エピローグ 火の季節は過ぎ、風の季節へ
「ど、どうですか!? ペルセ……先生!! 私の泳ぎ、上達しましたか??」
「見事な上達ぶりです。よくぞ、ここまで頑張りましたね」
黒真珠の密猟者とペルセの抱えていた問題が片付いたところで、俺達は今度こそ気兼ね無くバカンスを楽しんでいた。ちなみに今のペルセには二本の人間と同じ足があり、あの姿になるのは水の精霊から授けられたお役目の仕事をする時だと、俺とシエラにだけはこっそり教えてくれた。
その昔、内海にはペルセと同じ
その結果、今は内海の島々の何処かにある隠れ里に半精霊達は寄り添って暮らしているのだとか。そして、半精霊としてのお役目を執り行うことが出来る者達は、今や里長の一族だけだとペルセは言った。ここまでくればそのお役目の内容についても知っておきたいところ。が、それに関しては、やはり教えることは出来ないようだ。
なので、ある疑問についてだけビーチに向かう途中に訊いてみた。
「それにしても何で黒真珠を半精霊は大事にしているんだ?」
「……この海に生息する黒真珠を生み出す黒蝶貝には、水の精霊様の加護が宿っています。内海が昔のままの姿を留めているのは、貝の中で育つ真珠が穢れを吸い取っているからなのだとか。そして、その穢れは真珠の中で浄化されてエーテルと混じり世界に循環するとだけ教わりました」
世界に循環……? それもエーテルに混じって? これまで聞いたことも無い新事実を聞かされて、もっと詳しく知りたいと思ったのは正直な感想だ。けれど、今の俺にはそれがどんなものなのか想像もつきそうに無い。
「ペルセさん達は元々海で暮らしていたんですよね。それがどうして
「世代を経るごとに半精霊としての力を失う同族が増えたからです。私たちは人間でも精霊でも無い
シエラからの質問にペルセは半精霊達が直面している問題を語ってくれた。半精霊とは四大精霊が作り出した眷属であり、主たる精霊が力を失えばその影響は半精霊にも及ぶのだと。
「この海から水の精霊様が去られてから、随分と長い時が流れました。精霊様の加護も失われつつある中、人して生きていくことを選択した同族の者は多くいます。中にはもう随分と海に入ることすらやめてしまった者もいます。————時代の波には、精霊の眷属である私達でも影響は避けられません」
ペルセはそこで言葉を途切らせると、海の方角に目を向ける。内海は今日も穏やかな波が寄せては返し、心地良い音を鳴らしていた。ふと思い浮かんだのは、皇都に名付けられた異名。
水の精霊の揺り籠————。もしかして、その名が指す本当の意味とはこの内海のことでは無いかと。
思えばあのガキ精霊は皇都の異変時にも意味深なことをそれとなく呟いていた気がする。俺の記憶が確かなら、水の精霊の御神体を眺めていた精霊の表情は、変わり果てた旧知の精霊の豹変ぶりに心を痛めていたようだった。
聖女とも関わりが深い風の精霊と水の精霊は、過去どのような間柄だったのか。
何故だか、無性に気になった。
☆ ☆ ☆
「……なるほど。今はそのような衣服が流行の兆しを?」
「はい、セシル様。近年の女性服の傾向は華美より動きやすさに移行しつつありますわ。男性の労働人口に比べれば少ないですが、女性が働く機会も様々な職種に広がりつつあります。ですので、当商会でも時流に乗り遅れぬよう、機能美を追求した新作の開発に力を入れておりまして……」
一頻り海で遊んで火照った体を冷たいジュースで冷ましていると、ソシエとセシルの女子トークが聞こえてきた。最近流行りの流行の女性服に関する話題で盛り上がってるようだ。レンブラント商会をこの機会に皇家に売り込もうとするソシエの熱意には素直に賞賛する。
すっかり泳ぐことに夢中なシエラと、ようやく笑顔を見せてくれたペルセを波打ち際で眺めながら一息ついた。
つい最近までの激動の日々が嘘のように和やかで、心も晴れやかだ。こんな日々がずっと続いたら良い————と思ってしまうのは傲慢だろうか。そんなことを考えていると、後ろからトンと肩を叩かれた。
「せっかくの海だってのに、浮かない顔してるね」
