十一話 半精霊の使命

「ここは……海底洞窟?」


 海面から顔を出したシエラが周囲の幻想的な光景に目を見開いている。本来なら海水で水没するはずの空間は不思議なことに空気があり呼吸も出来るようだ。天井を見上げれば青く光る苔のようなものが鈍い光を放っている。それは夜空を彩る星のようでもあり、ここが海の底であることを一時忘れさせてくれた。


「危険は……無さそうだな。とにかく洞窟内を探索してみよう」


 ウエットスーツのまま洞窟の岸壁に手を掛け海面からよじ登る。海水の侵食で形成されたらしいこの洞窟は化石化した珊瑚が転々と放置されている。温かみを感じる赤や黄色、紫水晶のように怪しい光を放つものも見かけた。それらを物珍しそうに眺めるシエラは浮かない顔色をしている。


「本当にこんなところにペルセさんがいるんでしょうか」


「ガキ精霊が嘘をついてる可能性もあるけど、今は奥へと進んでみよう。この洞窟……風の流れが僅かだけど感じる。もしかしたら地上に続いているのかもしれない」


 感覚を研ぎ澄ませれば僅かだが空気の流れを感じ取れた。ちょろちょろ流れる小川のように頼りないものであるものの、淀みなく流れているそれはまず間違いなく地上から吹き込んでいるのだろう。岩礁地帯にはビーチに抜ける空洞だけでなく、他にも何処かに繋がってそうな岩屋が沢山あったはずだ。ということは、空気の流れに沿って歩けばそのうち出られるかもだ。


「その為にも、ペルセをなんとしても見つけないとな」


 苔の光を頼りに洞窟内を進む俺とシエラははぐれないように手を繋ぐ。洞窟内はひんやりとしていて、濡れたまま歩き回っていては体を冷やすだろう。何処かで暖を取りたいが、生憎と火が付けられそうものは持ち合わせが無い。


 そんなことを考えていたら、後ろを歩くシエラからくしゃみと鼻を啜る音が聞こえた。


「くしゅん! ……なんだか底冷えしますね」


「洞窟内の気温もそこまで高くは無さそうだしな……」


「連換術で火が起こせれば良かったのですが」


「残念だけど、風と水じゃ火は起こせそうに無い。それに広い空洞内ならともかく、狭い空間で火なんてつけたらあっという間に酸欠になりそうだ」


 


「うー……。少しでも体を動かして温めるしか無いみたいです……」


 その場で足踏みをして体の熱を上げる愛弟子は、それでもやはり寒そうだった。

 体の冷えに耐えながら苔から発されている青い光を辿っていくと、急に目の前が開ける。


 透き通る神秘的な地底湖のような海水溜まりが視界に飛び込んで来た。そして、海中には岩礁地帯で見かけたものとは、比べものにならない大きな黒蝶貝がいくつも沈んでいる。


 その大きさは大人が両手で抱えても尚、手に余るだろう。これだけ大きい貝なら、どれだけの大きさの真珠が取れるのか? 密猟者共が狙っていたのは、これなのか?


 俺とシエラが自然の神秘に度肝を抜かれていると、海水溜まりからざばっと何かが海面に出てくる音が聞こえた。


「ふー……。とりあえずこれで、当分は持ちそうかな」


「え……そこにいるのはペルセ……さん? それにその足は————」


 シエラが驚くのも無理は無い。俺だって自分で見たものなのに、自分の目を疑っているくらいだ。海面から覗くペルセに足は無く……魚のような尾鰭がそこにあった。


 そう……童話に出てくる人魚姫のような姿……と表現した方がしっくりくるだろうか。

 艶々としたエメラルドブルーの鱗は天井から射す青い光を反射して、虹のように複雑な色合いだ。上半身こそ溺れ防止のライフジャケットを着ているので、下半身の尾鰭姿と壊滅的に似合ってはいないが。


「お二人共……どうしてここが?」


「こっちが聞きたいよ。ペルセが突然いなくなって、心配したんだぞ。まぁ、怪我はして無さそうで安心したけど」


「師匠の言う通りです! とても……とっても、心配したんですから」


 目に涙を滲ませながらシエラは勢いよく海面に向かって飛び込んだ。そのままつい先日までは、泳ぎなんて出来なかったとは思えない程、力強い泳ぎを見せつけペルセに勢いのまま抱きついた。


「シエラ……さん」


「子供の精霊さんがここにペルセさんがいるって夢の中で教えてくれました。聞きたいことも沢山あるけど、とにかく帰りましょう」



「……恐くないの? こんな足を持つ私が」


「最初は驚きましたけど、精霊がいるくらいです。人魚がいたっておかしく無い……と思います!!」


 シエラにひしっ……と抱きつかれて、ペルセはだいぶ困惑してるようだ。確かに……桜の精霊に、水の精霊の御神体と不思議な存在ならいくつも見てきた。今更、人魚がいると知ったところでどうということも無い。あのガキ精霊が零した「半精霊セーミス」と呼ばれる存在。それがペルセのことだったのだろう。


