「んだ……さっきまでのおらは、おらであって、おらじゃなかった……」


 指摘を受け、たろはますます項垂れた。そして、涙声でこう懇願する。


「おねげえだ……おらをころしてくんろ」

「……!」

「このままじゃ、きっとまたおらはおかしくなる。そうなったらもう、せつでもとめられねえかもしんねえ。おら、もう、だれもきずつけたくねえ。おねげえだ。どうか、どうかころしてくんろ……」


 その切なる願いに、誰も、すぐに返事を返す事が出来なかった。

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