「アルか。なんでもねぇよ」
よっこらせと、足を崩して砂浜に座り込んだ砂漠の国の王子は漣に目を向ける。
寄せては返す白波が浜辺の砂を攫っては、また戻す。無限にも思える、自然の営みはしかし先程聞かされた
「そういえば、ラサスムにはいつ戻るんだ?」
「まだ例の事後処理がいくつか残ってるから、それに目処が着いてからかな。グランマ協会長は当分戻って来れないらしいから、代理の彼に任せても問題無いと見極めてからだね」
「グレゴリオのおっさんか。マグノリアに居た頃と比べると変わったな、あの人も」
「マグノリアの連換術協会支部は、彼の一声で撤退に追い込まれたと訊いたけど、そもそも何で彼はそこまで連換術協会を敵視したのだろうね」
「さぁな。ただ、あの時の司祭は常軌を逸していたことだけは確かだ。————人が豹変する現象なら皇都で嫌というほど見せつけられたからな」
「秘密結社に拐われたシエラさんと、君のお師匠様か……。確かに無関係とは思えないね」
マグノリアの事件があれだけ大ごとになったのも、連換術協会支部が機能していなかったから。あの事件は行き当たりばったりなんかではなく、周到に計画された上で引き起こされたものだったと、今なら確信出来る。今は身を潜めている
師匠の奪還が果たせたことによって、ようやく連中と関わらずと済むと思っていた甘い考えは悉く覆された。自らを思い出せない師匠を本当の意味で助けるには、連中が握っている情報を探る必要がある。————例えそれが危険な行為だとしても。
「ということは、例の話。納得はいかないにせよ、本人の意思は尊重する————ということかな?」
「本人が自分で考えて決めたことだ。弟子が悩み抜いた上で出した結論に、師匠がその決意を否定するのは違うと思っているよ」
俺は渚で戯れる愛弟子の姿を、今ばかりは思い出に焼き付けるべく静かに見守る。
————師匠と弟子の関係が、この火の季節が終わる頃には失われてしまうことを受け止めながら。
「お互いやらなければならない事が出来たんだ。————あの子と出会えた事だけは精霊に感謝してもいい」
「……素直じゃないねぇ。正直に可愛い弟子と離れるのは辛いって、言えばいいのに」
「————そんなカッコ悪いこと、出来るわけねぇよ」
だから今回のバカンスは俺にとっても特別なものになった。最初で最後の愛弟子と一緒に過ごす夏に、なったのだから。
「師匠〜! アルさーん! 四人で競走しませんか〜?」
浅瀬の方からぶんぶんと手を振るシエラは、何だか少しだけ大人びたように瞳に映った。
今行くと大声で応じながら、俺とアルは海に身を踊らせた。
☆ ★ ☆
翌日、帰りの汽車の中。オーシャンビューを眺められる客室で寛ぎながら、俺とシエラは同じ海を眺めていた。これから一緒に皇都まで戻りまた協会本部を手伝うことになっているが、それも来月の乙女の月まで。
————これから先、俺とシエラは別々の道を歩むことになる。
教会に属する側と、連換術師として。
「お休み。終わっちゃいましたね」
「ああ……。あっという間だったな」
緩やかに動き始めた横に動く海を眺めながら、シエラはそれきり黙ってしまった。
内心は……やはりまだ、迷っているのだろう。
————次期、精霊教会の教皇となることを決めた事を。
こんな時、どんな言葉を掛けたら良いのか分からない。だから、俺はいつものように愛弟子の頭にポンと手を優しく乗せた。
「ペルセと約束したんだろ? また皆で海で遊ぼうって。今はその約束を叶えることだけ、忘れなければいい」
「師匠……。はい、そうですね」
シエラが涙混じりの笑顔を覗かせる。それは夏の日差しを浴びて満開の花を咲かせる向日葵のようであり、夏の終わりには萎んでしまう朝顔のようでもある。
だから……一層、儚く思えた。
こうして短い夏のバカンスは終わりを告げ、季節は秋へと移り変わる。そして、俺とシエラの関係はマグノリアで初めて出会ったあの時に戻ったのだった。
断章二 シルマリエの夏休み fin
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