 さっき彼女は海中に潜って黒蝶貝に何かを戻していた。それについても、なんとなく想像は着きそうな気がする。風の精霊はこの地のエーテルの質を半精霊セーミスが保っているのだと言っていた。そして真珠は汚れたエーテルを溜め込む性質を持つとも。


 初めてペルセと出会ったホテル前。俺とぶつかった彼女の手荷物から、大きな黒真珠が地面にばら撒かれたことを思い出した。あの真珠はここにある大きな黒蝶貝から取れたもの……だったらしい。


「とにかくだ。俺もシエラも相当なお節介焼きなんでな。何か事情があるなら力になるぞ」


「そうです! 私達はこう見えても連換術師なんです! 何か困っている事があれば遠慮なく頼ってください! ペルセさん!」


「はぁ……。と言われても、これは半精霊にしか出来ないことですし————。水の精霊様から使命を授かり先祖代々続けてきたことなので」


「水の精霊様……ですか?」


 まさかここでその名が出てくるとは思っても無かった。今は皇都の深層領域で眠りについてる精霊が関係してるとは。


「一体……どんな内容の使命なんだ?」


「————それは申し上げられません。事は世界の安定に関わる事。あなた方、連換術師が穢れを浄化する役割を持つように、半精霊にも世界を維持する為の役目があるのです」


 普段の気怠げな印象とは見違えるほどに、拒絶の意思を崩さない強気な口調。どうあっても、教えてくれるつもりは無いようだ。


「世界を維持するお役目……ですか」




「……ごめんなさい、お二人共。四大精霊様と聖女様が約定した盟約により、この役目の内容についてはどうしてもお伝えはできません。けど、それ以外のことでしたらお答えは出来ます」


「ちょっと待て……今、聖女と言ったのか?」


 なんだか最近、行く先々でその名を耳にするのは偶然……なのだろうか。ここ数ヶ月程、遭遇した事件の裏には必ず聖女の存在があった。帝国から遥か東国へ巡礼に赴き、七色石を持ち帰った聖人の一人。未だ謎が多い彼女の足跡は、七枚の巡礼図に描かれた地にこそ残されているというのが通説だ。恐らく……「空想元素」の回収を企む根源原理主義派アルケーも、聖女とは無関係では無いだろう。何せ奴らの首魁は「災厄」の一柱。


 そして、皇都で奴らがシエラの身柄を一時的にも確保したことも無関係では無いはず。聖女についての情報は喉から手が出るほど欲しい。が、果たしてペルセは知っているだろうか。


 何から尋ねるべきかと思考を巡らせていると、シエラがおずおずと手を挙げた。


「でしたら、お聞きしたいことがあります。————ペルセさんが今、困っている事はなんですか?」


「……はい?」


 その予想外すぎるシエラからの質問に、ペルセはどう答えればいいのか分からないようだ。

 反応からすると、正体を知られたのに尚、友達のように接してくれるシエラに戸惑っている……様子だ。


 アルと二人で密猟者共とやり合ってた時に、奴らを海中に引き摺り込んだ謎の生物の正体もはっきりした。確かに彼女は困っているのだろう。————真珠を根こそぎ奪って行く密猟者に。


「なんですか。その全てお見通しと言わんばかりのしたり顔は」


「いやぁ……。厄介事に巻き込まれ続けたせいなのか、そこそこ頭は回るんでね。ペルセが今、一番困ってるのはあの密猟者達だろ」


「……その通りです。外国からやってきたと思しき者達が、内海の真珠を根こそぎ採取することをやめません。このままでは、直にお役目を果たす事が出来なくなってしまいます……」


 ペルセは心底悔しそうに俯いた。あの手の輩は見つけ次第確保するしか無いが、それではキリが無い。せめて真珠を無断で採取すれば、重い罰を受けるような仕組みさえ作れればある程度抑止することは可能かも知れない……が。


 そこまで考えて、一人のやんごとなき身分のお方の顔が頭に浮かんだ。


「師匠。密猟者の取り締まりについて、セシルさんに相談する事は出来ないでしょうか?」


「ちょうど同じことを考えていたところだ。なぁ、ペルセ。俺達には話せなくても、水の精霊と縁が深い人になら、お前の事情を伝える事は出来るか?」


「それは……。どなたですか?」


 この帝国に於いて、水の精霊と深い繋がりがあるのはそれこそ一つしか無い。

 マテリア皇家の血を引く者。次期、皇帝陛下様の彼女だ。


「セシル・フォン・マテリア皇太女様だ。聖女はともかく、水の精霊との繋がりが深いマテリア皇家のやんごとなきお方なら、お前の困り事を陳情するにはこれ以上無いくらい相応しいお方……だろ?」

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